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黒翼の番  作者: 市川 九
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25/43

25.優しい人

 自身の過去を粗方話し終えたブランは、小さく息を吐いた。アメリーに水を差し出され、感謝を述べてから受け取った。

「そんな訳で、私は有翼人から嫌われている。奴隷たちを本国に帰せば帰す程、過去の経験を語る者が増えるからな」

 ブランは水を一口飲むと、ノワールに視線を向けた。眉間にシワを寄せ、頭を下げる。

「すまない」

「!」

「私が怖いだろう」

 怖い。その言葉を聞いて、ノワールは一瞬固まった。だがすぐに我に返り、首を勢い良く横に振る。

 ブランの過去を聞いて、驚きはした。しかし怖いとは思わなかった。

 ノワールにとって『怖い』とは、過去の主人たちと、彼らにされた行為を指す。ローブで包んでくれたり、空を見せてくれたりするブランとは雲泥の差だ。

 しかし一瞬固まったのが良くなかったらしい。ブランは痛みに耐えるように微笑んだ。

「いいんだ。怖がられるのには慣れている」

「……ッ!」

「明日から君の引き取り手を探そう。時間はかかるかもしれないが、良い家を見つけると約束する」

 違う。怖くなんかない。ブランに引き取ってもらいたいのは、真実なのに。

 何を言えばいい。考えている間にも、ブランは話を進めてしまう。どうしたらと、ノワールが布団を握りしめた時だった。

「!」

 手に伝わる優しい温かさ。ノワールを救ってくれた物。これしかないと、ノワールは布団を持ち上げた。

「っ、」

「ノワールさま!」

「ッぶな……!」

 がしゃん、と点滴スタンドが倒れかける。腕を上げたことで、管が引っ張られたのだ。大事に至らなかったのは、ブランが覆いかぶさるように止めてくれたおかげだ。

 想像した光景とはまったく違う、不格好な姿。ブランに助けられた上、布団を見せつける形になってしまい、ノワールは静かに赤面した。

「ごめ、なさい……」

「いや、無事ならそれで……」

 ブランがゆっくりと点滴スタンドを直す。壁際のアメリーはホッと息をついていた。

 急に意味不明な行動に出たのだ。確実に困惑させている。

 ノワールはチラッと視線を動かし、点滴スタンドの位置を確認した。管が短いから届かないのだ。

 ならばと大急ぎで布団畳もうとするも、これも点滴の管のせいで上手くいかなかった。ぐちゃぐちゃの白い塊の完成である。

 ノワールは俯きながら、ブランに白い塊を差し出した。耳に熱が集まるのを感じる。

「……どういう、意味、だろうか……?」

 ですよねと胸中で叫び、ノワールはさらに俯いた。そりゃあ分かりっこない。優しいブランは一応受け取ってくれるものだから、一層顔が見られなくなった。

 もう白状するしかない。ノワールは自身の手を見つめながら、おずおずと口を開いた。

「ブランさま……ローブ、くるむ、くださった、の、マネ、しようと……」

 無理だったけど、と胸中で言い訳しながら、ノワールは胸の辺りを擦った。

「ここ、あったかい、なる、から……」

「……」

 だから、とノワールは顔を上げた。

「だから……ブランさま、こわい、ないです」

「!」

「ぼく、ひきとる、ブランさま、いい」

 だめ、ですか? とノワールは、脚の上で手を握り締めた。布団が無いだけで、急な孤独感に襲われた。

 ノワールにとって、ブランは空にも等しいのだ。

 雲のように真っ白で、日差しのように暖かくて、風のようにまっすぐな人。こんなにも胸を温かくしてくれるのは、ブランが初めてだった。誰が何と言おうと、それこそブランであっても、この事実は覆せない。

 ノワールは今、ブランに救われているのだから。

 沈黙するブランに、ノワールはちらちらと視線を送る。やっぱり駄目なのだろうか、胸に冷たいものが広がりだした時だった。

「……いいのか」

「!」

「君も、嫌われてしまうかもしれないのに」

 ブランの真剣な眼差しに、ノワールはキュッと口を引き結んだ。ニヤけてしまいそうだったからだ。

 やっぱりこの人は怖くなどない。優しさの塊だ。今だってノワールのことを心配してくれている。そんな心配でも胸が温かくなってしまうのだから、翼以外にも何処か悪いのかもしれない。

 ノワールはパンッ、と両頬を叩くと、ブランに向き直った。見開かれた栗色の眼は、やはり誰よりも美しかった。

「いいです」

「ッ、」

「ぼく、きらわれる、なれてる、です」

「……」

 だから大丈夫。珍しくはっきりと言えたものだから、ノワールは達成感を覚えた。

 事実、ノワールは奴隷時代、嫌悪や蔑みを向けられることは日常茶飯時だった。黒い眼が気持ち悪いだの、鳥のくせに喋って気味が悪いだの、挙げてしまえばきりがない。

 当初は傷ついたものだが、自分は相手を不快にさせる存在なのだと認めて以降、傷つくことはなくなった。むしろ、何を当たり前のことを言っているのかと、開き直れるようになった。ブランが心配する必要はないのだ。

 しかしブランは驚きから一転、複雑そうな顔をした。何故だろう。ニヤけずに言えたはずなのに。

 ブランは立ち上がると、布団をノワールにかけ直した。布団のシワを伸ばしながら、アメリー、と声をかける。

「噂の訂正は今後も続けてくれ。私も努力する」

「! それでは、」

「ああ」

 ノワールの手に自身の手を重ね、ブランは真剣な顔をした。

「ノワールは私が引き取る」

「!」

「私の家族になってくれるか?」

 ノワールの胸を温かくしてくれる、優しい笑み。ノワールは瞳を輝かせて、何度も何度も頷いた。表情筋が言うことを聞かない。きっとだらしない顔をしているはずだ。それでもブランの前でなら、どんな顔でも許される気がした。

 そんなめでたい雰囲気に、ズビッと水気のある音が入る。壁際に視線を向ければ、アメリーが口元を押さえて泣いていた。

「も、申じ訳ありまぜん……嬉じくで……」

 アメリーは壁際を向いて、泣き顔を隠した。彼女もノワールを心配してくれたのだ。お礼を言おうと、ノワールは息を整えた。

「ありがと、ございます、アメリーさま」

 貼り付けた笑みではない、本物の笑顔。初めて正面から目の当たりにし、アメリーからぶわりと涙が噴き出した。

「の、ノワールさま……! なんと勿体ないお言葉……!」

 私が幸せにしますからね……! と、ブランから手を奪い取って、キュッと握りしめた。まるで結婚相手にするような誓いである。

 一方ブランは、微笑ましい光景から強制的に外され、ポツンと一人で突っ立っていた。温もりのなくなった手を、ギュッと握り込む。

『ぼく、きらわれる、なれてる、です』

 脳裏に浮かぶのは、ノワールが真剣に放ったあの言葉。心臓が握りつぶされる感覚に、ブランは口を引き結んだ。

 そんなことに自信を持たなくていい。君は愛されるべき存在だと、近くで守って教えなくては。

 ノワールを前にすると、罪悪感より心配が勝る。

 この子は誰かが支えてやらないと、大変なことになる。ブランは冷や汗を流しながら、ノワールを守り抜く算段をつけ始めたのだった。

 


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