26.二人の友
しばらく熟考していたブランだったが、ふと机に置いてある二つの鞄が目についた。二つともやけに膨らんでおり、よく口が閉められたなと感心してしまう程だ。ブランは必要最小限しか持たない主義だし、ノワールはそもそも入院患者。鞄の持ち込みなどできようもない。
となると残りはあと一人。ブランは導き出した人物に視線を送った。
「アメリー」
ボロボロとこぼれていた涙がピタリと止まる。邪魔しないでくださいとでも言いたげな視線。一応雇用主なのに、ノワールに向けるそれとは正反対だ。
「その鞄は?」
ブランが鞄を指さすと、アメリーはパッと顔を輝かせた。勢い良く鞄を開き、中身を手に振り返る。
「ノワールさまを拝見してから、創作欲が湧きに沸いて参りまして……」
つい作ってしまいましたわ! と、アメリーは笑顔で服を見せびらかした。白地に所々装飾の施された服は、とても自作とは思えない。熟練のテーラーと見紛う程の出来だった。
次々と取り出すアメリーに、ブランは冷たい視線を送った。近頃、深夜に物音がする原因が分かったからだ。
「ノワールさま!」
「!」
「僭越ながら……試させていただいてもよろしいですか!?」
服を両手で持ち、笑顔で迫るアメリー。ノワールはしばし固まったあと、おずおずと頷いた。何が何やら分からないが、アメリーの圧に押されて、といったところだろうか。より一層瞳を輝かせたアメリーに、されるがままになっていた。
服を身体に当てるだけとはいえ、あの量を付き合わせるのは大変ではなかろうか。悩んだブランは、はしゃぐのに忙しい背に手を伸ばした。
「おいアメリ、」
伸ばした手をガッと勢い良く掴まれる。アメリーは振り向くと、有無を言わせぬ笑顔を見せた。
「坊ちゃまは独特なセンスをお持ちですので、外でお待ちいただけますか?」
要するに、気が散るから出ていけ。アメリーは笑みを浮かべたまま、ブランを病室外へと押し出した。ピシャリと閉まった扉を前に、自分は雇用主だよな? と自問自答する。もちろん答えは返ってこない。
ブランはため息をつくと、暇を潰せそうな場所を探すため顔を上げた。使用人の中でも、アメリーはずば抜けて頑固なのだ。ノワールの不調を無視はしまいと信じ、身体を廊下側へと向ける。
「……」
壁へ背を預ける、幼馴染二人。思わず硬直したブランに、イリスとアルノーは凛々しい顔を向けた。
「聞いちゃったわ良かったわね!」
「右に同じ!」
「もう少し悪びれろ」
ブランは雑に頭を掻くと、観念したようにため息を吐いた。
◇◇◇
廊下で個人的な話をするわけにもいかず、三人は病院の休憩室に移動した。アルノーは勝手知ったる様子で紅茶を淹れ、二人の前に置く。湯気と茶葉の香りが、ブランたちの意識を幼少期に戻してくれるようだった。
「それにしても、ブランが子どもを引き取るとはね」
「あの『白翼の悪魔』がなぁ」
アルノーの言葉に、ブランの眉がピクリと動く。ブランはカップを降ろすと、呑気に香りを楽しんでいる男を睨みつけた。
「その呼び名はやめろと言ったはずだが?」
「いいじゃん強そうで。俺は結構気に入ってる」
「私は普通にイタいと思う」
「わざわざ言わなくていい。そもそも、オマエが騒がなければ広まることはなかったんだ」
「えへ」
アルノーは舌を出してウインクしてみせた。まったく反省していない。
ちなみにこの異名は、以前捕縛した奴隷商人が発したもので、ブラン自身がつけたものではない。たまたま近くにいたアルノーの耳に入り、大声で面白がった結果、広まってしまったのだ。中にはブランがつけたと勘違いする者もおり、残念な視線を向けられることも多い。完全にとばっちりだ。
ブランは視線を緩めることなく、眉間のシワを深くした。
「ノワールに知られてみろ。オマエの二つ名も広めるからな」
アルノーはブランの腕に抱きつくと、それだけはご勘弁をと涙を流した。他人の異名は面白くても、自分が言われるのはまた別なのだ。アルノーが自身の異名を好んでいないというのもある。
騒がしい二人を気にせず、イリスは紅茶を一口飲んだ。カップを起き、何事もなかったように口を開く。
「何にせよ良かったわ。アンタの使用人は優秀だし、私もいつもとは違う報告ができる」
軍の報告ばっかりじゃ飽きちゃうしね、とイリスは脚を組んだ。一方ブランは、イリスの言葉に思いを馳せた。
ブランが軍に入隊してすぐのことだ。古代と王妃以外には行き先も告げず、孤独に生きると決めたブラン。親しい者も思い出もいらない。訓練に打ち込む彼の元に、二人はやってきた。
『『ブラン!』』
『……え』
忘れたつもりでも、心は忘れてくれないらしい。あの日庭で遊んだ二人の声に、ブランは振り返った。
『殿下、アルノー……なんで』
ブランが置いてきた二人の友人。駆けてきた二人は、記憶からそのまま出てきたかのように笑みを浮かべていた。
