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黒翼の番  作者: 市川 九
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36/41

36.妄想

 使用人が集合してからは、謝罪の嵐だった。

 ノワールが一人きりだったのは、タイミングが悪かっただけ。

 厨房では、今のノワールでも食べられそうな料理の試作を。

 用具室では、通信用魔導具でありとあらゆる所に連絡を。

 屋敷外では、少しでも寝やすいソファがないか、ターブルロンド中の家具店へ訪問を。

 そうやって忙しくしている内、ノワールの看病が手薄になってしまったのだ。使用人の数が少ない方とはいえ、多数の大人たちに謝られるのは圧が凄かった。

 ノワールも勘違いを謝罪すると、使用人たちは揃って笑みを浮かべていた。曰く、『弱っているとき、心が不安定になるのは当然のこと』。むしろ不安にさせたことを再度謝罪されたので、ノワールは首を横に振りっぱなしだった。

 そんなこんなで迎えた夕方。イリスが診察に訪れたが、結果は問題なし。手術後に微熱が出るのは仕方のないことだそうだ。あと一、二ヶ月は続くかもね、と聞かされたブランは、ノワールより余程体調が悪そうだった。仕事から帰ってきたばかりなのに、再び軍に休暇申請を出しに行こうとするものだから、使用人たちが総出で止めていた。ノワールの看病からブランの奇行阻止まで、多忙すぎて申し訳なくなってしまう。

 とにかく捨てられたわけではないので、一安心。しかしノワールの胸は、一週間経っても複雑なままだった。

 アメリーの息子——シトロンに、養子の件を驚かれたことだ。

 すでに不審者扱いしたことは平謝りしたし、シトロン側からも謝罪を受けた。そのときついでに真意を訊けば良かったのだが、謝罪の嵐が起きたこともあって、有耶無耶になっていた。ノワールの体調が戻らなかったせいもある。

 そんなこんなで一週間。珍しく平熱なため、意気込んで捜しに出たが、シトロンの姿は何処にもない。廊下にも、食堂にも、庭にもいない。もう使用人として働いていると聞いたのに。

 養子について人一倍驚いていたし、これはもう避けられていると考えて良いのかもしれない。部屋でしょぼくれるノワールに、フォシーユは笑みを浮かべた。

「差し出がましいとは存じますが……ノワールさま、誰かお捜しで?」

 フォシーユの優しい笑みに、心が解れていくような心地がする。

 この一週間、看病する使用人は毎日変わったが、やはりフォシーユには安心感があった。助けを求めた際、いの一番に駆けつけてくれたからかもしれない。

 フォシーユになら、話してみてもいいかもしれない。ノワールは顔を上げると、抱えた膝に顎を乗せた。手元を見つめながら、渦巻く胸中に足を踏み入れる。

「……シトロンさん……あいたい、けど、あえない、です」

「シトロンですか?」

 フォシーユが目を瞬かせるため、コクリと頷く。脳裏に浮かぶのは、あの日の反応だ。

「シトロンさん、ぼく、ようし、おどろいてた……ぼく、ひどいこと、したから、かも……」

「ひどいこと……助けをお求めになったことですか?」

 ノワールは再びコクリと頷く。

 謝ったからといって、許したかどうかは本人にしかわからない。悪い事をしていないのに不審者扱いされたのなら、誰だって不快に思う。そんな奴が、仕える主だと聞かされたら。考えただけでも、腹の底からドロドロしたものが湧き上がってくる。

 真意を聞きたい。認めてほしい。ブランの養子でいても大丈夫だと。

 要するに、ノワールが安心したいだけ。自己満足のために、多忙なシトロンの時間をもらおうとするなんて。身分だけじゃなく、心も汚くなってしまった。自己嫌悪から、ノワールがため息を吐いたときだった。

