36.妄想
使用人が集合してからは、謝罪の嵐だった。
ノワールが一人きりだったのは、タイミングが悪かっただけ。
厨房では、今のノワールでも食べられそうな料理の試作を。
用具室では、通信用魔導具でありとあらゆる所に連絡を。
屋敷外では、少しでも寝やすいソファがないか、ターブルロンド中の家具店へ訪問を。
そうやって忙しくしている内、ノワールの看病が手薄になってしまったのだ。使用人の数が少ない方とはいえ、多数の大人たちに謝られるのは圧が凄かった。
ノワールも勘違いを謝罪すると、使用人たちは揃って笑みを浮かべていた。曰く、『弱っているとき、心が不安定になるのは当然のこと』。むしろ不安にさせたことを再度謝罪されたので、ノワールは首を横に振りっぱなしだった。
そんなこんなで迎えた夕方。イリスが診察に訪れたが、結果は問題なし。手術後に微熱が出るのは仕方のないことだそうだ。あと一、二ヶ月は続くかもね、と聞かされたブランは、ノワールより余程体調が悪そうだった。仕事から帰ってきたばかりなのに、再び軍に休暇申請を出しに行こうとするものだから、使用人たちが総出で止めていた。ノワールの看病からブランの奇行阻止まで、多忙すぎて申し訳なくなってしまう。
とにかく捨てられたわけではないので、一安心。しかしノワールの胸は、一週間経っても複雑なままだった。
アメリーの息子——シトロンに、養子の件を驚かれたことだ。
すでに不審者扱いしたことは平謝りしたし、シトロン側からも謝罪を受けた。そのときついでに真意を訊けば良かったのだが、謝罪の嵐が起きたこともあって、有耶無耶になっていた。ノワールの体調が戻らなかったせいもある。
そんなこんなで一週間。珍しく平熱なため、意気込んで捜しに出たが、シトロンの姿は何処にもない。廊下にも、食堂にも、庭にもいない。もう使用人として働いていると聞いたのに。
養子について人一倍驚いていたし、これはもう避けられていると考えて良いのかもしれない。部屋でしょぼくれるノワールに、フォシーユは笑みを浮かべた。
「差し出がましいとは存じますが……ノワールさま、誰かお捜しで?」
フォシーユの優しい笑みに、心が解れていくような心地がする。
この一週間、看病する使用人は毎日変わったが、やはりフォシーユには安心感があった。助けを求めた際、いの一番に駆けつけてくれたからかもしれない。
フォシーユになら、話してみてもいいかもしれない。ノワールは顔を上げると、抱えた膝に顎を乗せた。手元を見つめながら、渦巻く胸中に足を踏み入れる。
「……シトロンさん……あいたい、けど、あえない、です」
「シトロンですか?」
フォシーユが目を瞬かせるため、コクリと頷く。脳裏に浮かぶのは、あの日の反応だ。
「シトロンさん、ぼく、ようし、おどろいてた……ぼく、ひどいこと、したから、かも……」
「ひどいこと……助けをお求めになったことですか?」
ノワールは再びコクリと頷く。
謝ったからといって、許したかどうかは本人にしかわからない。悪い事をしていないのに不審者扱いされたのなら、誰だって不快に思う。そんな奴が、仕える主だと聞かされたら。考えただけでも、腹の底からドロドロしたものが湧き上がってくる。
真意を聞きたい。認めてほしい。ブランの養子でいても大丈夫だと。
要するに、ノワールが安心したいだけ。自己満足のために、多忙なシトロンの時間をもらおうとするなんて。身分だけじゃなく、心も汚くなってしまった。自己嫌悪から、ノワールがため息を吐いたときだった。
よし、と突然フォシーユが立ち上がる。
「私、捜して参ります!」
「……え?」
目を丸くするノワールに、フォシーユはドッ、と胸を叩いた。
「せっかく体調が良くなられたのに、気持ちが沈んでいては勿体ないです。病は気からともいいますし、早く聞いて、早くスッキリしてしまいましょう!」
では! と、フォシーユは部屋を出ていってしまった。口を挟む暇もない程の行動力。ここの使用人は皆元気だなぁと、ノワールは遠い目をした。
◇◇◇
「連れて参りました」
数分でフォシーユは戻ってきた。背後の気まずそうなシトロンに、ノワールは弾かれたように立ち上がる。
以前とは異なり、使用人の装いをしたシトロン。黒い身なりは、高い背丈をより高く錯覚させた。
ドッドッと、心臓が耳の近くにあるような感覚。俯くシトロンに、やはり迷惑だったのではと後悔が押し寄せる。
だが、せっかくフォシーユが連れてきてくれたのだ。ノワールはグッと顔を上げると、向かいのソファに手を向けた。シトロンの目線がわずかに上を向く。
「……どうぞ」
「……」
「……」
「……」
無言。やはり不味かったかと目に力が入る。後悔が震えとなって出始めた頃、救世主は現れた。
