24.父の愛(下)◆
今回でブランの過去編は終わりです。次から現在軸に戻ります。
古代との話を終えたブランは、実家の前に立っていた。転移魔法で飛ばされたのだ。正直、先の森が何処かも見当がつかなかったし、路銀を節約できたのもありがたかった。
古代からの荷物を抱え、正門をくぐる。暖かかったはずの実家は、北風の厳しい荒れ地と化していた。
ヴォラティルの貴族は大抵、環境調整用魔導具を所有している。敷地内を温め、年中快適に過ごすためだ。おかげで山岳地帯でも植物は生えるし、天候に左右されることもない。緑が豊かであればあるほど、その家の経済力を示せるのだ。
しかし資産没収の罰が下った今、金目の物は国に回収されているはず。貴重な魔道具が屋敷に残っているわけがない。
緑が生えすぎて庭師を雇っていたくらいなのに、今は枯れたか凍っている。こんなにも寂しい場所だったのかと、ブランは荷物を抱え直した。
「——坊ちゃま?」
視界の外から声をかけられ、ブランはハッと視線を向ける。疲れた作業服を着た男は、青い眼を見開いていた。
「戻られたのですね! お加減は……って、お顔が真っ青じゃないですか! すぐにお休みにならないと!」
男は駆け寄ると、あわあわと一人で騒いでいた。自分だって顔色が悪いのに、ブランを屋敷へと誘導する。
男は庭師の一人だ。しかしそれ以上は知らない。遠くから何度か見かけたことがあるだけで、声を聞くのも初めてだからだ。同じ敷地にいたのに、若い見た目をしていたことも、心配性なことも知らなかった。
ブランはしばらく沈黙すると、名前は? と小さく呟いた。男は硬直した後、訳がわからないといった様子で礼をした。
「ロゾーと申します……?」
「ロゾー……ロゾーか」
ブランは何度か繰り返すと、ロゾー、と庭師に呼びかけた。
「いつも庭の手入れをありがとう。今日はもういいから、皆を父の執務室に集めてくれ」
「!」
ロゾーはまたも硬直すると、ブワッと涙をあふれさせた。突然の決壊に、ブランの肩が大きく跳ねる。
「ど、どうした」
「ぼ、坊ちゃまにご存知いただけていた上に、お褒めの言葉まで……」
感無量です……! と、ロゾーは目を押さえて俯いた。洪水に止む気配はない。むしろ勢いが増している。
しかし放っておくわけにもいかない。若干引きながら、ブランはロゾーと共に屋敷に戻ったのだった。
◆◆◆
ブランは執務室で息をついた。目の前には、現在屋敷にいる使用人が顔を揃えている。しかし普段の凛とした佇まいは何処にもなく、皆スンスンと鼻を鳴らしていた。
屋敷に戻った後も大変だった。
王城で抗議を続けていたはずの者が、突然帰って来たのだ。少し騒がれるだろうと覚悟はしていたが、予想は外れ。使用人全員が泣き出す大騒動となった。しかも突然の帰還が理由ではなく、ブランの無事や珍しい感謝の言葉のせいだった。周りが興奮していると、自分は返って冷静になる。初めて目の前にしたブランは、しばらく虚空を見つめていた。
気を取り直し、ブランはわざとらしく咳払いをした。さすがプロ。使用人たちは一瞬で姿勢を正した。
「まず、一連の騒動について謝罪させてほしい」
申し訳なかった。深々と頭を下げるブランに、使用人たちは目を見開いた。固まっていた身体に鞭を打ち、ブランの頭を上げるべく駆け寄った。
「おやめください! 坊ちゃまのせいではございません!」
「そうですよ! 元はと言えば、あの女がッ、」
「それでも気づけなかった私にも責任はある。本当にすまない」
ブランは身体に力を入れ、意地でも姿勢を崩さなかった。
それ以上に、使用人たちが黙り込む理由があった。ブランが自分のことを、『私』と表現したからだ。
貴族の子どもは、いずれは大人になることを求められる。言葉遣いもそのひとつだ。
だがブランはまだ八歳。まだ甘えてもいい子どもを、無理矢理大人にしてしまったのだ。
一緒に抗議をしていたら。もっと早く異変に気づけていたら。使用人たちは責を感じ、ただ俯くことしかできなかった。
口を引き結ぶ使用人たちに、ブランは顔を上げた。続けて悪いが、とブランは机の上に荷物を置いた。ガタンと重量感のある音に、使用人たちの視線が上がる。
