28.ターブルロンドと新しい家
ノワールたちを乗せた馬車は、ぐんぐん坂を昇っていった。病院を囲む緑は深く、もう滞在していた病室も見えやしない。
坂を登ってしばらく経った頃、何重もの緑が光を通すようになってきた。緑の影から、明るい空へ。パッと窓から光が射し、ノワールはギュッと目をつぶった。
「……そういえば、君はまだ見たことがなかったか」
目を開けてごらんと促され、ノワールはフッと力を抜いた。瞳に射し込む、鮮やかな光。ノワールは窓の外に広がる景色に、思わず息を漏らしていた。
天を突き刺すように建つ、一つの荘厳な白い城。いくつもの家々が円を描くように取り囲み、緑や川が螺旋階段のように周囲を彩る。天にも水中にも光が宿り、数え切れないほどの人々の生活が息づいていた。
窓に手をついて瞳を輝かせるノワールに、対面のブランは微笑んだ。
「ここが軍の本拠地、ターブルロンドだ」
あらゆる種族が共存し、身分の上下も問わない。まさに円卓のような街。奴隷たちの理想郷だ。
街を凝視していたノワールだが、遠方の馬車にあっ、と声を上げた。引いているのは、ノワールたちと同じペガサス。しかしその足元に地面はない。何故翼を動かしていないのに、彼らは空を飛べているのか。
目を細めるノワールを不思議に思ったのか、ブランも窓を覗き込んだ。視線の先を確認し、ああ、と納得したような声を出した。
「ペガサスか。気に入ったのか?」
「いや、えと……どして、そら、とぶ、できる、おもって……」
「ああ」
そっちか、とブランはわずかに眉を動かした。
「ペガサスは翼で飛ぶわけではない。空気を固めて、その上を走っているんだ」
「はしる」
「ああ。翼に溜めた魔力を、足から魔法にして放出している。だから正しくは、『空を飛ぶ』ではなく、『空を駆ける』だな」
分かったような、分からないような。とりあえず頷いたノワールに、ブランはフッと微笑んだ。これはきっとバレている。顔を赤く染めたノワールの頭を、ブランは優しく撫でた。
「今度ショフールに頼んで、ペガサスの飛行を見せてもらおう」
「!」
鼻息荒く頷いたノワールに、ブランはまた微笑んだ。やっぱり優しい。御者席の方から、坊ちゃまはこんなに喋れたんですねぇ、と間延びした声が聞こえた。
◇◇◇
馬車は中心街から街の外れへ。人気のない林の中へ、迷いなく進んでいった。傾斜がついているのか、景色が少し斜めに感じる。
こんな所に家があるのか。緑をじっと眺めていると、パッと景色が変化した。小ぶりだが立派な家々に、ノワールは胸を高鳴らせた。
ここがブランの家。ノワールも一緒に暮らす場所。
こんな綺麗な家に住めるのか。窓際に寄ったノワールだが、景色はどんどん流れていく。ノワールはん? と目を瞬かせた。
そうしている間にも、馬車はどんどん進んでいく。もう家など見えやしない。あるのは整えられた植物ばかり。先ほどの家がすでに恋しくなった頃、対面のブランが口を開いた。
「ついたぞ」
予言のような言葉の後、馬車の揺れがグッと止まる。つられて揺れたノワールの身体を、ブランはすかさず支えてくれた。
扉が開き、馬車の中に光が射しこむ。ブランは先に降りると、ノワールに手を差し出した。ノワールの首がコテンと傾く。
この手は何だろう。瞬きを繰り返し、一向に出てこないノワール。ブランも目をぱちくりさせると、やがて閃いたように両手を差し出した。ノワールの脇に手を入れ、強制的に地面に降ろす。
肌を撫でる冷たい風。花の香りに顔を上げれば、大きな屋敷がそこにはあった。
「ここが私の家だ」
え゙、とノワールの身体が硬直する。どうか聞き間違いだと願いたい。冷や汗を流すノワールに、ブランはそっと手を添えた。
「今日からは、私と君の家だ」
優しく微笑むブランだが、ノワールはそれどころではなかった。
白を基調とした気品あふれる外観。何人通るのか、試すのもおこがましい重厚感ある扉。窓には青い花々が咲き誇り、日光を受けて鮮やかに輝いていた。
教会本部の間違いでは? 固まって動けないノワールの顔を、ブランは横から覗き込んだ。
