38.みんな同じ
「大変、大ッ……変、失礼いたしました!」
言い訳兼、弁明を終えたシトロンは、深く頭を下げた。青くなったり赤くなったり、終いには白くなって半泣き状態だった。
「使用人の趣味に利用されるなど、さぞご不快な思いをされたでしょう。どのような罰も覚悟の上です。出て行けと仰るのなら、速やかに出て行きます。靴を舐めろを仰るのなら、何回でも舐めます!」
どうぞお気の済むまで罰してください! と、シトロンはブルブル震えた。握りしめられた手は、力のあまり血が出そうだった。
そんなシトロンには悪いが、ノワールの胸は見えない重りがとれていくようだった。心臓の辺りで、キュッと手を握りしめる。
「じゃあ……ぼく、きらい、ちがう、ですか……?」
養子だと聞いて、あんなにも驚いていたのに。
喉を震わせながら出した問いに、シトロンは視線を彷徨わせた。
「……私は、ブランさまが養子を迎えられたことに驚いたのであって、ノワールさまが養子であることに驚いたわけではありません」
むしろブランさまの笑顔が増えて、大変感謝しております。そうシトロンは頭を下げた。
別に自分は何もしていないし、ブランは元々よく笑う。ノワールが慌てて頭を上げさせようとすると、シトロンはですから、と微笑んだ。
「私はノワールさまを、嫌ってなどおりません」
「っ……」
シトロンの言葉に、ノワールはグッと唇を引き結んだ。胸に居座っていた深い霧が、息と共に消えていくようだった。
「……よ、かった……」
緊張がとれ、握りしめていた手がだらりと垂れる。鼻の奥が湿った気配に、ノワールはすんと空気を吸った。
「ぼく、かぞく、できない、かと……」
ノワールの涙に敏感になっているのだろう。シトロンは顔色を悪くすると、だらだらと冷や汗を流した。
「むっ、むしろ俺が大丈夫ですか!? ご不快ではないのですか?」
「ごふかい」
「えー……っ、気持ち悪い! とか!」
ノワールは熟考の末、コテンと首を傾げた。
「きもちわるい、ないです」
「!」
シトロンの青い瞳がこれでもかと見開かれる。そんなに意外だろうかと、ノワールは眉根を寄せた。
「ぼくも、ブランさま、きれい、かっこいい、おもうます。ぼく、もとどれい、ブランさま、えらいひと、です。でも、ブランさま、ぼく、こと、おこる、ません」
同じようなことをノワールもしているのだから、気持ち悪いわけがない。だから罰もしようがないし、するつもりもない。現にブランも、ノワールを罰してはいないのだから。
そういうことでは? 首を傾げるノワールに、シトロンは口を開けて固まった。そんなにおかしなことを言っただろうか。
「……僭越ながらノワールさま」
「?」
「ノワールさまのご想像と、シトロンの妄想は違うかと……」
後方のフォシーユが眉尻を下げるので、ノワールはさらに首を傾げる。
「ちがう、ですか?」
「ノワールさまは感想といいますか、お相手の気分を害さないものと思いますが……シトロンの場合は……」
その……、と眉間にシワを寄せるフォシーユ。待てども待てども、後の言葉が出てこない。
「……申し訳ありません、ノワールさま」
「?」
「何とご説明したら良いか……適切な言葉を探しておりますので、少々お待ちを」
額に手を当て、俯いてしまったフォシーユ。説明が難しい気持ちはよく分かる。ノワールも言葉選びに迷うときが多々あるから。
邪魔をしては悪い。ノワールが視線を外したとき、シトロンが突然立ち上がった。あの! と両手を握りしめる。
「俺っ……私の妄想はその、品位に欠け、」
「シトロンくん」
「!」
鋭い声に、シトロンの背筋がピッと伸びる。振り返れば、フォシーユが目を細めていた。
「まだ早い」
「……すみません」
「?」
フォシーユの圧に、シトロンがおずおずと腰を下ろす。縮こまりすぎて、ソファがやけに大きく見えた。
「まだはやい?」
「……」
ノワールが首を傾げると、フォシーユの動きがピシリと固まる。冷や汗まで流す姿が申し訳なかった。
これは聞かない方がいい。ノワールは空気を変えるため、向かいのシトロンに顔を寄せた。
「そ、えば、シトロンさんっ」
「はいっ」
シトロンの姿勢が少し戻る。ノワールはホッとしながら、膝上の手を握りしめた。
「そのっ……おもしろい、かった、ほんっ……おしえる、ください!」
「……」
エ゙ッ、とシトロンの口角が微妙に上がる。この話題なら良いのかも。ノワールは瞳を輝かせた。
「シトロンさん、おもしろい、ほん、べんきょう、できた、いうました。ぼくも、ことば、べんきょう、したい……!」
お願いします! と頭を下げるノワール。シトロンの話を聞いたときから、頼もうと考えていたことだった。
ノワールには知識も、話した経験も少ない。奴隷時代、鳥や美術品として扱われることが多かったせいだ。喋るなと言われたから喋らなかったし、言葉も頻繁に出る物以外覚えなかった。
しかし後悔する日が来ようとは。この屋敷では、ノワールは有翼人として扱われる。YESかNOで答えられるものなら、首の動きで伝わるが、大半は会話。ジェスチャーだけでは伝えきれないし、周囲も困る。
