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黒翼の番  作者: 市川 九
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27/43

27.退院

 リハビリは順調に進み、ついに退院日。ノワールは病室で最後の診察を受けていた。

「手術跡問題なし! 退院を認めます!」

 イリスたちに拍手を贈られ、ノワールはキュッと口を引き結んだ。

 胸が温かくなるのには慣れてきた。しかしそんなとき、どのような顔をするのが正解なのか。不機嫌と取られたらどうしようと、ノワールは今日も俯いてしまう。

 ブランたちは視線を交わすと、フッと小さく微笑んだ。察してはいるが、正解は教えない。喜び方は人それぞれ。ノワールが自分で見つけていけば良いという方針だ。

 しかしノワールを困らせるのも不本意。意識を変えるため、イリスはノワールの服に顔を寄せた。

「それにしても、この服本当に自作? アメリー天才じゃない?」 

 病院が提供する病衣とは違う、細部まで装飾の施された繊細な作り。翼を邪魔しないよう、背中が開いているのは変わりない。注目すべきは前面。胸のリボンや袖のフリルが、ノワールの端正な顔立ちをさらに引き立てていた。

 自信の出来を、元王女のイリスにも褒められたのだ。アメリーは使用人としての姿勢を崩さないまま、完璧な笑顔を見せた。

「勿体ないお言葉、誠にありがとうございます」

「謙遜するな。オマエほどの天才はそういない」

「坊ちゃまは何でも『良い』と仰いますのでね」

 あまり当てにしていない、とアメリーは言外に匂わせた。事実なので反論できない。

 ブランは咳払いすると、ただ……、とアメリーに眉根を寄せた。

「少し可愛すぎやしないか?」

 男なのだから、もう少し男らしい服の方が。そう言いたいのかと思えば違った。

「これではノワールの可愛さが際立ってしまう。不特定多数の注目を集めるのは悪手だぞ」

 真剣な顔で宣うものだから、イリスは呆れたように目を細めた。

「過保護か」

「お気に召していただけたようで何よりです」

「何故そうなる。私は真剣に、」

 ムッと目つきを鋭くしたブランに、アメリーは坊ちゃま、と笑みを浮かべた。

「ご覧になりたくはないのですか? さらに可愛らしいノワールさまを」

 私はぜひ拝見したいですねぇ、と有無を言わせぬ笑顔を見せた。黙った時点でブランの負けである。

 これらを見守っていたノワールは、沈黙するブランに眉尻を下げた。身につけている服を見下ろした後、あの、とブランたちに声をかける。

「アメリーさま、ごめなさい、けど、めいわく、なる、なら……、ふく、べつの、いいです」

 俯くノワールに、ブランたちはピシリと固まった。可愛すぎて心配というのを、似合わなくて隣を歩きたくないと勘違いさせてしまったのだ。

 オマエのせいだぞ、とでも言いたげな視線が、ブランにザクザクと突き刺さる。ブランはふらふらとした足取りで近寄ると、ノワール、と彼の横に片膝をついた。

「誤解させてすまない。とても似合っている」

「でも……」

 キュッと握りしめられた手に、ブランは自身の手を重ねた。ノワールの夜色の瞳が不安げに揺れる。

「その……心配なんだ。君が可愛すぎて、悪い奴に狙われるのではないかと」

「しんぱい」

「ああ、心配だ」

 ノワールはしばらく沈黙すると、フフ、と小さく笑みをこぼした。

「ぼく、かわいい、ない、から、だいじょぶ、です」

 自信があるのだろう。やや胸を張って答えたノワールに、ブランはしばし固まった。立ち上がると、ノワールの黒髪に優しく触れた。

「可愛いに決まっている」

 ブランは覚悟を決めたように、スッと大きく息を吸った。

「まずこの艷やかな黒髪が可愛い瞳も小動物のようで可愛い顔も神がお作りになったのではと疑うほど可愛い鼻もスッと伸びていて可愛い唇も、」

 突然すらすらと語りだしたブラン。一体何処で息継ぎをしているのか。止まる気配のない説明に、イリスはブランの名を呼んだ。可愛いの洪水がピタリと止まる。

 何だと視線を向ければ、イリスもアメリーも顔を赤く染めていた。アメリーに至っては、両手で顔の大部分を隠していた。

「よーく理解したわ。……全員」

 『全員』の部分をやけに強調したイリス。

 全員に何か意味があるのか。ブランはイリス、アメリーと順に視線を送り、最後の一人を見下ろした。

「……」

 耳まで真っ赤に茹で上がったノワールの姿。頭上から湯気のような幻覚が見えそうだ。

「ノワール?」

 もしや熱でも出たのかと、ブランは急いで額に手を当てた。触れた瞬間、ノワールの身体がビクリと揺れる。潤んだ夜色の瞳に見上げられ、ブランは石のように固まった。

 手でパタパタと扇ぎながら、イリスが呆れた視線を向ける。

「アンタってホント……ゼロか百しかないわよね」

「……イリス」

「なに」

 ブランは振り返ると、震えながら自身の胸を押さえた。

「私も病気かもしれない」

「……は?」

「突然、不整脈が……」

 真剣な顔で、自身の病気を疑うブラン。

