↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒翼の番  作者: 市川 九
PR
34/42

34.体調不良

 翌日も仕事になったと聞き、ノワールは静かに頷いた。やはりブランは相当忙しいらしい。何も力にはなれないが、せめて見送りはしよう。張り切って眠ったノワールだったが、現実はそう上手くいかなかった。

 発熱である。

 寝所と化したソファの上で、ノワールは重い身体を横たえていた。手首に付けた魔導具がピピ、と震える。ブランは表示された数値に眉根を寄せた。

「三十七度四分……」

「ベルニエ先生によると、術後は熱が出やすいそうですが……」

 ブランたちがノワールの顔を覗き込む。顔は赤く染まり、こめかみには汗が浮かんでいた。夜色のまつ毛がフルフルと震えるのを見て、ブランはグッと手を握りしめた。

「イリスに連絡は?」

「取りましたが……本日は夕方しか空きがないと」

「夕方……」

「幸い微熱ですし……ベルニエ先生がいらっしゃるまで、屋敷で安静になさった方がよろしいかと」

「……」

 しばらくノワールを見つめていたブランだったが、突然スッと立ち上がった。部屋を出ていこうとする背に、アメリーたちは慌てて声をかける。

「坊ちゃま!」

「どちらへ」

 ブランは振り返ることなく、用具室と答えた。扉の取っ手に手がかかる。

「休暇申請を出してくる」

「!」

 休暇、つまり休む。アメリーとシュヴァリエは目を見開くと、慌てて駆け出した。今にも出ていこうとするブランの手をガシッと掴む。

「いけません! ご自分の立場をお分かりですか!」

「古代さまがいらっしゃらない今、最高責任者は坊ちゃまですぞ!」

「別に私がいなくともどうとでもなる」

 扉の前で攻防を続ける三人。しかしブランは一番の若者。現役の軍人。おじさん、おばさん世代のアメリーたちが敵う相手ではない。

 振り払われてしまったアメリーたちは、グッと歯を食いしばった。こうなったら最後の手段。手を固く握りしめると、坊ちゃま! と喉を震わせた。

「この家を支えているのは坊ちゃまですよ!」

 ブランの手がピクッと震える。そう、分からない訳がない。頭の良いブランなら尚の事。主の反応に、アメリーは口角を上げた。ノワールが横たわるソファにそそくさと近寄る。

「この家は坊ちゃまの稼ぎで成り立っています。ターブルロンドでも別格の高収入ですが、先日のお買い物」

「……」

 忘れたとは言わせない。当時の阿鼻叫喚を思い出し、アメリーはキッと睨みつけた。

「大量の最新式魔導具……坊ちゃまが見栄を張られたせいで、金庫はほぼ空でございます」

 手術前、要安静のノワールを空に連れて行った時のことだ。軍人として相応しくない行動、かつ迷惑を被った医療部隊への謝罪として、ブランは寄贈という形を取った。当初は医療用魔導具数十点を寄贈する予定だったが、『アンタの誠意ってそんなモン?』とイリスに喧嘩を売られた。どうせ寄贈するなら最新式に変えてやる。癪に障ったブランは、予算を大幅に上げて寄贈してしまったのだ。