「——シトロンくん」
「!」
「座ってください」
フォシーユはシトロンに近寄ると、にっこりと笑った。——眉間に、シワを寄せながら。
「あなたが座らないと、ノワールさまが座れません」
部屋の温度が下がる感覚。シトロンは冷や汗を流すと、聞き逃すかどうかといった小さな声で返事をした。早足でソファに向かい、ノワールに続けて腰を下ろす。
再び部屋を襲う沈黙。しかしここまでしてもらったのだからと、ノワールは顔を上げた。向かいのシトロンを、はっきりと視界に収める。
「ごめんなさい」
シトロンに向け、心から頭を下げる。向かいの席から、息を呑む気配がした。
「あのとき……わるいひと、きめつけた、こと、ごめんなさい」
「っ……いえ、頭をお上げください。非があるのは俺っ……私ですから」
「ちがう、です。わるい、ぼく、です。ぼく、それだけ、こと、しました」
ごめんなさい、と再び謝れば、シトロンはグッと口をつぐんだ。わかりましたとの言葉に、勝手に肩が震える。
「僭越ながら、謝罪をお受けいたします。ですから頭をお上げください。熱が下がったばかりでしょう」
「……」
シトロンに促され、ノワールは頭を上げる。
彼はこの一週間、体調が悪かったことを知ってくれているらしい。思うより嫌われていないのかも。しかしシトロンの顔は曇ったまま。こちらを見ようともしない。
ノワールはグッと口を引き結ぶと、震える喉を叱責した。
「ぼく、こと、きらい……ですか……?」
「……え?」
ようやくシトロンがこちらを見る。しかしノワールを視界に収めると、慌てて視線を下向きに戻した。
その姿に、ノワールは膝上の手をグッと握りしめる。
「シトロンさん、ぼく、ようし、きいて、おどろく、ました。ぼく、ブランさま、ようし、なる、いや、ちがう、ですか?」
「えっ……と……」
「ぼく、ブランさま、にあわない、わかる、ます。ぼくも、そう、おもう、ます。でも……」
でも。あの暗闇から助けてくれた優しい手。あの温かさを思い出し、ノワールは顔を上げた。
「ぼく、ブランさま、いっしょ、いたい」
「!」
「どりょく、しますっ。げんき、なるし……かとらりー、つかえる、なるますっ。あとっ……」
声を出せば出すほど涙が浮かぶ。こんなにもブランと釣り合っていないのかと、認めるようなものだから。
だが認めなくては、スタートラインにも立てやしない。涙を流したいのは、ノワールなんかを主にさせられたシトロンの方。泣いてはならないと、必死に目に力を入れる。
「あと、ことばっ、べんきょう、します……べっど、つかえる、なるます……あとっ」
「申し訳ありません!」
急に立ち上がると、シトロンは頭を下げた。突然のことに、ノワールの瞳からポロっと涙が落ちる。力が抜けてしまったようだった。
そんなノワールを前に、シトロンは顔を両手で覆う。耳は真っ赤になっていた。
「うわあああぁ、また泣かせてしまった……! どうしようっ」
俺は壁になりたいだけなのに!
その叫びに、全ての時間が止まったような心地がした。
ノワールの脳は、もう悲しさで占められていない。ただひたすら、『かべ』の検索に全力を注いでいる。
『かべ』とは何だ。建物の壁か。建物の壁になりたいって何? 脳は早くも音を上げ、気づけば声に出していた。
「……かべ?」
真っ赤な顔が、瞬く間に真っ青へ。シトロンは指のすき間から目を出すと、ゴクリと唾を飲んだ。
「俺、声に出してました……?」
「……」
ノワールがコクリと頷くと、シトロンはまた顔を覆った。黙ったかと思えば突然、違うんです! と叫んだり。
どうしたら良いのだろう。固まるしかできないノワールの耳に、咳払いの音が届いた。後ろに控えていたフォシーユだった。ノワールが振り返るとにこりと微笑む。
しかしシトロンは違った。ビクッと肩を跳ねさせると、失礼しましたと頭を下げる。何故だろう。誰も怒っていないのに。
ノワールが首を傾げると、シトロンの頭がゆっくりと上がる。閉じられた瞼から、美しい青い瞳が現れた。
「お気を悪くさせてしまい、申し訳ありません。ノワールさま」
「! ちがう、ですっ。シトロンさん、わるい、ないです!」
「いえ、非は全て私にあります。……ですが少しだけ、言い訳をさせていただけないでしょうか」
「!」
シトロンの真意を知れるかもしれない。ノワールが何度も頷くと、シトロンはありがとうございますと苦笑した。視線を彷徨わせたあと、グッと目をつぶる。
「私がノワールさまを避けていたのは、嫌いだからではありません」
シトロンは眉間にシワを寄せると、顔を真っ赤に染め上げた。
「——妄想が、止まらなくなってしまうからです……!」