 イリスは目を見開くと、すぐに大きくため息を吐いた。

「健康。超健康。自信持ちなさい」

 報告するこっちの身にもなれ。忙しないブランたちを前に、イリスは遠い目をしていた。


 ◇◇◇


 退院手続きを済ませ、ノワールは数週間振りに外へ出た。久しぶりの風の匂い。肌を撫でる感触は、倒れる前より爽やかだった。

 出入り口付近に停められた立派な馬車。馬車の前に立っていた有翼人の男は、ノワールたちを捉えると頭を下げた。

「ご退院おめでとうございます。ノワールさま」

「!」

 何故自分のことを。傍らのブランを見上げれば、こちらを見て口元を緩めた。

「私が雇っている使用人だ。君の退院を聞いて来てくれたんだ」

「モネ家で御者を務めるショフールと申します。外出の際は、何なりとお申し付けください」

「の、ノワールです。おねがい、します」

 ノワールも慌てて頭を下げると、ショフールは笑みを深くした。口元に手を当て、おやおやとブランに視線を向ける。

「礼儀正しい方ですね。坊ちゃまが気に入られるのも納得です」

「オマエたちは本当に、私のことを何だと……」

 苦虫を噛み潰したような顔をするブランに、ショフールはフフフ、と笑みを返すだけだった。アメリーといいショフールといい、ブランの使用人は距離が近いようだ。幼少の頃からの付き合いというし、孫や親戚のような認識なのかもしれない。

 しかしそれ以上に、ノワールの視線を惹きつけてやまないものがいた。

 馬車に繋がれたたくましい身体。風になびく白毛。背から生えた立派な翼。

 クリッとした瞳に目が離せないでいると、後ろから笑い声が聞こえた。アメリーはノワールの隣に立ち、にこりと微笑んだ。

「気になりますか? ノワールさま」

「はい……」

「この動物はペガサスといいます。当家で飼っているのですよ」

 感嘆の息を漏らすと、触っていいですよと許可が出た。ペガサスの一頭もこちらに頭を向けるので、ノワールは恐る恐る手を差し出した。まるで遅いとでも言うかのように、ペガサスは自ら頭を擦り付けた。ノワールの手に、生き物特有の温もりが伝わる。

「っ、」

「可愛いでしょう」

 なるほど、これが可愛いの正解か。ノワールが激しく頷くと、ペガサスは満足したように目を細めた。フンスッと温かい鼻息を頂戴した。

 ノワールが静かにはしゃいでいると、後ろから名を呼ばれた。瞳を輝かせながら振り返れば、苦笑するイリスが近づいてきた。年の割に背の低いノワールに合わせ、イリスは膝に手を当てる。

「テープや包帯を交換するときは?」

「!」

 イリスの言葉に、ノワールはハッとした。退院前に何度も説明されたことだ。ノワールはギュッと手を握ると、真剣な眼差しを向けた。

「ブランさまたち、たよる、ますっ」

「疲れたときは?」

「むり、しない。よこ、なる、ます」

「危険なものには?」

「ちかづく、ません!」

 正しい答えを言えたはず。ノワールが鼻を鳴らすと、イリスはニッと笑った。華奢な手で、ノワールの頭を撫でくり回す。

「完っ璧! えらいえらい!」

 されるがままになっていると、肩をぐいっと引っ張られた。固い厚みに顔を上げれば、不満そうなブランの顔が見えた。

 ノワールの髪を直しながら、ブランはイリスから守るように隠す。

「撫で回すな。減る」

「減るわけないでしょうが。過保護か」

 ブランにテキパキと馬車に乗せられ、扉が閉まる。馬車に乗るくらい一人でできるのに、ブランは踏み台すら踏ませてくれなかった。

「じゃ、また二週間後ね」

「はいっ、ありがと、ございます」

 窓の外で、イリスは笑顔で手を振っていた。ノワールもペコペコ頭を下げる。

 馬車は進み出し、緩やかに上空へ。姿が見えなくなった頃、イリスはようやく手を降ろした。

 別に従兄弟兼友人のブランが引き取る子だからではない。ただ純粋にノワールが心配なのだ。

 思い出すのは、ノワールが手術から目覚めてすぐのこと。本人には別の機会で伝えようと、このときはブランにのみ話した。

『引き取るつもりなら覚悟して聞いて欲しいんだけど……たぶんあの子、痛覚がない』

『……痛覚?』

 まだ何処か悪いのかという質問に、イリスは首を横に振った。

『身体じゃなくて、心の問題。奴隷だった人たちに一定数見られるのよ。痛みから心を守るため、痛みそのものが認識できなくなってしまう』

 俯くブランに、イリスは肩のあたりをグーで殴った。

『心配なら、できるだけ目を離さないこと。一般的に危険だと遠ざけることも、あの子には分からないだろうから。そんで、もう痛いことは無いって安心させてやんなさい』

『安心?』

『愛情を注ぐ! 大切だと伝える! そうすれば、いつか痛覚も戻ってくる! ……はず!』

『はずって、オマエ……まあ、概ね理解した』

 善処すると、あの時のブランは真剣な眼差しを向けていた。

「……ま、なるようになるか」

 イリスは呟くと、青空を見上げて伸びをした。

 どうか、彼らが少しでも幸せを享受できるよう願って。

 

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