35.シトロン・ギルベール
はらはらと涙をこぼすノワールの耳に、ノック音が三回。パッと潤んだ瞳を向けると、扉の向こうから声がした。
「シトロンです。どなたかいらっしゃいます?」
ブランでもシュヴァリエでもない。聞き覚えのない男性の声。どうすればいいのだろう。ノワールがあたふたしている内に、扉は開いた。
「失礼いたしま、す……」
白い短髪に白い翼。見開かれた青い瞳は、北の有翼人特有のものだった。しかしその服装に、ノワールはヒッ、と喉を鳴らす。
使用人は黒や白のキッチリした服を着ているもの。
しかし目の前の青年は違う。紺色のシャツに太いベルト。裾から伸びる深緑のズボンは、何処からどう見ても使用人ではない。庶民の格好だった。
『使用人と異なる服装の者がいたら、すぐに助けを呼びなさい。モネ家に恨みを持った輩かもしれないから』——ノワールは、そうブランに教えられていた。
助けを呼ばないと。来てくれるかは分からなくとも、それがブランとの約束だから。ノワールは熱にうなされながら、手にしたローブをギュッと握る。
「た、たすける、くださっ……だれか……!」
「え゙っ」
なけなしの力を振り絞り、大声を出すノワール。ぐらぐらと揺れる視界に、顔色を悪くした青年が映る。
「だれかっ、おねがい、です……! おねがいっ」
「ちょ、っと待って! 違うからっ」
誤解だから! 冷や汗を流しながら近寄ってきた青年に、ノワールはガタガタと震えた。ローブを握りしめ、目をギュッとつぶったときだった。
「動くな」
突然現れた声に、ノワールはハッと目を開ける。顔を上げれば、大鎌を構えるフォシーユの姿があった。
普段の優しい笑みが嘘のような、絶対零度の目つき。大鎌を青年の首に添えたまま、フォシーユは口を開いた。
「ノワールさまに何の用だ。返答次第では、その首刈り取る」
「……っ」
肌に突き刺さる、ビリビリとした殺意。首の皮を裂かんとする鎌に、青年はゴクリと唾を飲んだ。冷や汗を流しながら、無理矢理口角を上げる。
「……相変わらず、殺意高いですね。フォシーユさん」
フォシーユの眉がピクリと動く。それでも尚動かない大鎌に、青年は背後のフォシーユへ視線を送った。
「シトロンです……アメリーの息子の」
「……エ゙ッ」
大鎌を構えたまま、フォシーユはそそくさと青年の前方へ回った。じっ、と目を凝らした後、石のように硬直する。
「し、と、ろん……くん?」
「はい」
大鎌は魔法でできていたらしい。大鎌を風のように消し去ると、フォシーユは深々と頭を下げた。
「失礼いたしました!!!!」
顔を上げたフォシーユは、血の気の失せた肌をカタカタと揺らしていた。
「私ったら家政婦長のお子さまになんてことを! あんなに害の見極めを怠るなと言われていたのに!」
「いや、」
「どうしましょう……クビ? クビかしら!? 絶対雇われてみせると豪語して来たのに、本国の両親に何と説明すれば、」
「フォシーユさん!」
青年の大声に、フォシーユはハッと我に返る。涙をにじませるフォシーユに、青年は眉尻を下げて微笑んだ。
「大丈夫ですよ。フォシーユさんは間違ってません」
「……」
「『不審者は即制圧』がここのルールです。即座に無力化したフォシーユさんは流石です」
こんな格好で来た俺にも非はありますし、と青年は苦笑した。
「それにフォシーユさんほど有能な方、母たちが手放すはずありません」
フォシーユは瞳をこれでもかと潤ませると、シトロンくん……! と口元に手を当てた。ズビッ、と水気のある音が響く。
「ありがどうございまずっ……! 一生ついていぎまずっ」
ついに堤防が決壊したフォシーユ。滝のように涙を流す姿に、青年は苦笑した。
「いや……俺じゃなくて、ブランさまについて行ってください」
それで……、と青年はノワールに視線を送った。ノワールの肩がビクリと跳ねる。
「この子は一体……」
フォシーユはズビッと鼻をすすると、姿勢だけはピンと伸ばした。数分前まで武器を握っていた手をノワールに向ける。
「ノワールさまです。ブランさまの養子の」
「……ようし?」
「はい」
「……見た目の?」
「いえ、親子の」
「親子……」
青年は壊れたおもちゃのように振り返ると、サーッと顔色を悪くした。カタカタと震える視界に、ノワールを映す。
「ブランさまが養子ィ!!!!????」
屋敷を揺らす程の大きな声。あまりの声量に、屋敷中の使用人が集結したという。




