33.脱・東の島国の人形
昼食を終えたノワールとブランは、話し合いながら廊下を歩いていた。内容は『夕食まで何をするか』。また鳥と話しても良いし、望むなら勉強を始めても良い。ブランの提案に瞳を輝かせるノワールだったが、前方にいた人物に歩みを止めた。前方の人物——シュヴァリエは駆けてくると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご歓談中失礼いたします。坊ちゃま、軍よりお呼び出しが」
「……休暇は明日までのはずだが」
「……存じております。ですが、緊急の案件だそうで……坊ちゃまの意見を伺いたいと」
「……古代さまは」
「今朝調査任務に」
あのジジイ、とブランは舌打ちした。シュヴァリエも眉尻を下げているし、雲行きは怪しそうだ。
ブランは長い長いため息を吐くと、ノワールの前に片膝をついた。
「ノワール……すまないが、午後からはシュヴァリエたちと過ごしてくれ。私は仕事に行く」
「はい」
ノワールの返事に、ブランはしばし固まった。何故だろう。ちゃんと理解して返事をしたのに。
何か不味かっただろうか。ノワールが胸の辺りを握りしめると、ブランは微笑んだ。ノワールの頼りない肩に手を添える。
「夕食は一緒に食べよう」
「はい」
ノワールの頭を撫でると、ブランはスッと立ち上がった。ノワールに見せる顔とは違う、キリッとした顔。表情の豊かな人だと、場違いなことを考えた。
シュヴァリエにいくつか指示を出すと、ブランは背を向けて歩いていった。距離が開くにつれ、存在の大きさを実感する。
服を握りしめていると、シュヴァリエにそっと耳打ちされた。伝えた方が良いのだろうか。時間を無駄にしないだろうか。休みにも仕事が入るほど、忙しい人なのに。
ノワールは視線を彷徨わせた末、スッと息を吸った。ブランさま、と慣れない大声を紡ぐ。
「いって、らっ、しゃい……」
息が続かず、尻すぼみになってしまった。何てみっともない。赤面して俯くノワールの耳に、あの優しい声が響いた。
「行ってくる」
ハッと顔を上げると、ブランがこちらを振り返り微笑んでいた。片手を挙げるので、ノワールも倣って片手を挙げる。姿が見えなくなった頃、ようやくノワールは手を降ろした。傍らのシュヴァリエがフフ、と笑みをこぼす。
「坊ちゃまがここまで粘るとは……ノワールさまのお力ですね」
「? ぼく、なにも、する、ないです」
首を傾げるノワールに、シュヴァリエはいえいえ、と微笑んだ。
「普段の坊ちゃまなら、呼び出しにはひとつ返事で向かってしまわれます。連日の休暇も取られません」
「えっ」
ノワールからサァッと血の気が引いていく。思わずカタカタと震えだした。
「ぼく、おしごと、じゃま、しました……?」
自分に時間を裂けば裂くほど、助からない奴隷がいるのでは。元同士たちに恨まれる想像をしていると、シュヴァリエはまさか、と笑みをこぼした。
「良いことですよ。坊ちゃまは働きすぎですから」
この調子で坊ちゃまを健康にしてくださいませ! とシュヴァリエは拳を上げた。頭の良いシュヴァリエが言うのなら、良いのだろうか。ノワールは乾いた笑みを浮かべながら、元同士たちに深々と頭を下げた。
◇◇◇
ブランが仕事に行った後、ノワールは言葉を教わることになった。テーブルマナーはブランが教えたいだろうからと、シュヴァリエは朗らかに笑っていた。
挨拶や物の名前、聞いたことはあるが分からない言葉の意味など、シュヴァリエは一つひとつ教えてくれた。ことあるごとに褒めてくれるものだから、ノワールは終始そわそわしていた。ずっと叱られてばかりいたので、この屋敷の優しさには慣れそうもない。
休憩時間、シュヴァリエに紅茶を淹れてもらっていると、数回ノックの音が響いた。訪問者の合図だ。
「失礼いたします」
現れたのは、アメリーと見覚えのある若い女性。シュヴァリエが連れていた、侍女候補の一人だった。
「ノワールさま、メイドをご紹介したいのですが、よろしいですか」
ノワールが頷くと、アメリーは感謝を述べた。後方の女性が前に出る。
「フォシーユと申します。よろしくお願いいたします」
「ノワールです。よろしくおねがい、いたします」
ノワールが倣って頭を下げると、二人は目を見合わせた。首を傾げていると、シュヴァリエにこそっと耳打ちされた。
