21.母の愛(下)◆
ガタン、ガタンと車輪が回るような音がする。風をかき消すほどの賑やかな声。次の方ー、という声に続けて、身体が大きく上下した。
手で探っても、柔らかい布団はない。あるのは冷たい匂いのする木目だけ。そもそも手が絞められたように固定されている。自室でただ寝ていたはずなのに。
それにしても寒い。誰かが窓を開けっぱなしにしたのだろうか。ブランは犯人を探そうと、苛立ちながら瞼を開けた。
「……は?」
眼前に広がる、真っ暗な闇。深夜の森よりもはるかに暗い光景に、ブランは目を疑った。
高熱でついに幻覚まで見え出したのだろうか。目を擦ろうとしたが、腕が持ち上がらない。どころか、上から板状の物で押さえつけられていて、身体を動かすスペースがない。
幻覚にしては感触がある。身体で闇を探っていると、ゴッと何かを蹴った気がした。心なしか、すすり泣くような声も聞こえる。何かがいる。ブランが暗闇に目を凝らしたときだった。
口に布を噛まされ、涙する少女が見えたのは。
「ッ大丈夫か! 一体何が、」
「うるさい」
上からガンと衝撃が走る。突如射した光に、ブランはなんとか顔を上げた。上げてはいけなかった。
「……はは、うえ?」
「静かにしてくれる? これから検問なの。荷物は荷物らしくしていてちょうだい」
あと、と女が暗闇を覗き込む。血走った目が、ブランをギロリと睨んでいた。
「もう二度と母と呼ばないで。家畜の母だなんて虫酸が走る」
目が離れて、再度女の顔が顕になる。栗色の髪、栗色の目。愛していると言ってくれた優しい口。やはり母がそこにいた。
「……なんで」
思わず口をついて出た本音。ブランは先の忠告も忘れ、腹から声を張り上げた。
「何故ですか母上! 何故このようなことを、」
「——るッさいわね!」
目の前にドッと刃物が突き刺さる。母が上から刺したのだ。暗闇でも伝わる鋭い殺気に、ブランはゴクリと唾を飲んだ。
「それ以上騒ぐならもう一度刺すから。こっちからは見えないから……当たりどころが悪ければ死ぬかもね」
ゾッと背筋が震え、全身から汗が噴き出す。前にいる少女も、閉目してガタガタと震えていた。
恐怖で占められた暗闇に、奥さまァ、と聞き覚えのある声が響く。いつも母についていた、人間の侍女の声だった。
「殺しちゃだめですよ。翼が生えたての有翼人なんて、高値間違いなしなんですから」
「わかってるわよ。でもこの家畜うるさいから!」
「信じてた母上に売られようとしてるんですよ? 私だったら耐えられないなぁ」
内容の重さに対し、アハハと軽く笑う侍女。
常識があるのではない。他人事だから冷静でいられるのだ。
ふとブランの脳裏をよぎる、放牧された食肉用の動物たち。先ほどから出てくる『家畜』の意味が、ゾッと脳内を染め上げた。『家畜』は『自分』で、『自分』は『商品』なのだと。
胃液がこみ上げ、身体中から汗が噴き出す。それでも吐いてはいけないと思うのは、同じ空間にいる少女のためか、それとも。
『ブラン』
いつかの父の姿が、脳内でよみがえる。穏やかな声は、少しだけ恐怖を忘れさせてくれた。
『私たちは、領民に支えられて生きているんだよ。だから、』
「領民を、助けなさい……」
ブランの肌を涙が伝う。暗闇の先には、泣いて震える少女がいた。
ブランは床に涙をこすりつけ、ズッと大きく鼻をすすった。
母に裏切られたから何だ。家畜と罵られたから何だ。自分は父——モネ公爵の息子。領民を助ける義務がある。
もう迷わない。ブランは吐き気を気合いで飲み込み、そっと呼吸を再開させた。
息を潜めろ。耳を澄ませろ。わずかな希望でも掴むために。
ブランが静かになったのを、諦めと受け取ったらしい。上にいる母——母だった怪物は、フンと鼻で笑った。
「奥さま、そろそろ」
「ええ」
怪物の返事とともに、ブランの視界から光が消える。上をズリズリと這う音から、何かで穴を塞がれたのだと推測できた。
「それにしてもよく思いつきましたよね。商品の下に奴隷を隠すなんて」