 重ねてノワールを迎えるための家具代、医療費その他諸々。金庫はもうすっからかんだった。

「坊ちゃまがお仕事に向かわねば、金庫は空のまま。お屋敷は維持できず、使用人も解雇。資産も売らねばなりません」

「……」

「私共が路頭に迷うのはともかく、ノワールさまにまでお辛い思いをさせるのですか! 今もなお、術後の後遺症に苦しまれているのに!」

 あんまりです! とアメリーは口元を覆った。もちろん嘘泣きである。シュヴァリエの冷めた視線が痛い。

 しかしやめるわけにもいかない。すべては賃金とノワールのため。アメリーはきつく閉目して演技を続けた。

「ああ、おいたわしやノワールさまっ……坊ちゃまがお仕事に向かわれないばかりにっ」

「……アメリー」

「ですがご安心ください! 坊ちゃまがおらずとも、このアメリーが働いて、」

「アメリー、待て。聞け」

 ブランがこちらに手を突き出す。チャンスである。アメリーは内心でほくそ笑んだ。

「行く、行くから静かに」

「まあっ、本当ですか! 安心いたしましたわ! そうと決まればすぐに向かわなくては!」

「ちょ、」

「お仕事道具はこちらですね! お召し物もこちらに!」

「アメ、」

「ノワールさまのことはご心配なさらず! 看病は坊ちゃまで慣れておりますから!」

 では! と言って、アメリーはブランを追い出した。反論の隙も与えない、ベテランの技だった。

 やりきった。アメリーが汗を拭うと、シュヴァリエは乾いた笑みをこぼした。

「アメリーさんには敵いませんな」

「褒め言葉と受け取っておきますわ」

 ふふ、と微笑むアメリーに、シュヴァリエは背筋を震わせた。やはり彼女だけは敵に回してはいけない。

 しかしブランが稼がねば困るのも事実。シュヴァリエは心の中で、ブランに激励を送ったのだった。


 ◇◇◇


 ブランを強制的に追い出してから約四時間。昼になっても、ノワールの体調は芳しくなかった。

「三十七度三分……」

「なかなか下がりませんね……」

 うーん、と頭を悩ませる使用人たち。アメリーは片膝をつくと、横たわるノワールに視線を合わせた。

「ノワールさま、体調はいかがですか」

「……」

 ノワールの瞼がゆっくりと開く。ぼんやりとした涙目が、ゆらゆらとアメリーの方を向いた。

「……からだ、おもい……」

「お辛いですね……他には?」

「……さむい、かも」

「寒い?」

 また熱が上がるかも。アメリーは部屋を見回すと、クローゼットへと駆け出した。この際何でも良いと、ブランのローブを手に取った。布団に包まる細い体に、上からローブをかける。

「食欲の方はいかがですか? 何か召し上がれそうな物はございますか?」

「……」

 フルフルと首を横に振るノワール。赤みの引かない顔に、アメリーは眉尻を下げた。

 ノワールは食が細い。普段ならスープと他数口だが、今朝はパンを三口程。細い食がさらに細くなってしまった。何か少しでも腹に入れないと、体調は悪くなる一方。食後の薬も飲めやしない。

 せめてスープだけでも。そわそわと落ち着かない室内に、コンコンコンとノックの音が響く。扉を開ければ、トレーを手にしたフォシーユの姿があった。温かい香りが鼻をくすぐる。

「フォシーユ? この香りは……」

「家政婦長、私にチャンスをいただけないでしょうか」

 体調不良といえばこれ。実家で食べた思い出のスープを、アメリーの前に突き出した。

 汗を滲ませ、ギュッと目をつぶるフォシーユ。真剣な面持ちは、ノワールを真に思う証拠。アメリーは微笑むと、通れるように扉を開けた。

「どうぞ」

「! 家政婦長!」

 フォシーユが瞳を輝かせると、アメリーは耳元に近寄った。ノワールに聞こえないよう、細心の注意を払う。

「今は少しでも召し上がっていただかないと。頑張って」

「はいっ」

 アメリーに背中を押され、フォシーユは一歩踏み出す。中央のソファを覗けば、布団とローブで作られた繭が出来上がっていた。

 テーブルにトレーを置き、繭の中身へと声をかける。

「ノワールさま、フォシーユでございます。スープをお持ちしました」

「……」

「よろしければ、香りだけでもいかがですか」

 きゅるる、と細い音を響かせる繭。もぞもぞと動き出すと、中から真っ赤な顔が生えてきた。形の良い鼻がすんすんと鳴る。

「こちら、オニオングラタンスープでございます」

 チーズから上がる香ばしい湯気。フォシーユが体調を崩した際、実家の母が作ってくれた特別なスープだった。

 潤んだ瞳にスープが映る。起き上がるのを支えると、熱い手にスプーンを持たせた。スープを近づけ、湯気の立つ水面に銀を刺す。曲面の上には、スープを吸ったパンとチーズが乗っかっていた。

