25.優しい人
自身の過去を粗方話し終えたブランは、小さく息を吐いた。アメリーに水を差し出され、感謝を述べてから受け取った。
「そんな訳で、私は有翼人から嫌われている。奴隷たちを本国に帰せば帰す程、過去の経験を語る者が増えるからな」
ブランは水を一口飲むと、ノワールに視線を向けた。眉間にシワを寄せ、頭を下げる。
「すまない」
「!」
「私が怖いだろう」
怖い。その言葉を聞いて、ノワールは一瞬固まった。だがすぐに我に返り、首を勢い良く横に振る。
ブランの過去を聞いて、驚きはした。しかし怖いとは思わなかった。
ノワールにとって『怖い』とは、過去の主人たちと、彼らにされた行為を指す。ローブで包んでくれたり、空を見せてくれたりするブランとは雲泥の差だ。
しかし一瞬固まったのが良くなかったらしい。ブランは痛みに耐えるように微笑んだ。
「いいんだ。怖がられるのには慣れている」
「……ッ!」
「明日から君の引き取り手を探そう。時間はかかるかもしれないが、良い家を見つけると約束する」
違う。怖くなんかない。ブランに引き取ってもらいたいのは、真実なのに。
何を言えばいい。考えている間にも、ブランは話を進めてしまう。どうしたらと、ノワールが布団を握りしめた時だった。
「!」
手に伝わる優しい温かさ。ノワールを救ってくれた物。これしかないと、ノワールは布団を持ち上げた。
「っ、」
「ノワールさま!」
「ッぶな……!」
がしゃん、と点滴スタンドが倒れかける。腕を上げたことで、管が引っ張られたのだ。大事に至らなかったのは、ブランが覆いかぶさるように止めてくれたおかげだ。
想像した光景とはまったく違う、不格好な姿。ブランに助けられた上、布団を見せつける形になってしまい、ノワールは静かに赤面した。
「ごめ、なさい……」
「いや、無事ならそれで……」
ブランがゆっくりと点滴スタンドを直す。壁際のアメリーはホッと息をついていた。
急に意味不明な行動に出たのだ。確実に困惑させている。
ノワールはチラッと視線を動かし、点滴スタンドの位置を確認した。管が短いから届かないのだ。
ならばと大急ぎで布団畳もうとするも、これも点滴の管のせいで上手くいかなかった。ぐちゃぐちゃの白い塊の完成である。
ノワールは俯きながら、ブランに白い塊を差し出した。耳に熱が集まるのを感じる。
「……どういう、意味、だろうか……?」
ですよねと胸中で叫び、ノワールはさらに俯いた。そりゃあ分かりっこない。優しいブランは一応受け取ってくれるものだから、一層顔が見られなくなった。
もう白状するしかない。ノワールは自身の手を見つめながら、おずおずと口を開いた。
「ブランさま……ローブ、くるむ、くださった、の、マネ、しようと……」
無理だったけど、と胸中で言い訳しながら、ノワールは胸の辺りを擦った。
「ここ、あったかい、なる、から……」
「……」
だから、とノワールは顔を上げた。
「だから……ブランさま、こわい、ないです」
「!」
「ぼく、ひきとる、ブランさま、いい」
だめ、ですか? とノワールは、脚の上で手を握り締めた。布団が無いだけで、急な孤独感に襲われた。
ノワールにとって、ブランは空にも等しいのだ。
雲のように真っ白で、日差しのように暖かくて、風のようにまっすぐな人。こんなにも胸を温かくしてくれるのは、ブランが初めてだった。誰が何と言おうと、それこそブランであっても、この事実は覆せない。
ノワールは今、ブランに救われているのだから。
沈黙するブランに、ノワールはちらちらと視線を送る。やっぱり駄目なのだろうか、胸に冷たいものが広がりだした時だった。
「……いいのか」
「!」
「君も、嫌われてしまうかもしれないのに」
ブランの真剣な眼差しに、ノワールはキュッと口を引き結んだ。ニヤけてしまいそうだったからだ。
やっぱりこの人は怖くなどない。優しさの塊だ。今だってノワールのことを心配してくれている。そんな心配でも胸が温かくなってしまうのだから、翼以外にも何処か悪いのかもしれない。
ノワールはパンッ、と両頬を叩くと、ブランに向き直った。見開かれた栗色の眼は、やはり誰よりも美しかった。
「いいです」
「ッ、」
「ぼく、きらわれる、なれてる、です」
「……」
だから大丈夫。珍しくはっきりと言えたものだから、ノワールは達成感を覚えた。
事実、ノワールは奴隷時代、嫌悪や蔑みを向けられることは日常茶飯時だった。黒い眼が気持ち悪いだの、鳥のくせに喋って気味が悪いだの、挙げてしまえばきりがない。
当初は傷ついたものだが、自分は相手を不快にさせる存在なのだと認めて以降、傷つくことはなくなった。むしろ、何を当たり前のことを言っているのかと、開き直れるようになった。ブランが心配する必要はないのだ。
しかしブランは驚きから一転、複雑そうな顔をした。何故だろう。ニヤけずに言えたはずなのに。
ブランは立ち上がると、布団をノワールにかけ直した。布団のシワを伸ばしながら、アメリー、と声をかける。
「噂の訂正は今後も続けてくれ。私も努力する」
「! それでは、」
「ああ」
ノワールの手に自身の手を重ね、ブランは真剣な顔をした。
「ノワールは私が引き取る」
「!」
「私の家族になってくれるか?」
ノワールの胸を温かくしてくれる、優しい笑み。ノワールは瞳を輝かせて、何度も何度も頷いた。表情筋が言うことを聞かない。きっとだらしない顔をしているはずだ。それでもブランの前でなら、どんな顔でも許される気がした。
そんなめでたい雰囲気に、ズビッと水気のある音が入る。壁際に視線を向ければ、アメリーが口元を押さえて泣いていた。
「も、申じ訳ありまぜん……嬉じくで……」
アメリーは壁際を向いて、泣き顔を隠した。彼女もノワールを心配してくれたのだ。お礼を言おうと、ノワールは息を整えた。
「ありがと、ございます、アメリーさま」
貼り付けた笑みではない、本物の笑顔。初めて正面から目の当たりにし、アメリーからぶわりと涙が噴き出した。
「の、ノワールさま……! なんと勿体ないお言葉……!」
私が幸せにしますからね……! と、ブランから手を奪い取って、キュッと握りしめた。まるで結婚相手にするような誓いである。
一方ブランは、微笑ましい光景から強制的に外され、ポツンと一人で突っ立っていた。温もりのなくなった手を、ギュッと握り込む。
『ぼく、きらわれる、なれてる、です』
脳裏に浮かぶのは、ノワールが真剣に放ったあの言葉。心臓が握りつぶされる感覚に、ブランは口を引き結んだ。
そんなことに自信を持たなくていい。君は愛されるべき存在だと、近くで守って教えなくては。
ノワールを前にすると、罪悪感より心配が勝る。
この子は誰かが支えてやらないと、大変なことになる。ブランは冷や汗を流しながら、ノワールを守り抜く算段をつけ始めたのだった。