「検問が甘いおかげよ。まぁいざとなったら、私の顔で通せるしね」
「さすがです公爵夫人」
「やめてよ。あんな家畜の妻なんて」
アハハと響く笑い声に、ブランは強く唇を噛んだ。だが収穫もある。響き方からして、上の板はそこまで厚くない。魔法を放てば、亀裂くらいは入れられるかもしれない。問題は、ブランが魔法を使えないことなのだが。
次の方ー、と再び聞こえ、ガラガラという音と共に身体が上下する。侍女だけではない、男の声。ついに検問の順番が回ってきたのだ。
「目的は?」
「商品の納入です。急ぎの注文が入りまして」
「中を見せていただいても?」
「どうぞ。傷はつけないでくださいね」
上からギシギシと圧がかかる。ブランは固く目をつぶった。
どうか気づいてくれ。兵を呼んでくれ。そんな願いも虚しく、問題ないですねと宣告された。鈍すぎて血管が切れそうだった。
これ以上進んではまずい。この検問が何処かはわからないが、国境付近なら大変なことになる。
当たり前だが、国によって法律は違う。ヴォラティルなら許されない人身売買も、人間の国なら許されてしまう。最悪一生戻ってこられず、怪物たちは罪に問われない。それだけは避けなくては。
上からフフッと声が聞こえる。聞き馴染みしかない声に、ブランは上を睨みつけた。
「良かったわね。夢だった人間の国に行けるわよ」
何が良いものか。罵っておきながら母親面しやがって。ブランが舌打ちをした、そのときだった。
「全員動くな!」
「!」
「モネ商会の荷馬車もだ! 止まれ!」
父の声だ。ブランはホッとし、深く息を吐き出した。女の舌打ちとともに、ブランたちを乗せた荷馬車が止まる。
「近頃、領民の行方不明事件が多発している! 悪いが身分と荷物を確認させてもらいたい!」
行方不明という言葉に、周囲がにわかに騒がしくなる。このままいけば助かる、そう思っていた。
不穏な会話が聞こえるまでは。
「……馬を走らせて」
「正気ですか? この距離じゃ捕まりますよ」
「このままでも捕まるでしょ! 門を通れば本国。私たちは捕まらない!」
頭上から聞こえる囁き声に、ブランはハッと視線を向けた。荷馬車がガタンと揺れ動く。
まずい。最悪の結末を迎えてしまう。高笑いする怪物たちを想像し、ブランは唇を噛み締めた。
どうしたらいい。少しでも動けば上から刃物で刺されてしまう。かといって動かなければ、国境を越えられてしまう。怪物たちにダメージを与えられ、かつ父にも気づいてもらえる方法。
暗闇の先では少女がはらはらと泣いている。懸けるしかない。ブランは翼ともいえない翼に、全神経を集中させた。
風の精霊ヴァンは翼を好み、有翼人に加護を授けるという。ブランが魔法を使えないのは、翼がなかったからだとしたら。
羽一枚でも、翼は翼。ブランは大きく息を吸い、見えない相手に語りかけた。
「……聞こえているなら助けてくれ——ヴァン!」
ドッと突風が巻き起こり、一瞬にして天井が吹き飛んだ。悲鳴と一面の青空に、ブランはホッと息を吐き出した。
そういえば、熱で寝込んでいたのだった。木片と風が熱い肌を撫でる中、ブランは意識を失った。
結局、ブランの母と侍女たち——怪物は捕まった。竜巻から叩き落とされ、逃げる余裕もないほど骨折していたという。
罪名は誘拐罪と人身売買罪。壊れた荷馬車から、ブラン含め三人の子どもが発見されたからだ。商会からは、有翼人を奴隷として販売していた証拠がいくつも見つかったという。
鉱山資源を目的に公爵に近づいた。事業の赤字を、奴隷販売の利益で埋めていたなど、怪物たちは後に語ったという。
当然怪物たちは死刑に処された。しかし、それで収まってくれる程、世間も法律も甘くない。
死刑となるのは一族郎党——ブランと父、そして使用人たち関係者も、疑いの目を向けられることとなる。
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柄にもなく小躍りできそうです。




