23.父の愛(中)◆
釈放されたからといって、よし帰ろうと割り切れる程大人じゃない。帰る所も、守るべき民も失ったのだ。ブランは王城を追い出された後も、城の正門前で涙ながらに懇願した。望みは当然、父の死刑撤回である。
夜になっても、腹が減っても居座った。強制的に移動させても、戻ってきて泣き喚くものだから、正門の兵士はげっそりしていた。それくらい、父だけでも返して欲しかったのだ。
しかし飲まず食わずで泣き続ければ、当然体力は尽き果てる。釈放二日目にして、ブランは涙も流せなくなっていた。
泣くでも叫ぶでもなく、ただ黙って座り込む。耳が壊れた兵士たちは、もう見て見ぬ振りを決め込んでいた。刺激してまた泣かれる方がきついと考えたのだ。
釈放三日目。もう腹の虫も鳴らなくなり、現実との境目が分からなくなった頃だった。
——ブランに話しかける猛者が現れたのは。
「坊主」
ブランの身体を、大きな影が覆い隠す。脚がやたらと細く、羽の多い影だった。
ブランが反応しないのを、人見知りと受け取ったらしい。影の主は、正門の兵士に声をかけた。尖った爪で、座り込むブランに指をさす。
「おぬしの息子か?」
「ち、違います! この方……いえ、この者は……死刑判決が下った、モネ夫婦の、」
ガタンッ、と何かが揺れる音がした。ちらりと視線を向ければ、見慣れない馬車が止まっていた。
何処の家の馬車だろう。父上を助けてくれないかな。疲れた頭は、何でも父に繋げてしまう。
影の主は、あー……、と喉を震わせながら頭を掻いた。髭ェ、と誰かに呼びかける。
「おぬしが娘を連れて行け。儂はこやつを捨ててくる」
「承知しました」
「すっ、捨て……! ちょ、」
襟元を掴まれ、ブランの首がグイッと締まる。突如高くなった視界に、冷や汗を流す兵士の姿が映った。
「古代さまァ!?」
ブランの身体はみるみる上空へ。慌てふためく兵士たちは、瞬きの間に豆粒程になっていた。
◆◆◆
もう息が続かない。意識を失う一歩手前で、ブランは上空から降ろされた。
四つん這いで咳き込みながら、やっとの思いで目を開く。一面の緑と草木の匂いが五感を刺激した。
ここまで自然豊かな場所があったのか。呼吸がやっと落ち着いて、余裕が出てきた頃だった。
緑だらけの視界に、大きな鳥の脚が映り込んだのは。
「まったく……」
呆れる声に顔を上げ、目を疑った。ブランの身体が瞬く間に硬直する。
人体に繋がる鳥の脚。魔物のような鋭い爪。背中から生えた四つの翼。ヴォラティルに伝わる伝説そのままの姿がそこにはあった。
「こ、だい、さま……」
古代さま、始祖さま等々、呼び名は人の数ほどあるが、本当の名前は誰も知らない。呼んだら殺されるとも伝わる、ヴォラティルの現人神だ。
鳥から有翼人に初めて進化できた方だとか、有翼人と精霊の混血だとか。王家もひれ伏すと噂の男は、ブランの顔を鷲掴んだ。乾ききった口に、大量の木の実を流し込む。
「ッ、……ッ!?」
「最近の若いモンは、ちと目を離した隙に死んでしまう。自分の命は自分で管理せい」
とにかく命を繋ごうという気持ちは伝わる。しかし際限なく流し込んでくるものだから、気道が詰まって息ができない。むしろ死にそうだった。
思い切り咳込むと、やっと木の実の滝が止まる。草花の上に、唾液で濡れた木の実が散らばった。
「もう要らぬのか。水は?」
欲しい。欲しいが、空中に浮かぶ水球がでかすぎる。また流し込むつもりかと身構える前に、水球から大量の水が落ちてきた。この男は適量というものが分からないのだろうか。
またブランが咳込んだことで、頭上からの滝が止まる。古代はため息をつくと、ブランの目の前にしゃがみ込んだ。
「気力があるなら、最初から食え。父と違って死なぬのだろう」
「!」
ブランの肩がピクリと震える。俯いたことで、髪から雫がパタパタ落ちた。
「父は被害者です……死刑にされていいはず、」
「ないと言えるか?」
思わぬ言葉に、ブランはパッと顔を上げる。古代は眉間にシワを寄せ、頬杖をついていた。
「儂が連れていた娘」
「……」
「馬車におった娘だ! 見とらんのか!」
そういえばとブランは記憶を探っていく。正門前の馬車は、進んでもいないのに揺れていた気がする。馬が暴れた様子もなかったし、中に誰かがいたのかもしれない。
それがどうしたと目を細めれば、古代はブランを睨みつけた。猛禽類のような目に、ゴクリと唾を飲む。
「おぬしの母に売られた、元奴隷だ」
「!」
思わぬ言葉に、ブランは目を見開く。反応は正解だったようで、古代の圧が少し緩んだ。
「商会から顧客名簿が見つかってな。一人ひとり当たっておれば、見つかったというわけだ」
実際のところ、名簿すべてを調べ終えたわけではないし、調べ終えた顧客全員が有翼人の奴隷を所有していたわけではない。購入者から購入者へ。命を物としてしか見られない者たちは、飽きたら捨てるか売ってしまうのだ。彼女が救出されたのも、名簿には載っていない家だった。
