20.母の愛(中)◆
友人たちが帰った日の夜、ブランは突然の高熱に襲われた。すぐに治るという期待とは裏腹に、謎の高熱は一週間経っても下がらなかった。
「人間の血を引く子どもは初めてでして……医術ではどうにも……」
「我々の回復魔法でも駄目となると……教会にはもう、打つ手がありません」
公爵家お抱えの医者も、教会の手練れの術者も手を上げた。熱が下がる気配もない。公爵家は、次第に通夜のような雰囲気になっていった。
◆◆◆
『今日も奥さまはいらっしゃらないの? ご子息が伏せっているというのに』
『やっぱり人間じゃ駄目なんだわ。早々に離縁して、有翼人の方と結婚していただかないと』
『あの妙な占い師に呪われたのよ。奥さまが連れてきたりするから……』
意識が戻ったときほど、不快な会話が耳に届く。自室の外で行われる使用人のうわさ話が、熱にうなされるブランの動力源だった。
元気になったらただじゃおかない。母を悪く言った者は皆、屋敷から追い出してやる。
そう息巻く一方で、熱は悪い想像も連れてくる。
母が来ないのは、自分を愛していないから?
有翼人なら、愛してくれていた?
他でもない自分が、母をおかしくさせたのでは?
ひとつ浮かぶと、続々と悪い想像が浮かんでくる。
視界がぼやけるのは熱のせいか、涙のせいか。
自問自答が永遠にも感じ始めた頃、ブランの額に冷たい重みが乗った。瞼を開ければ、眉根を寄せてこちらを見つめる父の姿があった。
「……ちち、うえ」
「! ブラン!」
いつの間に来ていたのだろう。ブランの熱い手を握りしめ、大丈夫か、何か欲しいものはないかとしきりに聞いてくる。
大丈夫です。水が飲みたいです。答えはちゃんと浮かんでくるのに、口から出たのは違う言葉だった。
「はは、うえ、は……?」
父は一瞬眉間のシワを深くすると、何でもなかったかのように微笑んだ。手を握る力がさらに強くなる。
「……つい先ほどまでここにいたよ。交代して、今は自室で休んでいる」
「……そう、ですか」
嘘、と直感が囁いた。看病どころか、会いに来てすらいないのだ。だが父を困らせたくなくて、ブランは無理やり口角を上げた。
父が口を開きかけたとき、コンコンコンと控えめにドアが鳴る。父が入室を許可すると、使用人が頭を下げていた。
「旦那さま、そろそろ」
「……ああ、」
返事はするが、手を握る力は緩まない。
自分が背中を押さなくては。ブランは父に向け、精一杯の笑みを浮かべた。
「行ってください、ちちうえ」
「……ブラン」
「お戻りになる頃には、元気になっておきますので」
「……」
父は目元を震えさせると、そっとブランの手を放した。肌を撫でる空気が、途端に寂しく感じさせた。
「行ってくる」
ブランの額に手を乗せると、父は部屋を出ていった。自室の外から、領民、捜索といった言葉が聞こえてくる。
大丈夫。僕は愛されている。大丈夫。
自分自身に言い聞かせながら、ブランは再び目を閉じた。
◆◆◆
発熱十二日目。何やら騒がしいと目を開けると、自室にたくさんの人がいた。処置のしようがないと帰った医者、母を悪く言った使用人たち。しかし何処を探しても、ぼやける視界に母は映らない。
話し声が頭に響く。いい加減出ていってくれ、そう頼もうとしたときだった。
「……坊ちゃま」
医者がこちらに顔を向ける。複雑そうな、どこか落ち着かないような。医者はゴクリと唾をのみ込むと、恐る恐る口を開いた。
「背中、お分かりですか」
背中? と胸中で反芻する。確かに何か違和感があるような。肌が引っ張られるような、そんな感覚。
上体を起こしてもらい、手を違和感のある背後に回す。熱い指に、何か硬い突起が触れた。
「え」
この前まで平らだった背中に何かがある。硬直するブランの周りを、数枚の鏡が取り囲んだ。
そんなはずはない。鼓動に合わせて顔を上げれば、熱で真っ赤になった自分の姿。——そして。
