12.優しさか償いか
しばらく空中散歩を楽しんでいた二人だったが、ノワールがくしゃみをしたため中断となった。今は負荷を少しでも抑えるため、ゆっくりと降下している。
降下中にも、寒くないか、痛くないかとしきりに確認してくるブラン。その思いやりがくすぐったいと同時に、ふとした疑問が頭をよぎる。
言うべきか、言わないべきか。表情には出していないはずなのに、ブランはどうしたと問いかけてきた。頭を覗く魔法でも持っているのだろうか。
「ブランさま」
「ん?」
「どして、こんな、やさしい、ですか?」
アルノーは、奴隷への支援が仕事だと教えてくれた。食事や服の提供も、ノワールが知る限りすべての奴隷が享受していた。
しかしブランはどうだろうか。自死を図るノワールの下へ足繁く通い、我儘まで叶えてくれた。皆一様に同じ対応をするならまだしも、他に空を飛んでいる奴隷はいない。ブランだけが、行き過ぎなほど尽くしてくれている。
こんなに優しくて大丈夫か、いつか倒れてしまわないかと悪い方向に考えるノワールに、ブランはフッと笑みをこぼした。
「君にはそう見えるか」
コクリと頷くノワールに、ブランはわずかに眉尻を下げた。
「私のは『優しさ』じゃない。『償い』だ」
「ツグナイ?」
「『反省しています』ということだ」
強風が吹き、ブランの白髪が顔に影を作る。陽光を拒んだその顔は、どこか悲しげに映った。
『反省』とは、何か悪いことをしてしまったのだろうか。ノワールの知るブランは、とても立派な人なのに。
何か言いたい。でも、何を言えばいいのか分からない。ノワールが首に回す手に力を込めたそのときだった。
「コラァーーーーーー!!!!!!!!」
地上から怒号が聞こえたのは。
「なァに考えてんのよ、ブラン! その子は病人! 要安静! 空飛ぶなんて論外なのよ!」
「イリスさま……」
「面倒な奴に見つかった」
舌打ちまでかますブランに、先程の暗さは見当たらない。ノワールは胸に湧いていた何かを、奥底にしまっておくことにした。
ブランはノワールを抱える手に力を込めると、難なく着地した。イリスが近づいてくるのも気にせず、バッサバッサと白翼を整える。
対してイリスは白翼をこれでもかと広げ、全身全霊で威嚇していた。
「ブラン! アンタね、」
「立てるか?」
「は、はい」
「話を! 聞け!」
わなわなと拳を震わせるイリスは、今にもブランに殴りかかりそうだ。そうはさせまいと、ノワールはイリスの前に立ちふさがった。
「まつ、ください、イリスさまっ……! たのむ、した、ぼくです」
「っ……、……え?」
頼んだ? と呟くイリスは、毒気が抜かれたようだった。握りしめた拳が、中途半端な高さまで下ろされる。
謝るなら今だ。ノワールは服を握りしめると、勢いよく頭を下げた。
「ごめ、なさい、イリスさま」
「!」
「ひどいこと、いう、ましたっ、ごめなさい……! あやまる、おそい、ごめなさいっ……。しんぱい、かけた、ごめなさい……」
視界はどんどん潤んでいくが、泣きたいのは傷つけられたイリスの方だ。絶対に涙をこぼしてはならないと、ノワールは目に力を入れた。
「ひどいこと、たくさんした、けどっ……、しゅじゅつ、する、くれますかっ……?」
「……」
待てども待てども、イリスからの返答はない。ドッドッとやけにうるさく響く心臓が、時間を永遠に感じさせた。
謝ったからチャラになるとは思っていない。嫌な記憶はいつまでも付いてくる。それを植え付けたノワールは重罪だ。
だからこそ、ノワールはイリスに頼みたいのだ。
責任をイリスに押し付けるためではない。どんな結果になろうとも、受け入れるために。
地面だけだった視界に、白い靴が入り込む。ノワールがゴクリと唾を飲み込むと、肩に温もりが添えられた。
「いいの? 翼を失うことになるのよ」
顔を上げれば、イリスの真剣な瞳と目が合った。
もう迷うことはない。ノワールは力強く頷いた。
「いい、です」
「そう……」
イリスはしゃんと立つと、自身の胸をドンと叩いた。陽光が不敵な笑みをキラキラと輝かせる。
「任せといて! こう見えて切るのは得意だから!」
「人体実験が趣味だからな」
ブランの余計な一言に、イリスが再度拳を振りかぶる。仲がいいのか悪いのか。苦笑するノワールに、イリスは再度向き直った。
「そういえば、『ごめんなさい』って何のこと? 謝られるようなことあったかしら?」
「え、」
「分かったろう。イリスに繊細さを求めるだけ無駄だ」
「ア゙?」
ブランは余計な一言を挟まなければ気が済まないのだろうか。それでも逃げる気はないらしく、大人しくイリスに締め上げられていた。
イリスはブランの胸ぐらをつかみながら、ノワールに笑顔を向ける。
「決断してくれてありがとう。疲れたでしょうし、あなたは迎えが来るまで休んでいて」
「でも……」
「ああ、コイツのことは気にしなくていいのよ! ちょーっと話があるだけだから!」
ねぇ? と尋ねるイリスの顔には、確かに血管が浮かんでいた。ブランも早く行けと手を振ってくるので、ノワールは素直に部屋に戻ることにした。敵前逃亡ともいえる。
それにしてもと、ノワールは胸の辺りを掴んだ。
空中散歩とイリスへの謝罪があったとはいえ、未だに心臓の音が響いている。心なしか息もし辛い。地べたに転がされるようなことは、もう起きていないはずなのに。
背後で行われる喧嘩よりも、自身の呼吸が主張したとき。ノワールの視界はぐらりと揺れた。
「え」
「ッ、ノワール!」
地面に打ち付けられる感覚とともに、周囲が突然騒がしくなる。呼吸音と悲鳴が入り混じる中、ブランの声がやけに鮮明に響いていた。




