13.緊急手術
きゃーッ、と甲高い悲鳴が響く。声のした方向へ視線を向けて、ブランは栗色の目を見開いた。
ノワールが倒れていたからだ。
「ッ、ノワール!」
ブランは脇目も振らずに駆け寄り、ノワールの横に膝をつく。
「ノワール! ノワール!」
いくら揺すっても、荒い呼吸を繰り返すばかりで返事がない。掴んだノワールの肩は、棒切れのように頼りなかった。
心臓の辺りを握りしめているから胸が痛いのか。歯をガチガチと打ち付けているから寒いのか。どうにかしてやりたいのに、どう動けばいいのか分からない。こうして迷っている間にも、ノワールは苦しんでいるというのに。
ブランがギリっと唇を噛んだとき、頬に鋭い衝撃が走った。顔が熱く、舌には鉄の味が広がっていく。クリアになった視界に、真剣な眼差しを向けるイリスが映る。手には血がつき、小刻みに震えていた。
「しっかりしなさい!」
「!」
「医療部隊招集! そのあと馬車の現在地確認! 急ぐように伝えて!」
イリスの指示を受け、スッと息ができたような心地がした。ブランはノワールに視線を落としたあと、再度イリスへと視線を戻す。
「……頼む」
「上から目線やめろ。急いで!」
イリスの声に背中を押され、ブランは本部へと走り出す。前だけを向く瞳に、もう迷いは見られなかった。
◇◇◇
ブランはイリスの指示通り動いた。幸いにも馬車はすでに到着しており、手術に必要な最低限の器具も乗せられていた。ノワールを馬車へと移動させ、現在医療部隊総動員で手術に当たっている。
ブランは仕事を終え、フッと息をついた。緊張が解け、椅子に手をかける。が、座ろうとは思えず、通信用魔道具へと手を伸ばした。ノワールやイリスたち医療部隊が頑張っている中、自分だけ休むのは許せなかったからだ。
ブランに医療の知識はない。素直に指示を仰ごうと魔力を込めたそのとき、ブランの背後で物音がした。振り返れば、謎の魔道具を片手に入り口に立つ知己の姿があった。
知己——アルノーは入り口の仕切りを下ろし、ニッと笑みを浮かべる。
「ブランくーん」
「……」
「血、恵んで♡」
ああ、とブランは納得する。数多く居る軍人の中、ブランを名指しで、それもこのタイミングで要求してくるということは。
「あの子も私と同じ……混血だったか」
独り言にも近いブランの問いに、アルノーは表情を崩さなかった。
ただ一言、『守秘義務なんで言えません♡』、と。
◇◇◇
ブランの血液型は『W』である。これは有翼人と人間のハーフにのみ現れる血液型で、多種族国家の連合国においても珍しい血液型だ。当然、軍が保有する血液の予備も少なく、ブランは定期的に献血を求められる。
自身の腕に針がプツッと刺し込まれる。赤色が管を移動するのを横目に、テキパキと手を動かすアルノーへと視線を向ける。
「オマエ、こんなことまでできたのか」
「こんなことって?」
「採血」
ああ、とアルノーは笑みを浮かべた。
「こう見えて医者の家系だからな。番は凄腕の先生だし」
「そうだったな。実子ではなく、何故か嫁が医者になっていると、一時期笑い話になったものな」
「頭が足りなかったんだよ! 言わせんなよ! 練習通りいかなくても知らねぇぞ!」
「待て。まだ練習が必要なのか」
「本番はオマエが初めて」
「今すぐプロを呼べ。私で実験するな」
「皆手術にかかりっきりですー。どっかの誰かさんが患者を連れ回したせいでね!」
「……」
「……」
騒がしかった本部が静寂に満ちる。魔道具の稼働音だけが、ゴウンゴウンと響いていた。
ブランは責任を感じているのか、黙りこくったまま。そんな親友を前に、アルノーはため息をついた。
「ま、俺はそこまで責める気にはなれないけどね。オマエが動いてなかったら、あの子は決断できなかった。今の手術だってできていない」