「ノワール? 大丈夫か?」
少し休んだ方がいいのかもしれない。そう言ってまた抱えようとするものだから、ノワールは慌てて服を引っ張った。
「ぶ、ブラン、さま」
「どうした」
「おうち……あっち、ちがう、ですか……?」
震える指で来た方向を指し示せば、ブランはああ、と視線を向けた。
「あれはアメリーたちの家だ。使用人の家」
わざわざ二度に分けて言うものだから、ノワールの脳は嫌でも理解した。あんな立派な家が、使用人の家? 屋敷にこぢんまりとした部屋を用意するのではなく、家として存在させている? ノワールはブランとの間に越えられない壁を再認し、掴んでいた服を放した。
「む、むむ、むり……です」
「え゙」
「ぼく……こんな、すごい、おやしき、すむ、ないですっ……。こや……そと、じゅうぶん、ですっ!」
「いや、待ってくれノワール。それには無理が……」
ブランに両肩を掴まれるが、ノワールは『無理』という言葉に愕然とした。
屋敷は分不相応すぎて住めない。だが無理ということは、小屋にも外にも住まわせてくれないということか。震えがさらに止まらなくなる。
「ご、ごめなさい……ぼく、でていく、ます。めいわく、かけた、ごめなさい……」
「いやいやいや……ノワール、私の話を聞いてくれ。大丈夫だから」
ブランは何とか宥めようとするが、ノワールは今にも泣く寸前。怯えて会話も成り立っていない。
あわあわと冷や汗を流している間にも、ノワールの足は来た道を戻ろうとする。どうしたらと脳をフル回転させるブランの下に、救世主は現れた。
「——ノワールさま」
アメリーは一歩近づくと、ノワールの隣に膝をついた。青白くなった顔を見上げ、にこりと微笑む。
「申し訳ありませんが、小屋も外も、お住まいにはできません。もちろん出ていかれるのも、承服いたしかねます」
駄目、ということです、とアメリーは口の前でバツを作った。ノワールの口がキュッと引き結ばれる。
「ノワールさま……当家が嫌われているという話は、覚えておいでですか?」
「……」
小さな頭がコクンと頷く。アメリーは応えるように微笑んだ。
「ありがとうございます。もし、ノワールさまに出ていかれると……当家はさらに嫌われてしまうのです」
「え」
「先ほどの道を使うのは当家だけ……そこにノワールさまがお一人で戻られれば、目撃した方は当家に追い出されたのだと勘違いされるでしょう。それも退院されたばかりと分かれば、当家は病み上がりの子どもを追い出した極悪一族。さらに嫌われること間違いなしです」
泣き真似をしていたアメリーは、ノワールの手を取ってにっこりと笑った。
「ですからどうか、私共のために、ここで暮らしてはいただけませんか?」
『私共のために』を強調したアメリーは、ね? と小首を傾げた。罪悪感に訴えかける手法。間近で見ていたブランは、女優か? と心の中で目を剥いた。
ブランには両肩を、アメリーには手を掴まれている。逃げようにも逃げられない。仮に逃げたとしても、今度はブランたちが嫌われてしまう。
劣等感と罪悪感を天秤にかけ、結果は一方に傾いた。閉目していたノワールは、ゆっくりと目を開けた。
「……ごめ、なさい」
「っ、」
「ぼく……ここ、すむ、いいですか……?」
ブランとアメリーは目を見開くと、お互いの顔を見合った。瞳を輝かせ、ノワールに向けて笑みを浮かべた。
「勿論」
「喜んでお迎えいたしますわ!」
ブランは立ち上がると、ノワールに手を差し出した。未だ泣きそうなノワールの手を取り、自身の手の上に重ねる。
「行こうか。私たちの家に」
「っ、」
ノワールはグッと涙をこらえると、空いている腕で涙を拭った。
このような素敵な家に迎えられたのだ。家に見合う人になるのはもちろん、ブランたちを助けられる存在にならなければ。決意を新たにしたノワールは、前だけを見つめていた。
一方ブランは、ノワールに見えないよう、空いている手でサインを送った。
よくやった、と。
そのサインに、アメリーはフフッと笑みを浮かべた。
「まだまだ手のかかる坊ちゃまですこと」




