22.父の愛(上)◆
壊れた荷馬車から助けられた後、ブランは屋敷に帰ることができなかった。
状況的には、母親に売られかけた哀れな息子。しかし法律上、一人でも罪を犯せば、その家族や関係者も罪人となる。ブランは被害者であり、罪人だった。
一応被害者だからか、それとも病人だからか。ブランは暗い牢獄ではなく、質素な部屋に運ばれた。固いがベッドもあり、医師の診察も受けられた。
しかし父や使用人たちはどうだろうか。牢には寝床すらついていないと聞く。ブランと同様、騙された被害者なのに。
食事を運んでくる兵士や医者に尋ねても、答えられないの一点張り。父たちは被害者だと主張しても、国王まで伝わっているかはわからない。
ブランは熱にうなされながら、日々父たちの無事を祈っていた。
◆◆◆
助け出されてから二週間後。やっと父と再会できた。
しかし記憶の父とは違う。身体はひどく痩せ衰え、衣類は薄汚れていた。威厳も失い、とても公爵家の当主とは思えなかった。
再会は王城の廊下。ブランと揃いの木枷が、これから行われることを嫌でも理解させられた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。声を出す余裕もなく、ブランが足元を見つめていたときだった。
「ブラン」
「!」
扉の前で、父はようやく声を出した。ブランを視界に収め、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「何も心配することはない」
「……え?」
「おまえは大丈夫だ」
兵士に肘で小突かれ、父はすぐに前を向いた。扉が開き、父の顔に光が射す。
何か覚悟を決めたような、公爵としての父の姿があった。
◆◆◆
裁判は王の御前で行われた。ブランたちの後に続き、アメリーを含む上級使用人数名が連れてこられた。皆、怪物たちのせいでここにいるのだ。どうか恩赦をと、ブランは両手を固く握った。
「まさか義兄上とこのような形で対面することになろうとは……」
実に残念だと、国王は片手を額に当てた。ため息をつく横で、父の妹である王妃が固唾を呑んで見守っていた。
「結論から言おう。義兄上たちの関与は認められなかった」
「!」
ブランの肩がピクリと揺れる。もしかしたらと、胸中に一筋の光が射し始めた。
一人が罪を犯せば、一族郎党罪人となる。それが決まりだ。
しかし今回はイレギュラー。ブランたちは被害者な上、関与の証拠もない。仮に有罪としても、王妃の実家だ。ブランたちを裁けば、王族も裁かれなくては筋が通らない。それは国王も望んでいないはず。
助かるかもしれない。ブランがきつく目をつぶった時だった。
「現時点では、だが」
希望が一瞬で崩れ去る。ブランの身体から、サーッと血の気が引いていった。
「有罪ならば、関与の証拠が自ずと出てくる。しかし無罪はどうだ? 関与していない証拠など出てくるのか。そもそもそのような証拠が存在するのか。時間と人を費やしている間にも、国民の不満は募っていく……最悪、反乱が起きかねない」
どうしたものかと、国王は椅子の背に体重を預けた。
悔しいが国王の言うことは尤もだ。ブランがどれだけ被害者だと主張しても、被害者である証拠がない。そもそもあの怪物の息子であるため、信用されるわけがない。共謀して無実の被害者を演じたという方が、余程信用できる。
もう死刑になるしかないのかもしれない。ブランの目から光が消えた、そのときだった。
「——恐れながら国王陛下」
沈黙を貫いていた父が、突然口を開いた。周囲から起こる、ざわめきと非難の視線。呆けるブランの視線を他所に、父は毅然とした態度で続けた。
「一連の件を収める最善策がございます」
「!」
「お教えする代わりに……いくつか願いを聞き入れていただきたい」
「……」
国王は値踏みするような目で見ると、フッと小さく微笑んだ。
「聞こうか」
「ッ陛下!」
「ただし内容次第だ。それならば良かろう」
家臣の男はプルプルと拳を震わせた後、力を抜いて俯いた。場が静寂に満ちたことを確認すると、父は国王に頭を下げた。
「ありがとうございます。では一つ目。後ほど述べる最善策を、陛下のご発案として発表していただきたい」
「ふむ」
ブランは目を疑った。先ほどまで威厳の欠片もなかった父が、元の公爵のように語りだしたからだ。確かに痩せ衰え、服も薄汚れていたはずなのに。記憶とピタリと重なって、どちらが現実か分からなかった。
国王は顎を触ると、再び父に視線を向けた。
「内容によるな。次」
「二つ目。当家への罰は爵位の剥奪。そして資産、領地の没収としていただきたい」
「最低限、と言っておこう。次」
「はい。これが最後の願いです」
父はスッと息を吸うと、刃物のような眼差しで国王を射抜いた。
「三つ目。首謀者に私のみを加え……息子たちは、先の罰で見逃していただきたい」
「……え、」
「つまり?」
「はい」
国王が目を細めると、父は力強く頷いた。
「死刑となるのは、人間の使用人三名。そして……」
父の声が、静寂に鋭く響く。
「私たち夫婦です」
「ッ父上!」
「動くな!」
目を見開いて叫ぶブランを、兵士たちが捕まえる。大人数人がかりの拘束に、ブランは堪らず膝をついた。
それだけはいけない。父が罪人でないことは、ブランが一番理解している。父が死刑となり、自分だけがのうのうと生きるなど、茨だらけの暗闇を歩くようなもの。想像しただけで息ができず、ブランはきつく目をつぶった。
