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黒翼の番  作者: 市川 九
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23/42

23.父の愛(中)◆

 釈放されたからといって、よし帰ろうと割り切れる程大人じゃない。帰る所も、守るべき民も失ったのだ。ブランは王城を追い出された後も、城の正門前で涙ながらに懇願した。望みは当然、父の死刑撤回である。

 夜になっても、腹が減っても居座った。強制的に移動させても、戻ってきて泣き喚くものだから、正門の兵士はげっそりしていた。それくらい、父だけでも返して欲しかったのだ。

 しかし飲まず食わずで泣き続ければ、当然体力は尽き果てる。釈放二日目にして、ブランは涙も流せなくなっていた。

 泣くでも叫ぶでもなく、ただ黙って座り込む。耳が壊れた兵士たちは、もう見て見ぬ振りを決め込んでいた。刺激してまた泣かれる方がきついと考えたのだ。

 釈放三日目。もう腹の虫も鳴らなくなり、現実との境目が分からなくなった頃だった。

 ——ブランに話しかける猛者が現れたのは。

「坊主」

 ブランの身体を、大きな影が覆い隠す。脚がやたらと細く、羽の多い影だった。

 ブランが反応しないのを、人見知りと受け取ったらしい。影の主は、正門の兵士に声をかけた。尖った爪で、座り込むブランに指をさす。

「おぬしの息子か?」

「ち、違います! この方……いえ、この者は……死刑判決が下った、モネ夫婦の、」

 ガタンッ、と何かが揺れる音がした。ちらりと視線を向ければ、見慣れない馬車が止まっていた。

 何処の家の馬車だろう。父上を助けてくれないかな。疲れた頭は、何でも父に繋げてしまう。

 影の主は、あー……、と喉を震わせながら頭を掻いた。髭ェ、と誰かに呼びかける。

「おぬしが娘を連れて行け。儂はこやつを捨ててくる」

「承知しました」

「すっ、捨て……! ちょ、」

 襟元を掴まれ、ブランの首がグイッと締まる。突如高くなった視界に、冷や汗を流す兵士の姿が映った。

「古代さまァ!?」

 ブランの身体はみるみる上空へ。慌てふためく兵士たちは、瞬きの間に豆粒程になっていた。


 ◆◆◆


 もう息が続かない。意識を失う一歩手前で、ブランは上空から降ろされた。

 四つん這いで咳き込みながら、やっとの思いで目を開く。一面の緑と草木の匂いが五感を刺激した。

 ここまで自然豊かな場所があったのか。呼吸がやっと落ち着いて、余裕が出てきた頃だった。

 緑だらけの視界に、大きな鳥の脚が映り込んだのは。

「まったく……」

 呆れる声に顔を上げ、目を疑った。ブランの身体が瞬く間に硬直する。

 人体に繋がる鳥の脚。魔物のような鋭い爪。背中から生えた四つの翼。ヴォラティルに伝わる伝説そのままの姿がそこにはあった。

「こ、だい、さま……」

 古代さま、始祖さま等々、呼び名は人の数ほどあるが、本当の名前は誰も知らない。呼んだら殺されるとも伝わる、ヴォラティルの現人神だ。

 鳥から有翼人に初めて進化できた方だとか、有翼人と精霊の混血だとか。王家もひれ伏すと噂の男は、ブランの顔を鷲掴んだ。乾ききった口に、大量の木の実を流し込む。

「ッ、……ッ!?」

「最近の若いモンは、ちと目を離した隙に死んでしまう。自分の命は自分で管理せい」

 とにかく命を繋ごうという気持ちは伝わる。しかし際限なく流し込んでくるものだから、気道が詰まって息ができない。むしろ死にそうだった。

 思い切り咳込むと、やっと木の実の滝が止まる。草花の上に、唾液で濡れた木の実が散らばった。

「もう要らぬのか。水は?」

 欲しい。欲しいが、空中に浮かぶ水球がでかすぎる。また流し込むつもりかと身構える前に、水球から大量の水が落ちてきた。この男は適量というものが分からないのだろうか。

 またブランが咳込んだことで、頭上からの滝が止まる。古代はため息をつくと、ブランの目の前にしゃがみ込んだ。

「気力があるなら、最初から食え。父と違って死なぬのだろう」

「!」

 ブランの肩がピクリと震える。俯いたことで、髪から雫がパタパタ落ちた。

「父は被害者です……死刑にされていいはず、」

「ないと言えるか?」

 思わぬ言葉に、ブランはパッと顔を上げる。古代は眉間にシワを寄せ、頬杖をついていた。

「儂が連れていた娘」

「……」

「馬車におった娘だ! 見とらんのか!」

 そういえばとブランは記憶を探っていく。正門前の馬車は、進んでもいないのに揺れていた気がする。馬が暴れた様子もなかったし、中に誰かがいたのかもしれない。

 それがどうしたと目を細めれば、古代はブランを睨みつけた。猛禽類のような目に、ゴクリと唾を飲む。

「おぬしの母に売られた、元奴隷だ」

「!」

 思わぬ言葉に、ブランは目を見開く。反応は正解だったようで、古代の圧が少し緩んだ。

「商会から顧客名簿が見つかってな。一人ひとり当たっておれば、見つかったというわけだ」

 実際のところ、名簿すべてを調べ終えたわけではないし、調べ終えた顧客全員が有翼人の奴隷を所有していたわけではない。購入者から購入者へ。命を物としてしか見られない者たちは、飽きたら捨てるか売ってしまうのだ。彼女が救出されたのも、名簿には載っていない家だった。