「尊厳も自由も奪われた者たちに、『自分たちも被害者だ』と言えるか? 『気づけなかった』と言えるか? あの子らを売った金で、何不自由なく生きてきたおぬしらが?」
「ッ……」
「儂が同じ立場なら、まず間違いなく赦さぬ。気がついた時には八つ裂きにしておるかもな」
分かるか? と、古代はブランの頭を上から掴んだ。尖った爪が、ブランの肌を突き破る。鼻先に向け、ツーっと赤い液体が垂れていった。
「どう足掻こうと、おぬしらは『加害者側』だ」
「ッ!」
鋭い眼光に、ブランは口を引き結んだ。
否定したい。あんな怪物、家族じゃないと。
だがブランに流れる血液の半分は、たしかにあの怪物の物なのだ。あんなにも汚らわしく、傲慢な者の血が。
「今は領民を救った英雄でも、次第に見る目は変わってゆくぞ。疑念、嫌悪、怨嗟……おぬしはこれらを、一生向けられることとなる」
「……」
「辛いな? 苦しいな? だが奴隷たちははるかに苦しい日々を送っておるのだ。死んで逃げようなどと思うなよ」
儂が何度でもこの世に引きずり戻してやる、と古代は瞬きもせずに言い切った。力強く頭を押され、ブランの身体が地面に打ち付けられる。赤い血が緑の上にパタパタと落ち、ブランは唇を強く噛んだ。
「父上は逃げたいわけじゃない……ただ、そうするしかなかっただけで……」
ブランを生かすため、国を守るために悪役を願い出たのだ。誰が何と言おうと立派な人だ。
「大体何ですか? 勝手に奴隷たちの声を代弁して。味方のように振る舞って! あなたのような立場の人に分かるわけがない!」
高みの見物しかしてこなかったあなたに、とブランは古代を睨みつけた。
もう不敬だとか、現人神だとかは関係ない。とにかく目の前の男が気に入らない。ただそれだけだった。
見下ろし、沈黙していた古代は、分かるさと呟いた。
「人以下として蔑まれた時代があるからな」
「!」
「儂はこんな見た目だ。今でこそ現人神だ、何だと畏怖されておるが、当時は呪い子だと忌避された」
石を投げられたこともある、と古代は冷たい視線を向けた。
たしかに古代の姿は特殊だ。脚は鳥そのもので、爪は尖り、翼は四つ。有翼人にも人間にも、鳥にも魔物にもなりきれない、唯一のヒト。はるか昔に生まれたならば、今より呪いが身近な存在だったろう。理解できないもの、イコール呪いとされてもおかしくはない。
やってしまった。口を噤むブランに対し、古代は鼻で笑った。
「想像もしておらんかったか。恵まれた者にありがちな思考だな」
「……」
「最低な日々を送っておるとな、生きる意味がわからなくなるのだよ。それでも儂が生きてここにおるのは、偏に奴らへの復讐心。いつか儂以上に苦しんで死んで欲しい……そう思えば、痛みも一瞬に感じられた。生きる活力が湧いた」
口角を上げて笑う様に、ブランはゴクリと唾を飲んだ。
怪物だ。母以上の怪物が、ブランの目の前で笑っていた。
「奴隷たちの中にもおるだろうよ。おぬしらへの復讐のために生きておる者が。そんな者たちに、おぬしら加害者は死んだと言うてみろ。途端に生きる意味を失い、彼らは死に近づくぞ」
つまりこう言いたいのか。意地でも責任を感じさせようとしてくるこの男は。
ブランは震える身体を叱責し、喉に力を入れた。
「……僕に生きて、彼ら以上に苦しめと?」
「惜しいな。ただ苦しんで生きろというわけではない。あの『モネ家』だと、知らしめながら生きろと言うとるのだ」
知らしめる、とブランは復唱した。
「奴隷たちは情報に疎い。そんな彼らにも伝わるよう、他国まで名を轟かせろ。あの『モネ家』が生きておると分かれば、彼らは復讐心を燃やし、生きようとするだろう」
それに、と古代は不敵な笑みを浮かべた。
ブランを見下ろす目が三日月型に弧を描く。
「売買関係者も、ボロを出すかもしれぬしな」
「!」
ブランの目が大きく見開かれる。騒がしい頭が、一気にクリアになったように感じられた。
「潜入した配下らの情報によれば、有翼人は特に高値で売買されるらしい。危ない橋だと理解しとっても、モネ家に接触したい奴らは多いだろう」
なんせ有翼人専門だったからな、と古代は鼻で笑った。蔑むような、冷たい目つきで虚空を見ていた。ただの虚空ではない。その方角は、死刑囚のいる方角だった。
一方ブランは、ある可能性に手を握り締めた。握った際、地面の草花も巻き込んでしまったがどうでもいい。今はそれ以上に、笑いをこらえるので精一杯だった。
ブランは逸る鼓動に合わせ、古代に向けて顔を上げた。
「……古代さま」
怪訝な顔がこちらを向く。ブランは空虚な胸に意味を押し込め、意志を持って古代を見つめた。
「お願いしたいことがございます」
二人の間を、強い風が吹き抜ける。勢いのある風は、孤独なブランの背中を押してくれるようだった。