どうせ死刑になるなら自分も。そう叫びたいのに、拘束が強く叫べなかった。
「では最善策を」
「承知しました。失礼ですが国王陛下……一連の件、王家への批判は免れないかと」
自分が死刑になると言っておきながら、今度は王家を批判した父。憤慨され、そのまま刑に処されてもおかしくない。しかし国王は、わずかに笑みを浮かべただけだった。
「現在モネ領で行方不明となっている領民は十二名。しかし妻が国外に売買したのは、最低でも二十名。犯行は国内全域に及ぶと考えられます」
「……」
「それだけの国民を奪われておきながら、何の策も講じておられなかったとなると……反乱が起きるのは、時間の問題かと」
しかし、と父は力強く喉を震わせた。
「『公爵夫婦が意図して隠していた』と発表すれば……国民の批判は王家ではなく、私たち夫婦に向きます」
「!」
ブランは愕然とし、息をすることも忘れていた。
父は被害者でありながら、すべての罪を背負おうとしているのだ。国民の批判を一身に受け、この世を去ろうとしている。
そんなことはいけない。しかし口ははくはくと動くばかりで、肝心の声が出てこなかった。
そうしている間にも、大人たちの協議は進んでいく。
「息子はどうする? 両親の愚行に気づけなかったは無理があるぞ」
「気づいたことにすればいいのです。気づいて止めようとした結果、売られかけた。幸い荷馬車から救出される姿を目撃した者は多い。場所柄、有力な商人もいたでしょう。彼らに噂を広めさせれば、信じる国民も出てくるはずです」
使用人も息子派とすればいい、と父は語った。
「私たち夫婦は現王政に不満を感じ、反乱を画策。わざと行方不明者を出して民の不安を煽ることで、国と対立させようとした。……反乱を企てた公爵が死罪となれば、反乱分子への見せしめにもなるでしょう」
「お待ちください兄上!」
同席していた王妃が息を切らして立ち上がる。普段の凛とした佇まいが嘘のように、顔を苦痛に歪めていた。
「何故……何故そのようなことを仰るのです! 兄上は被害者ではありませんか! 現にブランを助けようとっ、」
「やめなさいレティサンス」
一瞥もしない国王の制止に、王妃は胸の前で拳を震わせた。あまりの力に、肌は白くなっていた。
そんな妹に、父は王妃殿下と線を引いた。
「あの女を国に招いた時点で、私の罪は確定したも同然です。言い逃れはできません」
最後に微笑んだのは、せめてもの情だろうか。父の穏やかな笑みに、王妃は口元を覆って泣き崩れた。
国王は口を噤んだ後、瞼を開けた。
「異論のある者は」
国王の問いに、周囲はしんと静まり返る。王妃のすすり泣く声だけが、光射す空間を彩っていた。
止めなければ。異論があると言わなければ。しかしどれだけ考えても、父以上の案が出てこない。ただひたすら、脳内で渦が巻き起こるだけ。
床にポタリと汗が垂れたとき、あの世への扉が開いた気がした。
「では一連の責を問い、モネ家から爵位を剥奪。資産、領地の没収。以上でブラン・モネ、並びに関係者は釈放とする」
「!」
「イグノランス・モネ。そなたは人身売買罪、及び国家反逆罪で、」
——死刑。
国王は言い終えると、罪悪感から目を逸らすように閉目した。
「構わないか、義兄上」
「はい。心より感謝申し上げます」
死刑囚を残し退城させよ!
国王は立ち上がると、兵に向けて声を張り上げた。拘束していた兵たちが、ブランの腕を掴み直す。
「……ちちうえ」
後ろから、使用人たちの抗議や泣き喚く声が聞こえてくる。しかし今のブランには、すべてがはるか遠くに感じられた。
「ちちうえ」
兵たちがブランの腕を引く。身体が引きずられようとしたが、血の気のない足で踏みとどまった。
「嫌です父上! 父上!」
「騒ぐな!」
子どもの力では、それも熱で体力の落ちた身体では、やすやすと引きずられてしまう。それでもブランは手を振りほどき、父の背に向けて心から叫ぶ。
「父上! ッ陛下、どうかお考え直しを! 父は被害者です! 何も悪くない!」
父が駄目なら陛下をと声を張り上げた。が、こちらに視線を向けもしない。距離は増々開いていく。
「嫌だッ、嫌です! 僕も死刑にッ、」
「ブラン」
どれだけ叫んでも、どれだけ焦っても、父の声だけは聞こえた。スッと寄り添うような、ブランの好きな声だった。
振り返った父は、普段と同じ穏やかな笑みを浮かべていた。時に干渉したかのように、やけにゆっくりと、はっきりと聞こえた。
「どうか息災で」
父の姿が暗く染まる。
違う。ブランの視界に、大扉の影が射したのだ。
「愛している」
バタン。その音を最後に、父の姿が消えた。
ブランの眼前には大扉だけ。無意識に力が抜けていく。
「……あ」
膝をついて扉を叩く。一回、二回。びくともしない。
「ああ……」
喉が勝手に震えてしまう。そんなことに力を使っている暇はないのに。
「あああァ!」
ブランの視界が涙に濡れる。扉を叩いても、頭を擦り付けても、愛する父は出てきてくれない。もう、あの笑顔を見ることはできないのだ。
王城にブランの悲痛な声がこだまする。助かったのだと安心している自分が汚らわしく、憎らしかった。
後日、国から国民へ布告がなされた。
両親たちが人身売買を秘匿し、反乱を企てたこと。
ブランと使用人はそれに抗い、領民を助けようとしたこと。それでも責任を感じ、罰を受け入れたこと。
ブランは父の死と引き換えに、真に民を想う、英雄になったのだ。