「尊厳も自由も奪われた者たちに、『自分たちも被害者だ』と言えるか? 『気づけなかった』と言えるか? あの子らを売った金で、何不自由なく生きてきたおぬしらが?」

「ッ……」

「儂が同じ立場なら、まず間違いなく赦さぬ。気がついた時には八つ裂きにしておるかもな」

 分かるか? と、古代はブランの頭を上から掴んだ。尖った爪が、ブランの肌を突き破る。鼻先に向け、ツーっと赤い液体が垂れていった。

「どう足掻こうと、おぬしらは『加害者側』だ」

「ッ!」

 鋭い眼光に、ブランは口を引き結んだ。

 否定したい。あんな怪物、家族じゃないと。

 だがブランに流れる血液の半分は、たしかにあの怪物の物なのだ。あんなにも汚らわしく、傲慢な者の血が。

「今は領民を救った英雄でも、次第に見る目は変わってゆくぞ。疑念、嫌悪、怨嗟……おぬしはこれらを、一生向けられることとなる」

「……」

「辛いな? 苦しいな? だが奴隷たちははるかに苦しい日々を送っておるのだ。死んで逃げようなどと思うなよ」

 儂が何度でもこの世に引きずり戻してやる、と古代は瞬きもせずに言い切った。力強く頭を押され、ブランの身体が地面に打ち付けられる。赤い血が緑の上にパタパタと落ち、ブランは唇を強く噛んだ。

「父上は逃げたいわけじゃない……ただ、そうするしかなかっただけで……」

 ブランを生かすため、国を守るために悪役を願い出たのだ。誰が何と言おうと立派な人だ。

「大体何ですか? 勝手に奴隷たちの声を代弁して。味方のように振る舞って! あなたのような立場の人に分かるわけがない!」

 高みの見物しかしてこなかったあなたに、とブランは古代を睨みつけた。

 もう不敬だとか、現人神だとかは関係ない。とにかく目の前の男が気に入らない。ただそれだけだった。

 見下ろし、沈黙していた古代は、分かるさと呟いた。

「人以下として蔑まれた時代があるからな」

「!」

「儂はこんな見た目だ。今でこそ現人神だ、何だと畏怖されておるが、当時は呪い子だと忌避された」

 石を投げられたこともある、と古代は冷たい視線を向けた。

 たしかに古代の姿は特殊だ。脚は鳥そのもので、爪は尖り、翼は四つ。有翼人にも人間にも、鳥にも魔物にもなりきれない、唯一のヒト。はるか昔に生まれたならば、今より呪いが身近な存在だったろう。理解できないもの、イコール呪いとされてもおかしくはない。

 やってしまった。口を噤むブランに対し、古代は鼻で笑った。

「想像もしておらんかったか。恵まれた者にありがちな思考だな」

「……」

「最低な日々を送っておるとな、生きる意味がわからなくなるのだよ。それでも儂が生きてここにおるのは、偏に奴らへの復讐心。いつか儂以上に苦しんで死んで欲しい……そう思えば、痛みも一瞬に感じられた。生きる活力が湧いた」

 口角を上げて笑う様に、ブランはゴクリと唾を飲んだ。

 怪物だ。母以上の怪物が、ブランの目の前で笑っていた。

「奴隷たちの中にもおるだろうよ。おぬしらへの復讐のために生きておる者が。そんな者たちに、おぬしら加害者は死んだと言うてみろ。途端に生きる意味を失い、彼らは死に近づくぞ」

 つまりこう言いたいのか。意地でも責任を感じさせようとしてくるこの男は。

 ブランは震える身体を叱責し、喉に力を入れた。

「……僕に生きて、彼ら以上に苦しめと?」

「惜しいな。ただ苦しんで生きろというわけではない。あの『モネ家』だと、知らしめながら生きろと言うとるのだ」

 知らしめる、とブランは復唱した。

「奴隷たちは情報に疎い。そんな彼らにも伝わるよう、他国まで名を轟かせろ。あの『モネ家』が生きておると分かれば、彼らは復讐心を燃やし、生きようとするだろう」

 それに、と古代は不敵な笑みを浮かべた。

 ブランを見下ろす目が三日月型に弧を描く。

「売買関係者も、ボロを出すかもしれぬしな」

「!」

 ブランの目が大きく見開かれる。騒がしい頭が、一気にクリアになったように感じられた。

「潜入した配下らの情報によれば、有翼人は特に高値で売買されるらしい。危ない橋だと理解しとっても、モネ家に接触したい奴らは多いだろう」

 なんせ有翼人専門だったからな、と古代は鼻で笑った。蔑むような、冷たい目つきで虚空を見ていた。ただの虚空ではない。その方角は、死刑囚のいる方角だった。

 一方ブランは、ある可能性に手を握り締めた。握った際、地面の草花も巻き込んでしまったがどうでもいい。今はそれ以上に、笑いをこらえるので精一杯だった。

 ブランは逸る鼓動に合わせ、古代に向けて顔を上げた。

「……古代さま」

 怪訝な顔がこちらを向く。ブランは空虚な胸に意味を押し込め、意志を持って古代を見つめた。

「お願いしたいことがございます」

 二人の間を、強い風が吹き抜ける。勢いのある風は、孤独なブランの背中を押してくれるようだった。


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