しばらく固まっていたブランだったが、ハッと我に返った。もう貴族ではないのだ。罪人風情が馴れ馴れしいと、ブランは頭を下げた。
『無礼な口を利き、申し訳ございません。栄光あるヴォラティルの、』
挨拶の途中でガッと頭を掴まれた。意外な力に顔を上げれば、眉をひそめた二人と目が合った。
『やめなさいよ、気持ち悪い!』
『礼儀正しいオマエとかゾワッとするわ!』
見ろ、鳥肌! と腕を見せつけてくるアルノー。しかしブランは視線を落とし、グッと口を引き結んだ。
もう会えないと思っていた友人たちだ。それも以前のように接してくれる。こんなに手を伸ばしたい優しさはないだろう。
しかし手を伸ばしていいものか。もう住む世界が違うのだ。モネ家の罪は消えてくれない。復讐心も消えてくれない。彼らを汚してしまう気がして、ブランは手を固く握り締めた。
それが気に入らなかったのだろう。友人たちは見つめ合うと、ハァと大きくため息を吐いた。少女は腕を組み、ブランを見下ろした。
『いいこと、ブラン? 軍のポリシーは平等よ。つまり軍に属する以上、王族も平民も関係ないの。よって私は、ヴォラティルの王女ではなく、訓練生のイリス・ヴォラティル!』
覚えときなさい! と少女——イリスは鼻を鳴らした。
『俺も! ベルニエ侯爵の息子じゃなくて、訓練生のアルノー・ベルニエ!』
よろしくな! と少年——アルノーはブランの手を取った。
都合のいい夢でも見ているようだ。ブランの視界がぼやけていった。
が、何かが引っかかる。ブランは無意識の内に、訓練生? と呟いていた。
訓練生とは、将来軍人として働くため、軍のもとで学ぶ者たちを指す。ブランもその一人だ。
しかし二人は違う。いくら軍が平等を謳っていても、彼らには民を守る責任がある。そんな責任を放り投げたらどうなるか。
サーッとブランから血の気が引いていく。どんな想像をしたか予想がついたのだろう。イリスは眉尻を吊り上げた。
『言っとくけど、これはれっきとした公務だから! 奴隷にされた仲間は帰ってくるし、疑惑のモネ家には監視がつく! 国民も大助かりよ!』
『ウチも、誰か軍に入隊させようって、前々から話があったんだ。それに立候補した』
俺、三男坊だし! とアルノーは笑顔で言ってのけた。たしかにアルノーなら、兄たちがいる限り家を継ぐ必要はない。婚約者でもできなければ、身軽なままだ。
——だが、イリスは。王女である彼女は違う。
『ですが殿下は! ……王女であらせられるのですから、嫁ぐ必要が、』
あるのでは。焦るブランの言葉を、イリスは不満げに遮った。
『お姉さまたちのおかげで、めぼしい嫁ぎ先がないのよ!』
言わせんじゃないわよ! とイリスはそっぽを向いた。大きなお世話だと顔を書いてあるようだった。
たしかにイリスの兄姉は多い。すでに次の王位は決まっているし、他の兄姉も他国に嫁いだり婿入りしたり。末娘のイリスに残るのは人間の国くらいだろうが、今の状況で婚約させられるわけがない。
いいのか。いいのか? うんうん唸るブランに、イリスは舌打ちした。古代さま! と少し離れた所で寝転ぶ背中に呼びかけた。
『私たち、入隊してもいいですよね!?』
腰をぼりぼり掻くと、古代は顔も向けずにサインを出した。
OKのサインを。
『やった!』
『寮! 寮見に行こ!』
『空いとる部屋なら何処でも良いぞー』
『古代さま!』
責めるようなブランの声に、古代は小指を耳の穴に突っ込んだ。
『煩いのう。良いではないか。王侯貴族が入隊すれば、軍の知名度が上がる。知名度が上がれば、入隊希望者が増える。ひいては奴隷たちの救助に繋がる。万々歳よ』
案内してやれと、古代はシッシッと手を振った。反論しようにも思い浮かばず、ブランはわなわなと肩を震わせた。
『ブラン!』
『案内しなさいよ、気が利かないわね!』
遠くから好き放題言う友人たち。ブランは大きく息を吐き出すと、追いかけるため振り返った。
『命令するな、図々しい!』
一歩踏み出したブランの足は、庭で遊んだ頃のように軽かった。
あのときは救われたなと、ブランは紅茶を一口飲んだ。まさか使用人にまで情報を流していた上、現在まで従軍するとは思いもしなかったが。
たまには言葉にしても良いかもしれない。感傷に浸っていたブランは、フッと小さく微笑んだ。イリスの眉間にシワが寄る。
「何よ」
「いや、二人がいて良かったと思って」
イリスとアルノーは目を見開いて固まると、すぐにフッと微笑んだ。紅茶の湯気がわずかに揺れる。
「今更かよ」
「参謀総長のくせに鈍すぎ」
「オマエにだけは言われたくない」
あ゙? とイリスが紅茶を置いて立ち上がる。
仲が良いのか悪いのか。見慣れた光景は、探しに来たアメリーに拳骨を受けるまで続いていた。
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