「屋敷が国に渡る前に、ここを辞めてほしい」
「!」
「もちろん退職金は払う」
ブランが包を開けると、そこには青く輝く石があった。見覚えのある眩さに、使用人たちは息を呑む。
「氷蒼石……? このような高価な物、一体どちらで……?」
「借りた」
「借りた!?」
一転して騒がしくなった使用人たちに、ブランは頭を掻いた。
モネ家が受けた罰の一つは、資産の没収。それは屋敷に帰ってきた際に実感した。魔導具の効果はもちろん、屋内もあらかたの家具、雑貨がなくなっていたからだ。屋敷もそのうち取り上げられる。
長年世話になった者たちだ。退職金くらいは支払ってやりたい。しかし金目の物は没収されている。悩みの種は、古代のおかげで解決した。
古代にした望みの一つが、『退職金を借りること』だ。権力者であることは明らかだったし、もう一つの望みに関係すると分かれば、二つ返事で了承してくれた。国宝級の鉱物をごろごろと渡された際には、さすがのブランも金銭感覚を疑ったが。
これで使用人を退職させることができる。そう安堵していたブランの肩を、侍女のアメリーがガシリと掴む。冷や汗をダラダラ流し、険しい表情でブランを見つめていた。
「騙されております」
「は、」
「坊ちゃまは騙されております! このような高価な物、普通渡す者はおりません!」
「後ほど法外な要求をされますぞ!」
「きっとこの状況を狙って接触してきたんですよ! 僕が返却してきます! 何ならとっちめて、」
「待て待て待て」
待ってくれと、ブランは慌ててアメリーの手を掴んだ。使用人たちの視線が一斉に向く。皆目を吊り上げており、自分はそんなに信用されていないのだろうかと少しショックを受けた。
「私が頼んだんだ。後ほどお返しすると署名もした」
これで落ち着いてくれるだろう。そう安堵したのも束の間だった。
「しょ、署名まで……?」
「手遅れだったか……!」
「皆さん、今貯金いくらです? 皆で出し合えばまだ……」
怒りから通夜のような雰囲気へ。信用されていないことが確定となり、ブランは少し泣きたくなった。
「出さなくていい。あの古代さまからお借りしたんだ。私がお返しするから心配するな」
使用人たちは古代さまと呟くと、涙目をかっ開いた。
「こ、古代さま!?」
「古代さまって、あの古代さまですか!?」
「実在したんだ……てっきりおとぎ話かと」
「……待ってください。古代さまを騙る別人という可能性も……」
再び使用人たちがピシリと固まる。雰囲気が暗くなる前に、ブランは慌てて両手を挙げた。
「ちゃんと伝説通りのお姿だった。……とにかく! 私が後ほど返済するから、皆退職金として納めてくれ! この場にいない者にも全員!」
モネ家の使用人は一部屋に収まるほど少なくない。皆生活がかかっているのだ。見限って、早々に屋敷を出て行った者が大半だろう。別に責めるつもりはないし、現実的で良いとすら思う。ここに居る者たちが特殊なのだ。
ブランの言葉を聞くと、使用人たちは表情を曇らせた。
「お気づきでしたか……」
「旦那さまに救われておきながら、出て行った者たちですよ? 坊ちゃまが気にされる必要は……」
「あんな目に遭ったんだ。仕方がない。何なら手切れ金として渡しても良いから」
「坊ちゃま……」
何か言いたそうな視線を向けられたが、結局使用人たちは黙り込んだ。ブランは微笑みながら、鉱物の入った包を手渡した。
「それで新しい仕事と家を探してくれ。決まるまではここに居てもいいから」
包を大事そうに抱える使用人を前に、ブランはフッと息を吐いた。これでいい。これで使用人たちが生き倒れる心配はない。領民への布告も計画済みだ。
これで父も安心してくれる。笑みを浮かべるブランに、使用人たちは顔を歪ませた。
「……坊ちゃま」
「ん?」
「坊ちゃまは、これからどうなさるおつもりなのですか?」
「いなくなられたりしませんよね!」
「私共とご一緒していただけませんか? 以前と同じ生活はお約束できませんが……不自由なくお過ごしいただけるよう、全力を尽くします」
いかがでしょうか、と眉尻を下げる使用人たち。こんなにも思ってもらえているとは、想像もしていなかった。本当に恵まれていたのだと、ブランは痛感した。