何よりブランとの時間だ。ブランは口数が少なく、ノワールは話せる内容が乏しい。二人きりだと、序盤で大抵静かになってしまう。せっかく時間を割いてくれているのだから、どうにかしてブランを楽しませたい。ブラン所有の本が読めたら、共通の話題ができて、喜んでくれるのではないだろうか。
そこでシトロンの本だ。独学でマスターできたというのだから、多忙な使用人たちの時間を貰わずとも、言葉の勉強が進むかも。そんな希望を胸に頭を下げたが、答えは思わぬものだった。
「……むり、です」
「……え、」
ノワールが視線を向ければ、シトロンの顔は真っ青になっていた。手でバツを作りながら、首を激しく横に振る。
「むり、無理ですっ……できません! ノワールさまにご紹介したと知られれば、母に何と言われるか……!」
「な、ないしょっ……ないしょ、します!」
「うわ、内緒って可愛……って、違う! 駄目です! 内緒でもできません!」
ギュッと目をつぶって、顔を背けるシトロン。また何か妄想したのだろうか。再びの頑なな姿勢に、ノワールは拳をプルプルと震わせた。
これでは早く言葉をマスターできない。どうすれば教えてもらえるのか。汗を滲ませるノワールの耳に、後方から声がかかる。
「僭越ながら、ノワールさま」
「!」
「シトロンの本は、言葉のお勉強には不向きかと」
申し訳なさそうに話すフォシーユに、ノワールはえっ、と目を見開く。眉尻を下げる姿は、本心を表しているようだった。
「シトロンの本は恋愛小説……貴族の方が好まれない部類の本です。貴族の言葉も学ばれるノワールさまには、少々相応しくない内容かと」
それに、とフォシーユは、真剣な眼差しを向けた。
「年齢制限がございます」
「ねんれいせいげん?」
向かいのシトロンがブフォッ、と突然吹き出した。何か喉につかえたのだろうか。何度も咳を繰り返すので、ノワールの瞳が心配に揺れる。
「年齢制限とは……ある年齢を満たさないと、その行為をしてはならないという規則です。本ならば、十八歳以上でないと読んではならない、といったところでしょうか」
「じゅうはち……」
ノワールは現在十五歳。本を読むためには、あと三歳足りない。
「十五歳のノワールさまが読んでしまわれると、罪に問われます。最悪、ブランさまが捕まってしまうかと」
「! ブランさま……!」
ノワールからサーッと血の気が引いていく。
それはいけない。恩人のブランを困らせるなど、万死に値する。役に立とうとした結果、ブランが迷惑を被るなんて。
カタカタと震えだしたノワールに、フォシーユは片膝をついた。目線を合わせ、暖かな太陽のように微笑む。
「大丈夫ですよ、ノワールさま」
「っ、」
「ノワールさまのご年齢でも読める本はございます。ブランさまにご相談の上、後日プレゼントさせていただきますわ」
パッとノワールの表情が明るくなる。緩んだ口角に、フォシーユもつられて笑みを深めた。
「少し席を外してもよろしいでしょうか? 早くお渡しするために、シトロンと掛け合って参ります」
「えっ」
「はいっ」
お願いします、と頭を下げれば、フォシーユも綺麗に頭を下げた。目配せに気づいたシトロンが、弾かれたように立ち上がる。
「では、失礼いたします」
「失礼いたします……」
パタン、と扉を閉める。すき間から見えたノワールは、最後まで頬を明るく染めていた。
扉の前で、フォシーユとシトロンの二人きり。笑みを消したフォシーユに、シトロンは震え上がった。
「フォシーユさんっ、その、」
「シトロンくん」
はいっ、とシトロンの肩が跳ね上がる。冷たい視線に、鼓動はピークに達していた。
脳裏に浮かぶのは、あの大鎌。フォシーユの腕前なら、大して血も飛び散らずに済むだろう。
殺される。せめてあの最新刊は読みたかったと目をつぶれば、フォシーユが近寄る気配がした。
「……『冬の白百合は春に微笑む』、ご存知ですか」
「……」
えっ、とシトロンは思わず瞼を開ける。だってそれは、シトロンの推し作家。彼の人のBLデビュー作なのだから。
何故その名を。シトロンが手をプルプルと震わせれば、フォシーユは俯きながら頬を染めた。
「読み書きを学ぶならと……母が買ってくれた、初めての本でして……」
暗記しております、とフォシーユは肩を震わせた。もう耳まで真っ赤に染まっていた。
ちなみにフォシーユの母は、本の内容は知らない。表紙の美しさと所持金が合致した結果、その本になったのだ。文字の読めない者にとっては、BL本も教科書も同じである。
シトロンはしばし固まった後、震える手を差し出した。フォシーユも手を伸ばし、ガッと力強い握手を交わす。
「……おすすめしたい物があるのですが、今度お時間いただけますか」
「……ぜひ」
再び手に力がこもる。この日シトロンは、共通の趣味を持つ友人を見つけたのだった。
「——『壁になりたい』ということは……本当は見たいのですね? 現実の濡れ場」
「スミマセン……」