 そろりと一口。ノワールはビクッと目を見開くと、慌てて息を吐き出した。はふはふと呼吸を繰り返した後、ゴクリと嚥下する。

 火傷の危険。フォシーユが慌てて謝罪すると、ノワールはホッと顔を綻ばせた。

「……おいしい」

「っ、」

 フォシーユは目を見開くと、うるうると宝石のように輝かせた。唇をキュッと引き結び、上がる口角を何とか押さえる。

 母さんありがとう。フォシーユは本国の母に感謝を贈った。

 スプーンの止まらないノワールと、感動で打ち震えるフォシーユ。見守っていたアメリーたちは、ホッと息を吐いたのだった。


 ◇◇◇


 不快な暑さに瞼を開ける。外はまだ明るい。どれくらい眠っていたのだろう。誰かに尋ねようと視線を彷徨わせたが、部屋には誰もいなかった。ノワールの胸を、風の吹くような冷たさが襲う。

 ふと、机の水差しが目にとまった。そういえば喉が渇いたかも。震える手を水差しに伸ばせば、振動が伝わってしまったらしい。カシャンと横に倒れてしまった。貴重な水が、テーブルを伝って絨毯にシミを作る。

 あっ、と身体を動かした拍子に、黒いローブがずり落ちた。アメリーがかけてくれた、ブランのローブ。床に落とした上に、こぼした水を吸ってしまった。拭く物はない。人もいない。自分一人で何とかしなくてはならないのに、体が重くて思うように動かない。

 どうしよう。悩んでいる間にも、絨毯のシミは広がっていく。罪悪感は不安へ。ノワールはローブを握り締めたまま、静かに涙をこぼしていた。

 食事を全て食べなかったから、怒らせた? 熱が引かないから、呆れさせた? 決してそんなことはないのに、熱でぼんやりした頭は悪い方向にばかり繋げてしまう。

「……っ、っ」

 ひくひくと喉が鳴る。ブランに会いたい。誰か助けに来て。抱きしめたローブに、ノワールの涙が滲んでいく。

 願っても願っても誰も来ない。もう捨てられてしまったのかも。ノワールの涙が、誰にも気づかれずこぼれ落ちたときだった。

『ショウガネェナア』

 耳に届く、鈴の鳴るような声。ノワールがハッと顔を上げたときには、そこには誰もいなかった。

 ただ一瞬、小鳥の飛び立つ姿が見えた気がした。


 ◇◇◇


 小鳥はパタパタと空を舞う。行き先は決まっている。定位置のバルコニーから離れた、人間の巣。目当ての巣の前に、目当ての白翼を発見し、小鳥は大声を張り上げた。

『至急、至急! 坊チャマノ部屋デ泣イテイル少年アリ! 坊チャマノ部屋デ泣イテイル少年アリ!』

 一般の有翼人なら耳を貸さない。今日も元気だねと言われて終わるだけ。

 しかし彼は違う。小鳥は青年の前に降り立つと、活を入れるように囀った。

『慰メロ! 慰メロ!』

「うおっ」

 青年がビクッと肩を揺らす。やはりコイツがいないと、と小鳥は目を細めた。

『至急、至急!』

「分かったから静かにしろって……」

 まったく、と呟くと、青年は荷物を家の中へと押し込んだ。

「『坊ちゃまの部屋で泣いている少年』……子どもでも雇ったのか?」

 雇用先の屋敷を眺め、青年は目を細める。至急! と再度叫ばれ、青年は慌てて屋敷へと向かったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。