「ノワールさま。メイドは目下の者なので……」
「あっ」
慌てて口を押さえる。しまった、教わったばかりなのに。
赤面してシュヴァリエに頭を下げていると、フォシーユはノワールの前にしゃがみ込んだ。ショートカットの白髪がキラキラと揺れる。
「はい、よろしくお願いいたします」
太陽のように暖かい笑み。何だか許されたような気がして、ノワールはお願いしますと小声で返した。
三人もの笑顔に囲まれると居心地が悪い。視線を彷徨わせるノワールに、アメリーが声をかけた。
「ノワールさま、実はお願いしたいことがございまして」
「?」
首を傾げると、アメリーとフォシーユは同時に手を挙げた。両手の道具がキラリと光る。
「御髪を整えてもよろしいでしょうか!?」
御髪、と聞いて固まるノワール。両手にあるハサミと櫛に、ある仮説が浮上した。
「かみのけ?」
ノワールが首を傾げると、アメリーは食い気味に返事をした。
「ノワールさまが可愛らしいのは重々承知しております。ですが! 御髪を整えれば、より可愛らしくなられるはず! どうか私共に、その美しい御髪を切らせていただけないでしょうか!」
お願いいたします! と深々と頭を下げる女性二人。ノワールはたじろいだ後、腰ほどまである黒髪を摘んだ。
別に髪型にこだわりはない。現在の前髪だけ切られているぱっつんスタイルは、奴隷商人にされたもの。顔が見え、かつ女と勘違いさせるために、この女性的な髪型になったのだ。
毎朝リボンでまとめて貰うのも申し訳ないし、切った方が良いのかもしれない。だがあることが気にかかり、ノワールは黒髪を掴んだ。
「ひっぱる、しづらい、けど……いいですか?」
「……ひ、」
引っ張る……? と返されたため、ノワールは首を傾げた。
「ばつ……たたくとか、するとき……かみ、ながいと、にげる、ないから、らくって」
確か、ベッドに押し倒してきた主人も言っていた。押し倒されてすぐ、ノワールは恐怖で吐いた。何かやりたいことがあったらしい。それをノワールがおじゃんにしたらしく、代わりに蹴られたのだ。その際髪を掴まれ、狙いやすくて良いと褒められた記憶がある。
ここでも粗相をしないとは限らない。伸ばしておいた方が、アメリーたちのためになるのでは。そう眉根を寄せていると、アメリーに肩を掴まれた。真剣な眼差しでノワールを見つめる。
「切りましょう」
「え」
「切りましょう! 引っ張るなんて以ての外です! 二度と思い出さぬよう、綺麗に切ってしまいましょう!」
「でも、」
「ここではそのような罰はございませんので大丈夫です! 手先にも自信があります!」
「御髪の短いノワールさまもぜひ拝見したいですね」
多勢に無勢。圧の強い大人三人に囲まれ、ノワールは何度も頷いたのだった。
◇◇◇
星が光る夜の中、ブランは深くため息を吐いた。白く消えていく息に、すっかり時間が経ったことを痛感する。
ノワールの面倒を見るため、せっかく取った休暇。それを急な案件で潰されるとは。明日も仕事が入ってしまったし、これでは何のために申請を出したのか分からない。せめてあの放浪ジジイがいればと、ブランは本日十数回目の舌打ちをした。軍のトップが神出鬼没でどうする。
星の中を飛んでいたブランは、見覚えのある明かりにスピードを上げた。屋敷の前に降り立つと、広げていた白翼を雑にたたんだ。衣服についた汚れを払い、屋敷の扉を開ける。
夕食にはギリギリ間に合っただろうか。ノワールは元気にしているだろうか。早足で歩いていると、シュヴァリエたち使用人が頭を下げていた。背後から覗く黒髪に、ブランの表情が緩む。
「の、」
「おかえり、なさい」
ブランさま、と出てきた姿に、ブランは思わず固まった。
平らに切られていた前髪は間引かれてふんわりと、ひとつに束ねていた長髪は耳を少し越すほどに。東の島国の人形から、花のような儚げ美少年へと変貌していた。
目を見開いて動かないブランに、使用人たちは笑顔で耳打ちした。
「可愛いでしょう」
「褒めていただいても構いませんよ」
切るなら事前に言ってくれ。そんな文句は、気恥ずかしげに俯くノワールを前に吹き飛んだ。
片手で目元を覆い、ブランはクッと喉を鳴らす。
「……オマエたち」
「はい」
「天才か……?」
アメリーとフォシーユは口角を上げると、向かい合ってハイタッチした。
後日二人には、給料に加え、お礼の品が贈られたという。




