雨は死ねなかった者たちにも降る
蘭花平原に雨が降り始めたとき、周辺に暮らす人々もまた、その雨音を耳にし、湿った雨の匂いを感じ取った。
最初、誰もそれが現実だとは信じられなかった。
人々は次々と家の外へ飛び出し、空を仰ぎ、両手を広げて、頭上から落ちてくる冷たい雨粒を受け止めた。
それが幻でも夢でもないと確かめた瞬間、人々の間から歓声が上がった。
互いの手を取り合い、雨の中で踊り、歌う者たち。
足腰の弱った老人を支えて外へ連れ出す者。
まだ何が起きているのかもわからない幼い子供を抱き上げ、生まれて初めて空から降る雨に触れさせる者。
老人たちは、かつて豊かだった蘭花平原の姿を思い出し、堪えきれず涙を流した。
子供たちは最初こそ怖がって親の胸にしがみついていたが、すぐに好奇心が勝ったのか、何度も手を伸ばして、空から落ちてくる水滴を受け止め始めた。
だが、そう時間が経たないうちに、人々は外へ出たことを後悔した。
雨脚はみるみるうちに強くなっていった。
最初は肌に触れると冷たく心地よかった雨粒も、次第に重く激しくなり、打ちつけられるだけで痛みを感じるほどになる。
轟音―
空の奥深くで雷鳴が弾けた。
黄金色の稲妻が、夜空を引き裂く。
もう、雨の中で歌い踊ろうとする者はいなかった。
雨はついに豪雨へと変わり、空から滝のように降り注いだ。
まるで目に見えない巨大な手が、空の上で海そのものをひっくり返し、この土地に残されたあらゆる穢れを――数十年前に刻まれた罪までも――すべて洗い流そうとしているかのようだった。
人々は慌てて家の中へ戻り、口々に今起きていることを語り合った。
「『涙の聖女』様は……もう私たちをお許しになったのかしら?」
「わからない。この雨が止んだあとも、また降るんだろうか?」
「もし本当に聖女様がお許しくださったのなら……この土地にも、いつかまた聖女が生まれるのかな?」
そのとき、一人の女の顔から笑みが消えた。
彼女は昼間、『砕骨者』たちを収容している施設で働いていた。
「……待って」
人々が一斉に彼女を見る。
女の顔が、みるみる青ざめていった。
「もし……もし呪いが本当に解けたのなら……」
彼女は息を呑んだ。
「『砕骨者』たちは、今どうなってるの?」
人々は傘を差し、矢のように降りつける豪雨の中を、町外れに建てられた収容施設へと急いだ。
その施設には、夜勤の職員がいなかった。
必要がなかったからだ。
中にいる者たちは、ただベッドに横たわることしかできない。
歩けない。
逃げられない。
自力で寝返りを打つことすらできない。
そして何より―
彼らは死なない。
どれほど重い感染症にかかろうと、どれほど深い傷を負おうと、それで命を落とすことはない。
たとえ屋根が崩れ落ち、ベッドごと瓦礫の下敷きになったとしても、彼らはなお生き続ける。
動かせるのは、目と口だけ。
最初の頃こそ大声で叫び、助けを求めていた者たちも、近年ではほとんどが朦朧とした夢の中を漂うような状態になっていた。
数十年という歳月の中で、かつて面会に訪れていた両親や兄弟姉妹も、次々に老い、死に、あるいは二度と姿を見せなくなった。
今では、家族が訪ねてくることさえほとんどない。
だから施設には、昼間に職員がいれば十分だった。
夜間に誰かを置く必要などない。
少なくとも―
今夜までは、誰もがそう思っていた。
人々は、扉を開けた先には静寂が待っているのだろうと考えていた。
何十年ものあいだ死に拒まれ、ただベッドの上で苦しみ続けてきた者たちは、呪いが解けた瞬間、ようやく最後の息を吐き出し、静かに穏やかに死を迎えたのではないか。
扉を開ければ、そこにはようやく安息を得た遺体が、何列も並んでいるのではないか。
死から拒絶され続けた者たちが、誰にも知られない夜のうちに、静かにその命を終えている―
皆、そんな光景を想像していた。
だが。
扉の向こうにあったのは、地獄だった。
ベッドに横たわる『砕骨者』たちは、全員が目を見開いていた。
眼球は上を向き、ほとんど白目を剥いている。
全身の骨が砕けているというのに、その身体は激しく震えていた。
彼らは口を限界まで開き、人間の喉から出ているとは思えないような絶叫を上げていた。
数十年ものあいだ、腐敗と麻痺の奥底へ押し込められていた痛みが―
その瞬間、すべて彼らの身体へ戻ってきたのだ。
骨の見えるほど深く腐った傷。
その内部を蠢く蛆虫。
とっくに砕かれ、歪な角度のまま癒合し、内側から皮膚を刺す骨。
腐っては癒え、癒えてはまた腐ってきた筋肉。
傷そのものは、ずっと消えてなどいなかった。
ただ呪いが、彼らを生かし続けるために、痛みまでも身体の奥深くへ押し込めていただけだった。
そして今。
呪いが消えた。
だから―
痛みも戻ってきた。
建物中が絶叫で満たされた。
その声は、聞く者の心まで引き裂いてしまいそうなほど凄惨だった。
叫び声は、何分ものあいだ続いた。
ある瞬間。
すべてが止まった。
ベッドの上で苦痛に身を震わせていた身体が、一斉に静かになる。
同じ瞬間、彼らの呼吸も止まった。
『砕骨者』たちは、死んだ。
「……どういうことなの?」
人々は呆然と互いの顔を見つめた。
もう立っていることすらできない者も多かった。
壁にもたれて吐き気に耐える者。
その場に崩れ落ちて意識を失った者。
何も見えていないかのように、虚ろな目で立ち尽くす者。
その夜に見た、まるで最も残酷な地獄を切り取ったかのような光景は―
その後十年以上にわたって、彼らの夢と記憶の中で何度も蘇ることになる。
初代プリンス公爵は、なおもベッドに横たわりながら、全身を襲う激痛に耐えていた。
あまりの痛みにとうとう吐き気を堪えきれなくなり、夕食に飲んだ味気ない野菜スープを、胃液や粘液と一緒にそのまま布団の上へ吐き出した。
扉の向こうから、使用人たちが声を潜めて話すのが聞こえてくる。
「……本当に、全員死んだのか?」
「収容施設から、さっき使いの者が来た。全員だ。同じ時刻に」
「でも、蘭花平原には雨が降ったんだろう……? それって、聖女様が俺たちを許してくださったってことじゃないのか?」
「じゃあ……どうして、あんなに苦しませてから死なせたんだ……?」
蘭花平原に、雨が戻った。
『砕骨者』たちは死んだ。
だが彼らは人生の最後の瞬間に、かつて骨を砕かれたときのあの痛みを、もう一度味わわされた。
初代プリンス公爵は、自らの汚物と吐瀉物にまみれたままベッドに横たわり、扉の向こうの話し声を聞いていた。
ほかの『砕骨者』たちは、全員死んだ。
それでも――
自分だけは、まだ生きている。
そのことを、彼は不思議には思わなかった。
自分が最後になる。
それだけは、わかっていた。




