花から果実へ
ジャスミーヌが目を覚ましたときには、もう朝になっていた。
彼女はいつもの癖で寝返りを打ち、隣で眠っているはずの人を確かめようと手を伸ばした。
けれど、指先が触れたのは、冷えたシーツだけだった。
「セリーナ……」
ジャスミーヌは小さく息を吐いた。
それから枕元のテーブルに置いてあった、淡い桃紫色の花をあしらった髪留めを手に取り、いったん襟元に留める。
ベッドを降りると、床に積み上げられた荷物を器用によけながら、身支度を始めた。
新しい服に着替え、編み紐で髪をまとめる。最後に鏡を見ながら少し考えてから、襟元に留めていた桃紫色の髪留めを外し、今度は前髪の脇へ丁寧に留め直した。
昨夜、部屋へ戻ってからのジャスミーヌは、泣き腫らした目のまま、一つひとつ荷物を片づけていた。
ようやく手を止めた頃には、持っていくものはすべて種類ごとに分けられ、箱の中へきちんと収められていた。
セリーナが遺言に記していた、果てなき部族の人々へ遺す品々も、ジャスミーヌが一つずつ包装紙とリボンで包み、贈る相手の名前を書き添えた。
そこまで終えて、ようやく彼女は休んだ。
セリーナがこの家に遺したものは多かった。
服。
編み物。
日用品。
それから、名もない細々とした品々。
最後に彼女が本当に持っていったのは、ジャスミーヌが自分の手で作った、あの桃色のヴェールだけだった。
アンナたちが扉を叩いた頃には、ジャスミーヌはすでにすべての荷物を居間へ運び終え、部屋の掃除まで済ませていた。
家の中は、まるで最初から誰も暮らしていなかったかのように、すっかり整っている。
「わあ、すごく綺麗!」
「片づけなら、私たちに任せてくれてもよかったのに……」
「昨日の夜、ちゃんと寝た?」
ひとしきり慌ただしくしたあと、娘たちはジャスミーヌの荷物や、皆へ配るための贈り物をそれぞれ持ち始めた。
そのときジャスミーヌは、彼女たちの今日の装いが、普段とは少し違うことに気づいた。
これまで彼女たちの白い衣装には、いつもさまざまな花の刺繍が施されていた。
けれど今日は、その花がすべて消えている。
代わりに刺繍されているのは、熟した果実と、黄金色の葉だった。
ジャスミーヌは少し気になったものの、結局何も尋ねなかった。
果てなき部族には、外の人間には説明されないことがいくつもある。
そして、自分がそのすべての答えを知る必要もないのだと、彼女も少しずつ理解し始めていた。
娘たちは互いに顔を見合わせた。
やがてアンナが、ずっと背中に隠していたものを取り出す。
それは丁寧に編まれた藤籠だった。中にはかなりたくさんのものが詰められているらしい。
「これ、記念に持っていって」
「安心して。外に持ち出しちゃ駄目なものは入ってないから」
「ちゃんとみんなで確認したよ」
「またいつか来られたらいいのにね」
「果てなき部族なら必ず読むという、『果てなき部族の始まり――ピクミン一族の偉大なる航海』も持っていく?」
ジャスミーヌはずしりと重い藤籠を受け取った。
途端に、目の奥がまた熱くなる。
「ありがとう」
声が少し震えた。
「もう、大げさだなあ。ただのちょっとしたお土産だよ」
「ううん。本当に」
ジャスミーヌは目元を拭い、一人ひとりの顔を見ながら、ゆっくりと言った。
「アンナ、ミア、デイジー。ありがとう……セリーナのために、それから私のために、本当にいろいろしてくれて」
娘たちは数秒のあいだ黙り込んだ。
やがて、アンナが口を開いた。
「ジャスミーヌ。お礼を言いたいのは、私たちのほうでもあるんだよ」
彼女は笑った。
「知ってる? ここに外の人がこんなに長く暮らすことって、ほとんどないの」
「私たちは二十代になると、何年か外へ出ることを許されるの。外の世界を見たり、新しいことを学んだり。女の人なら、外で子供を産んで、その子を連れて戻ってくることもある」
「でも結局、最後にはみんなここへ帰ってくる」
「それで?」
「だから、外から来た人が私たちのすぐそばで暮らして、毎日一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたりして、それで友達にまでなれるなんて、本当に珍しいことなんだよ」
そこでアンナは、何か思い出したようににっこり笑った。
「ちなみに、私もまだ独身だからね」
ジャスミーヌはじっと彼女を見た。
「……まだ諦めてなかったの?」
「もちろん。私、けっこう懐が深いんだよ」
アンナはにこにこと笑いながら、自分の胸をぽんと叩いた。
「第二夫人でも全然構わないし。子供の世話も得意だから!」
「別の話をしましょう」
ジャスミーヌは即座に話を打ち切った。
ただ、アンナがさっき口にした「最後にはみんなここへ帰ってくる」という言葉から、ふと別のことを思い出す。
「そういえば。昨日、ジュリア夫人はもともと外の人だったって言ってたわよね?」
「うん」
「でも、そのあとここに残った。婚儀をしたから?」
「婚儀を終えた人は別なんだ」
アンナは少しだけ笑みを引っ込めた。
「婚儀を成し遂げるってことは、女神様と自分自身で契約を結ぶようなものだから」
そして、静かに続けた。
「だから本人が望むなら、果てなき部族がその人の新しい家になる」
ジャスミーヌは何も答えなかった。
ただ昨夜見た、ジュリアの胸元に留められていた黒い鳥のブローチを思い出した。
そして、いつも明るく笑っているあの女性が、ときおり遠くを見つめるときだけ、その瞳の奥に一瞬よぎる悲しみを。