「……」
渾身のフォローにもなびかない。アルノーは口角をヒクヒクと震わせたあと、机に頬杖をついた。
「急にどうしたんだよ」
俯いていたブランの瞳がわずかに上がる。これはチャンスかもしれない。アルノーは上がりそうになる口角を叱責し、真剣な面持ちで尋ねた。
「いつもは裏方ばっかで、自分から関わりに行こうとしないじゃん。そんなオマエが、あの子にだけは進んで手を貸してる。何かあんのかって考えたくもなるだろ」
「……」
「もしかして一目惚れ?」
「違う」
食い気味な否定。少し期待していたアルノーは肩を落とした。
「……罪を償おうと思っただけだ」
その言葉に、アルノーはムッと口を曲げる。無意識の内に、眉間には皺が寄っていた。
「オマエの罪じゃない」
「親の罪は子の罪だ」
「違う」
「違うものか。少なくとも被害者にとってはな」
「……」
「……」
再度の沈黙。破ったのはアルノーのため息だった。
「……オマエ、あの子を引き取るつもりだろ」
「!」
助けた奴隷たちは、治療の後、故郷や養護施設へ送り届ける手筈になっている。しかしそれは、体調面に大きな問題がなかった場合。問題が見つかったノワールは、軍の医療施設で療養を続けることになる。
その後養護施設へ、といきたいところだが、ノワールの場合は大手術。退院後の通院、リハビリなどを考えると、養護施設では手に負えない。引き取ってもらえても、里親になりたい者が現れる可能性は低い。病気の子は、養育費に加えて医療費もかかるからだ。
ノワールを引き取るなら、裕福で、看病できる人間がおり、かつ奴隷救済に理解のある者が望ましい。ブランならそれらすべてに合致している。彼以上の引き取り手は中々いないだろう。
ただブランは、ノワールだから引き取りたいというわけではない。そこをアルノーは問題視しているのだ。
「罪滅ぼしのために引き取りたいってんならやめとけ。ノワールに失礼だ」
「……」
「仮に引き取ったとして、引き取った理由を知られたら? あの子は不必要に傷つくことになる。そんなヤツの所には送れないね」
アルノーがやや雑に腕の針を抜く。ブランの腕に、小さな血の玉が浮き上がった。
「……私が引き取るに値しないことは理解している。ただ……」
上空でのノワールを思い出す。夜色の瞳をキラキラと輝かせ、頬を赤く染めていた。また一緒に飛んでほしいと、涙まで流していた。
「そのままの君で良いと、教えてやりたい……」
ポツリとこぼされた本音に、アルノーの手が止まる。ブランが沈黙に顔を上げたそのときだった。
アルノーが吹き出したのは。
「ッ、ハハハハ!」
「イッ……!」
針を刺した箇所に、アルノーが思い切りテープを貼る。ほぼ叩かれたようなもので、ブランは思わずうめき声を上げた。
「オマエ……」
「最初からそう言えっつーの! あー、心配して損した」
「ハァ?」
「審査のときは今の言えよ? まぁ、あの子引き取れるのはウチかオマエくらいだけど!」
笑いの止まらないアルノーを前に、ブランの顔には血管が浮かんでいく。火力は最高。沸点に到達するそのときだった。
『ブラン・モネ! アルノー・ベルニエ! 採血にどんだけ時間かけてんの! 血ぃ持ってさっさと手術手伝いなさい!』
ピアス型の通信魔導具から、イリスの怒号が響き渡る。超至近距離からの音圧に、ブランとアルノーの耳はねじ切れる寸前だった。
ようやく耳が使い物になった頃、ブランとアルノーは立ち上がった。
「魔導具から叫ぶなとあれ程……」
「オマエそれ絶対言うなよ。あとで愚痴聞かされるの俺だからな」
よろめきながらも、魔導具片手に馬車へと走り出す。到着したら再度お叱りを受けるのだが、『ブランの恋愛相談を受けていて遅くなった』と、雑な説明で切り抜けるのだった。