「翼が、生えてきております」
肩甲骨のあたりから伸びる、二対の突起。先は白く、一枚の羽を生やしていた。
医者の言葉に、呼吸も忘れて瞠目する。よかった、急ぎご報告をと騒がしい周囲が耳障りだった。
「あくまで予想ですが、ここ最近の高熱は、翼を生やすためだったのかと。身体を作り変えるには、それなりのエネルギーが必要ですからね」
それにしても八歳で生えるとは、などと宣い、医者は自身の汗を拭った。チーフの隙間から見えたわずかな笑み。ブランの中に、ストンと何かが落ちる。——ああ、そうか。
心配ではない。研究対象を前に興奮しているのだ。
腹の底から殺意が湧く。僕が一瞬でも喜んだか? 笑みを見せたか? 人の気も知らないで、勝手に良いことだと決めつけて。
ギリっと歯を食いしばり、布団を握りしめたとき。パンッと高い音が鳴り、騒いでいた全員が口を噤んだ。
両掌を合わせたアメリーが、キッと周囲を睨みつけた。
「坊ちゃまは病人です。騒ぐなど以ての外。関係のない者は部屋を出ていきなさい」
「っ」
「先生も」
「は、」
「診察が終わったのなら、お帰りに」
アメリーの圧に押され、使用人たちと医者は部屋を出ていった。扉が閉まるまで睨みつけると、アメリーは振り返って頭を下げた。
「失礼いたしました、坊ちゃま。使用人を代表して謝罪いたします」
深々と頭を下げる姿に、ブランは力が抜けていくようだった。渦巻いていた毒も忘れ、ベッドに再び横になる。
「いいよ。何か清々した」
アメリーに布団をかけてもらい、やっと一息つけた心地がした。アメリーの泣きそうな顔に、思わず笑みが溢れる。
「何て顔してるんだ」
「坊ちゃま……」
「こうなる運命だったんだ。きっと母上も安心して下さる」
人間から有翼人になったのだ。これからは母に愛してもらえる。もっと一緒にいられる。そう考えると、自分の夢が途端に軽くなった気がした。
「母上には伝えたのか?」
「早馬を飛ばしましたので、時間の問題かと」
「そう……」
坊ちゃま、と呼ばれ、アメリーのいる方へと寝返りをうつ。アメリーは膝をつくと、力なく笑った。
「有翼人でも、外交の仕事はできますよ」
あの奥さまの子どもですもの。アメリーの言葉に、ブランの笑みが崩れだした。目尻からは、勝手に涙がこぼれていた。
◆◆◆
コンコンコン、とドアが鳴る。いつの間にか眠っていたらしい。ブランが声をかけると、ドアは急かすように開いた。不明瞭な視界でも分かるその人に、ブランは目を見開いた。
「ブラン!」
「……ははうえ」
母は部屋に入るやいなや、寝ているブランを抱きしめた。久しく嗅いでいなかった香りに、脳にはさらに熱が昇る。
「どう、して」
「どうして? 体調を崩した我が子を見に来るのは当然でしょう?」
遅くなってごめんなさいね、と母は優しく微笑んだ。
本当に来てくれたんだ。愛されていたんだ。ブランは皆に言って回りたい衝動に駆られた。
しかし高熱で、身体は思うように動かない。それでも今は、母が目の前にいる。それだけで満ち足りていた。
一秒でも長く話したい。一秒でも長く声を聞きたい。ブランは全神経を集中させて、母に向き合った。
「ごめんなさい、母上。お忙しいのに」
「いいのよ。そんなことより、起き上がれるかしら? あなたの翼を見せて」
「はい……!」
ブランは母の手を借り、上体を起こした。まだ翼にもなりきれていない見窄らしい骨を、母は慈しむようにそっと撫でた。
「すごい。これが翼になるのね……!」
「医者によると、そのようです」
母は笑みをこぼすと、後ろからブランに抱きついた。何カ月、何年ぶりかの接触に、身体は嫌でも強張ってしまう。
「ありがとうブラン。こんなに素晴らしい誕生日は生まれて初めてだわ」
お礼にあなたの望みも叶えてあげる。そう囁かれたところで、ブランは意識を失った。