 よし、と突然フォシーユが立ち上がる。

「私、捜して参ります!」

「……え?」

 目を丸くするノワールに、フォシーユはドッ、と胸を叩いた。

「せっかく体調が良くなられたのに、気持ちが沈んでいては勿体ないです。病は気からともいいますし、早く聞いて、早くスッキリしてしまいましょう!」

 では! と、フォシーユは部屋を出ていってしまった。口を挟む暇もない程の行動力。ここの使用人は皆元気だなぁと、ノワールは遠い目をした。


 ◇◇◇


「連れて参りました」

 数分でフォシーユは戻ってきた。背後の気まずそうなシトロンに、ノワールは弾かれたように立ち上がる。

 以前とは異なり、使用人の装いをしたシトロン。黒い身なりは、高い背丈をより高く錯覚させた。

 ドッドッと、心臓が耳の近くにあるような感覚。俯くシトロンに、やはり迷惑だったのではと後悔が押し寄せる。

 だが、せっかくフォシーユが連れてきてくれたのだ。ノワールはグッと顔を上げると、向かいのソファに手を向けた。シトロンの目線がわずかに上を向く。

「……どうぞ」

「……」

「……」

「……」

 無言。やはり不味かったかと目に力が入る。後悔が震えとなって出始めた頃、救世主は現れた。

「——シトロンくん」

「!」

「座ってください」

 フォシーユはシトロンに近寄ると、にっこりと笑った。——眉間に、シワを寄せながら。

「あなたが座らないと、ノワールさまが座れません」

 部屋の温度が下がる感覚。シトロンは冷や汗を流すと、聞き逃すかどうかといった小さな声で返事をした。早足でソファに向かい、ノワールに続けて腰を下ろす。

 再び部屋を襲う沈黙。しかしここまでしてもらったのだからと、ノワールは顔を上げた。向かいのシトロンを、はっきりと視界に収める。

「ごめんなさい」

 シトロンに向け、心から頭を下げる。向かいの席から、息を呑む気配がした。

「あのとき……わるいひと、きめつけた、こと、ごめんなさい」

「っ……いえ、頭をお上げください。非があるのは俺っ……私ですから」

「ちがう、です。わるい、ぼく、です。ぼく、それだけ、こと、しました」

 ごめんなさい、と再び謝れば、シトロンはグッと口をつぐんだ。わかりましたとの言葉に、勝手に肩が震える。

「僭越ながら、謝罪をお受けいたします。ですから頭をお上げください。熱が下がったばかりでしょう」

「……」

 シトロンに促され、ノワールは頭を上げる。

 彼はこの一週間、体調が悪かったことを知ってくれているらしい。思うより嫌われていないのかも。しかしシトロンの顔は曇ったまま。こちらを見ようともしない。

 ノワールはグッと口を引き結ぶと、震える喉を叱責した。

「ぼく、こと、きらい……ですか……?」

「……え?」

 ようやくシトロンがこちらを見る。しかしノワールを視界に収めると、慌てて視線を下向きに戻した。

 その姿に、ノワールは膝上の手をグッと握りしめる。

「シトロンさん、ぼく、ようし、きいて、おどろく、ました。ぼく、ブランさま、ようし、なる、いや、ちがう、ですか?」

「えっ……と……」

「ぼく、ブランさま、にあわない、わかる、ます。ぼくも、そう、おもう、ます。でも……」

 でも。あの暗闇から助けてくれた優しい手。あの温かさを思い出し、ノワールは顔を上げた。

「ぼく、ブランさま、いっしょ、いたい」

「!」

「どりょく、しますっ。げんき、なるし……かとらりー、つかえる、なるますっ。あとっ……」

 声を出せば出すほど涙が浮かぶ。こんなにもブランと釣り合っていないのかと、認めるようなものだから。

 だが認めなくては、スタートラインにも立てやしない。涙を流したいのは、ノワールなんかを主にさせられたシトロンの方。泣いてはならないと、必死に目に力を入れる。

「あと、ことばっ、べんきょう、します……べっど、つかえる、なるます……あとっ」

「申し訳ありません!」

 急に立ち上がると、シトロンは頭を下げた。突然のことに、ノワールの瞳からポロっと涙が落ちる。力が抜けてしまったようだった。

 そんなノワールを前に、シトロンは顔を両手で覆う。耳は真っ赤になっていた。

「うわあああぁ、また泣かせてしまった……! どうしようっ」

 俺は壁になりたいだけなのに!

 その叫びに、全ての時間が止まったような心地がした。

 ノワールの脳は、もう悲しさで占められていない。ただひたすら、『かべ』の検索に全力を注いでいる。

 『かべ』とは何だ。建物の壁か。建物の壁になりたいって何? 脳は早くも音を上げ、気づけば声に出していた。

「……かべ?」

 真っ赤な顔が、瞬く間に真っ青へ。シトロンは指のすき間から目を出すと、ゴクリと唾を飲んだ。

「俺、声に出してました……?」

「……」

 ノワールがコクリと頷くと、シトロンはまた顔を覆った。黙ったかと思えば突然、違うんです! と叫んだり。

 どうしたら良いのだろう。固まるしかできないノワールの耳に、咳払いの音が届いた。後ろに控えていたフォシーユだった。ノワールが振り返るとにこりと微笑む。

 しかしシトロンは違った。ビクッと肩を跳ねさせると、失礼しましたと頭を下げる。何故だろう。誰も怒っていないのに。

 ノワールが首を傾げると、シトロンの頭がゆっくりと上がる。閉じられた瞼から、美しい青い瞳が現れた。

「お気を悪くさせてしまい、申し訳ありません。ノワールさま」

「! ちがう、ですっ。シトロンさん、わるい、ないです!」

「いえ、非は全て私にあります。……ですが少しだけ、言い訳をさせていただけないでしょうか」

「!」

 シトロンの真意を知れるかもしれない。ノワールが何度も頷くと、シトロンはありがとうございますと苦笑した。視線を彷徨わせたあと、グッと目をつぶる。

「私がノワールさまを避けていたのは、嫌いだからではありません」

 シトロンは眉間にシワを寄せると、顔を真っ赤に染め上げた。

「——妄想が、止まらなくなってしまうからです……!」

 

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