私がいなくなったあとも
「楽しいおしゃべりは、ここまでにしようか」
レインは改めてセリーナへ視線を向けた。
口調は相変わらず軽やかだったが、その翠玉色の瞳には先ほどまでとは違うものが宿っていた。
笑みは残っていても、もうこれ以上は引き延ばせないのだと告げるような、静かな真剣さがある。
「君たちみたいな若い子と話すのは楽しかったけど、そろそろ僕も役目を果たさないとね。セリーナさんを、行くべきところまで送らなくちゃならない」
「時間稼ぎしてたの、ばれちゃったか」
ジャスミーヌは苦笑した。
レインは責めるでもなく、ただ笑った。
「まだ伝えておきたいことや、言っておきたいことがあるなら、今のうちにね」
「遺言はもう書いてあるし、たぶん大丈夫だと思うんだけど……」
セリーナは腕を組み、その場を小さくぐるぐる回りながら、何か忘れていることはないか懸命に考えた。
その動きに合わせて、もともと身体に絡みついていた花や葉―先ほど桃色の糸を抜いたときに一緒に剥がれ落ちたものが、一枚、また一枚と舞い落ちていく。
気がつけば、彼女の足元には花と葉が輪を描くように散らばっていた。
「今になって思うと、もっとジャスミーヌにいろいろ作っておけばよかったなあ。マフラーだって二本しか作ってないし、ヴェールは結局完成してないし、それからドレスも……」
ジャスミーヌは少し考え、これまで二人で一度も話していなかった大事なことに気づいた。
「家族のお墓に入りたい? それとも、別の場所を探したほうがいい?」
「埋葬する遺体は残らないよ」
レインがジャスミーヌの言葉を遮った。
「婚儀を行った者――つまり、自分の命を捧げて女神の力を借り、復讐を果たした者は、魂も肉体もすべて女神のもとへ連れていかれる。遥か彼方の虚空へね」
そう言って、レインはセリーナの足元へ目を向けた。
ジャスミーヌもつられて視線を落とし、表情を変えた。
セリーナのつま先が、消え始めていた。
透明になっているわけではない。
末端から少しずつ、灰白色の細かな欠片へと崩れているのだ。
その欠片は女神の掌に落ちることさえなく、空中で見えない風にさらわれ、そのまま遠い虚空へと消えていった。
ジャスミーヌは、その灰を呆然と見つめた。
この光景を、彼女は一度見たことがある。
ディマン王国の野営地で。
剣として扱われていた『レイン』の身体も、同じように少しずつ灰へ変わり、消えかけていた。
ジャスミーヌは反射的に手を伸ばしかけた。
セリーナから剥がれ落ちていく灰を、掴もうとして。
けれど途中で、その手を止めた。
そしてゆっくりと引き返した。
「ディマン王国で、あなたの……ええと……あの剣を見たときも、同じようになっていました」
レインはさほど気にした様子もなく、少し首を傾げた。
「うん。本来なら僕の身体はとっくに灰になっていたはずなんだ。華唐国が禁術を使ったせいで、あんな形になっていただけでね」
「じゃあ、あなたも女神の力を借りたんですか?」
「少し違うかな」
レインは考えるように間を置いた。
「君たちが行ったのは正式な婚儀だろう? 僕のは……せいぜい、死ぬ間際の祈りってところかな」
「ディマン王国の兵士の習慣に従って、死ぬ前に兄さんに頼んで、小指を切り落としてもらったんだ」
「……小指?」
「うん。それを指輪にして、愛していた人に贈った」
レインは何でもないことのような顔で、とんでもない話を続ける。
「死ぬのを待っているあいだ、僕は女神に祈った。その指輪を魔法具にしてほしいって」
そして、ほんの少しだけ目を細めた。
「せめて僕がいなくなったあとも、代わりに彼を守ってくれるように」
「……指輪?」
ジャスミーヌとセリーナが、ほぼ同時に声を上げた。
ジャスミーヌは、先ほどソラの小指にまとわりついていた微かな金色の雷光を思い出した。
そして、少しばかり好奇心を刺激されながら、レインの表情をそっと観察する。
その目の動き。
声の調子。
『愛していた人』と口にしたときだけ、ほんのわずかに柔らかくなった表情。
一方、セリーナが考えていたことはまるで違った。
彼女は以前、ソラの手にあった、骨で作られたように見える指輪を思い出していた。
そして、レインのさっきの言葉。
―僕がいなくなったあとも、代わりに彼を守ってくれるように。
セリーナは勢いよく顔を上げた。
迷いの残っていた表情は消え、その瞳にははっきりとした決意が宿っていた。
「だから、女神様はあなたを私のお迎えに寄こしたんですか?」
「さあ、どうだろうね?」
レインは笑って肩をすくめた。
「女神が何をお考えなのかなんて、僕たち信徒が勝手に推し量れることじゃないよ」
旅立つ前に、ジャスミーヌはセリーナの身なりを最後に整えてやった。
まるで婚礼を終え、これから遠い場所へ旅立つ花嫁の衣装を整えるように。
「あら。改めて見ると、あなた、枯れ葉と花だらけじゃない。枝までついてるわよ……」
ジャスミーヌはセリーナの長い髪に絡んだ枯れ葉や花びらを一つずつ取り除き、肩に引っかかっていた細い枝も丁寧に外していった。
くすぐったいのか、セリーナは気持ちよさそうに目を細め、ときどき毛づくろいされる猫のように頭を振る。
「動かないで」
「だって、くすぐったいんだもの」
「すぐ終わるから」
最後に、ジャスミーヌは桃色のヴェールをきれいにかぶせ直した。
金糸と紫晶花を模した珠飾りは、これほど慌ただしい一夜を経たあとでも、まだ美しく彼女の髪の間に垂れている。
白い長衣の皺も丁寧に伸ばした。
すべて整え終えると、ジャスミーヌは半歩下がり、セリーナの姿をしばらく眺めた。
どこにも見落としがないか、確かめよう。
「このヴェール、本当にきれいね」
セリーナは顔を上げ、ジャスミーヌへ満面の笑みを向けた。
「こんなにきれいな姿で旅立てるなんて、私、本当に幸せ」
ジャスミーヌはしばらく彼女を見つめた。
けれど、結局何も言わなかった。
ただ身体を寄せ、セリーナの頬にそっと口づける。
セリーナは嬉しそうに笑った。
レインは少し離れた場所で、静かにその様子を見守っていた。
何かを思い出したのか、ふとその笑みが薄れる。
「ジャスミーヌ」
「はい?」
「君が戻ったら、ソラに――」
そこで言葉を止めた。
しばらくして、レインは自分で苦笑し、首を横に振った。
「......いや。やっぱりいい」
「伝言くらいなら、お伝えできますよ」
「大丈夫」
レインはもう一度首を振った。
「死者と生者の間には、やっぱり境目が必要だからね」
少し黙ってから、また穏やかに笑う。
「それに、今のソラにとって一番大切なのは、エリカとティムだろうし」
「好きだったことさえ、結局一度も本人に伝えられなかったんだ」
レインは遠くを見るように目を細めた。
「今さら突然戻っていって、困らせることもないさ」