本音をゴクリと飲み込み、ブランは笑みを取り繕った。
「……心配してくれてありがとう」
「! ではっ、」
「でも遠慮しておくよ」
もう生き方は決めたからと、ブランは子どものように笑った。
◆◆◆
使用人たちを見送った数日後。ブランは馬車に揺られていた。ガラガラと車輪が回る度、新しい人生が近づいてくるのを感じる。
あの後、使用人たちは無事、新しい仕事と家を見つけた。モネ家のせいで難航するかと心配していたが、元々能力のある者たちだ。使用人として雇いたい家は山のようにあったらしい。
領民への布告も、なんとか終えることができた。今は領地の隅々まで、一連の事件の説明が行き渡っているはずだ。集まった領民たちの、哀れみと疑念の入り交じった視線。あの刺すような視線を、ブランは一生忘れることはないだろう。
それにしても、馬車に乗せてもらえて良かった。徒歩で移動していたら、何日かかっていたことか。ブランは対面に座る婦人に頭を下げた。
「送っていただきありがとうございます」
王妃殿下、と微笑むと、対面の婦人——王妃は花のかんばせをいっそう美しくさせた。
「構いませんよ。可愛い甥の門出ですもの」
むしろこれくらいさせてちょうだい、と王妃は眉尻を下げて俯いた。
「あなたの父がいなければ、私も子どもたちもどうなっていたことか」
「……」
「私には勿体ないほど、立派な兄です。誰が、何と言おうと」
王妃は膝の上で手を握りしめた。小刻みに震える白い拳が、王妃の胸中を表していた。
父は現在、国の某所に投獄されているらしい。事件の捜査が終わり次第、首謀者たちと共に刑に処されるそうだ。
父のことは、未だに受け止めきれていない。今だって、無意識に顔が俯いてしまう。
「……これからどうするのですか」
ブランが顔を上げると、王妃は穏やかに微笑んでいた。相変わらず、人の機微に聡い方だ。だから多くの人に愛されるのだろう。
ブランは微笑むと、誓うようにはっきりと述べた。
「連合軍に入隊し、奴隷たちを一人でも多く救います」
これが、古代に申し出たもう一つの願いだ。
十年程前にできた連合軍は、奴隷救済を謳う多種族組織だ。当初はあまり成果が出ていなかったが、近年は入隊する者も増え、本国に帰れる奴隷が増えているらしい。古代はここに所属しているそうだ。
軍に入隊し、復讐相手として、奴隷たちの生きる原動力になる。罵られても、復讐されても構わない。それで誰かを救えるのなら、喜んで相手になろうと決めた。
そして、とブランは笑みを消した。これこそ本当の願い。ブランの生きる希望だ。
「人間たちに……自らの犯した罪を、思い知らせます」
差別する愚かさを。奴隷が受けた憎しみを。生きていることを後悔させるほどに。
ブランの抱える底知れない闇に、王妃は反対しなかった。ただひと言、そうですか、と呟くだけだった。
馬車の揺れがピタリと止まる。到着したようだ。
ブランは復讐心をしまい込み、対面の王妃に微笑んだ。
「送っていただき、ありがとうございました。ヴォラティルの益々の発展と、皆さまのご健勝を心よりお祈り申し上げます」
きっともう会うことはない。会えるはずがない。
席を立とうとしたとき、ブラン、と名を呼ばれた。動きを止めた刹那、花のような香りが鼻をくすぐる。久方ぶりの温もりが、ブランの頼りない身体を包みこんだ。
「いつでも帰って来なさい」
「!」
耳に届く確かな声に、ブランは目を見開いた。甥の動揺を気にせず、王妃は抱きしめる腕に力を込める。
「どうか息災で」
「……はい」
手が震えるのは愛情の証。叔母が彼女で良かったと、ブランは心から思った。
だからこそ、ブランは抱きしめ返さなかった。茨の道を進むのは、一人で十分だから。
「行って参ります」
王妃の腕から抜け出すと、ブランは微笑んだ。馬車から降り、これから進むべき道をしかと見据える。もう振り返ることはしなかった。
こうして八歳のブランは国を出た。軍に入隊し、両親の死刑執行日にも顔を出すことはなかった。
すべては己の罪と向き合い、復讐するため。
あれから十八年。二十六になった現在も、ブランは誓いを守り続けている。




