↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒翼の番  作者: 市川 九
PR
10/44

10.分岐点

「——つまり、イリスへの謝罪のため、できるだけ早く死のうとしたと」

 ノワールは鼻をすんすん啜りながら、控えめに頷いた。

 ブランには全て明かした。助けようとしてくれたイリスを突き放したこと。今日まで謝れていないこと。死が最大の誠意になると考えたこと。だから食事も取らずに蹲っていたこと。やはりちゃんと謝りたいこと。

 途中うまく言葉にできなくなったノワールを、ブランは急かさなかった。困ったら言葉の候補を挙げ、それ以外は口を挟まない。そんなブランだから、ノワールも最後まで言葉にできたのだ。

 ノワールに水を渡すと、ブランは隣に腰を下ろした。口元を手で覆い、フーっと小さく息を吐く。

「私はてっきり手術のことで悩んでいるとばかり……」

 ノワールが水を飲み終えたのを確認すると、ブランは彼へと向き直った。

「ノワール」

「?」

「はじめに言っておく。イリスは君に怒っていない」

「!」

 ノワールが目を見開くのは想定内。ここからどう伝えるのかが問題だと、ブランは必死に言葉を選ぶ。

「大切な身体のことだ。手術を嫌がるのは普通のことだし、イリスも言われ慣れている。気にする必要はない」

「……」

 口を開いては閉じて、開いては閉じて。結局俯いて黙り込んだノワールに、ブランはひとつ咳払いをした。

「そもそも奴は、一族の中でも図太いことで有名だ。今朝も大して上手くもない鼻歌で周囲の耳を汚して……やめろと再三言っているのに」

 怒っている奴が鼻歌を歌うと思うか? と問われ、ノワールは首を横に振った。同僚のブランが言うならそうなのかもしれない。しかしならば何故。

「しんさつ……イリス、さま、こない……」

 怒っていると思った最大の理由。定期巡回でイリスが来ない訳は? 俯くノワールを前に、ブランは白髪を乱雑にかいた。

「……『私が行くと、手術のことを嫌でも思い出す』」

「!」

「『決断はしてほしい。でも急かしたくもない。だから会わない』……そう言っていた」

 普段内部の情報はもらさないブランだが、今回ばかりは仕方がない。誤解させたオマエが悪いと、ブランは脳内で責任を押し付けた。

「つまり奴は怒っていない。むしろ死なれる方が怒、……」

 ノワールの眼から、再び大粒の涙が溢れる。また何かやらかしてしまったかと胸中で焦るブランの耳に、涙混じりの声が届く。

「イリス、さま、うたがう、ちゃった……」

 そうきたか、とブランは内心で頭を抱えた。今度はイリスを疑った自分自身を責めているのだ。

 喚かず騒がず、ただひたすら涙を流すノワール。

 あまりに純粋で、あまりに壊れやすい。正しい泣き方も知らない子ども。

 この子は苦労しそうだと、ブランは泣き止むまでノワールの手を握っていた。


 ◇◇◇


 説得の末、ブランはスープだけでも飲ませることに成功した。本当は完食させたいところだったが、ノワールは絶食明け。無理に食べさせて吐く方が辛かろうと判断した。

 残った食事を調理場に預け、ノワールを連れてイリスのいる救護テントを目指す。ノワールは説得の大半には応じても、イリスに謝ることだけは譲らなかったのだ。ブランは部屋を出た今でも、あんな奴に謝らなくてもと内心で独りごちている。

 無言で連れて行ってもよかったが、手術の迎えが来るまであと数時間もない。罪悪感を覚えつつ、ブランは後ろをついてくるノワールを振り返った。

「——手術のことだが……決められたか?」

 翼を切るか、翼を残すか。

 嫌だと叫んだノワールのことだ。きっと決められていないと当たりをつけたが、返答はすぐに返ってきた。

「イリスさま、めいわく、ない、の、します」

「……」

 辿々しい言葉も慣れたもの。優秀な頭が解読した答えに、ブランは思わず足を止めた。内心で頭を抱えすぎて、現実でもしてしまいそうだった。

 ノワールの出した答えは、『イリスに迷惑のかからない方にする』。つまり切るも残すもイリス任せということだ。イリスに会う前で良かったと安堵しつつ、振り返って膝をつく。すれ違う部下の視線が痛い。

「……イリスではなく、君の意思が聞きたい」

「……?」

 ノワールがコテンと首を傾げる。本当に分かっていない気配に、ブランは胸中でため息をついた。

 ノワールには意思がない。無くなるように育てられたのだろう。それはこれまでノワールに関わった人間たちの罪であり、ブランの罪でもあった。

 このままではいけない。いけないことを理解させなくてはならない。

 怒りを外へ追いやるように、ハーッと大きく息を吐く。ノワールがビクッと震えた気配がしたが、今回ばかりは助けてはいけない。

「……仮にイリスに任せたとして」

「?」

「後悔したら、イリスのせいにするのか?」

「……?」

「君の答えだと、いつか選ばなかった方を羨んだとき……『イリスが選ばなかったから不幸になった』。そう言ってしまえる」

 ノワールの夜色の瞳が見開かれる。ブランは内心で笑みを浮かべた。

 気付きは与えた。しかしまだ足りない。より確かなものにするために、ブランはさらに意地の悪い質問を重ねる。

「イリスのせいにしたくて選ばないのか?」

「ちがっ……!」

「ならばどうする? このままだとイリスに責任を押し付けることになるぞ」

「……!」

 ノワールの青白い手がプルプルと震える。服を強く握りしめすぎて、皮膚が破れそうだった。

「ぼく、は」

 ノワールの頬に透明な線が一筋伝う。

「つばさ、切る、いやだ……っ」

 口を開く度に溢れる涙。ぽろぽろ、ぽろぽろと際限なく溢れる宝石は、普段の貼り付けた笑みの何倍も美しかった。

「でも、のこす……してもっ、空、飛べない……。空飛ぶ、夢、あった、のにっ!」

 いつか空を飛んでみたい。それがノワールの数少ない意思であり、夢だった。

 日常の大半は檻の中。檻から出ても鎖に繋がれ、空にはどうやったって届かなかった。

 重い鎖が外れたら、元気になったら。あの青い世界に飛び込む想像をしたら、どんな現実にも耐えられたのに。

「飛べない、なら、どうする、いい、わかる、ない……」

「……ああ」

「ごめ、なさい……」

「いや、私もすまなかった。辛いことを言わせてしまった」

 ノワールは俯きながら、首を勢いよく横に振る。意地の悪い質問をしてきた相手だというのに。

 ブランは苦笑すると、ノワールの涙を拭った。泣き腫らした目元の赤が、彼が生きている他でもない証拠だった。

 ノワールの意思はわかった。『翼は切りたくない。だが残したとしても死ぬだけなので、どちらを選ぶべきか分からない』——檻から出たばかりの子どもには、有り余るほどの苦難。ノワールのため、そしてブラン自身のため、何か手はないかと思案に耽ったときだった。

 白い羽根が舞い落ちたのは。

「……あるな」

「……?」

「あるぞ。君が空を飛ぶ方法」

 ノワールの瞳に光が射す。涙が光を反射し、まるで夜空を閉じ込めたようだった。

 ブランは立ち上がると、ノワールに向けて微笑んだ。

「外へ行こう。一面の青を見に」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。