雨とともに痛みが還る
数十年ぶりの最初の雨粒が蘭花平原へ落ちた、まさにその時―
その荒野から遥か遠く離れた場所にある、かつてはこの上なく豪奢だった屋敷の中で、一人の老人が目を開いた。
かつて、初代プリンス公爵と呼ばれていた男だった。
もっとも今では、彼をそう呼ぶ必要のある者など、ほとんど残っていない。
目と口だけが、今の彼の身体で、辛うじて自分の意志どおりに動かせる部位だった。
数十年前のあの「戦い」―もし、あれを戦いと呼べるのなら―によって、彼は全身の骨をほとんど砕かれた。
あの日以来、自分の力だけで一度たりとも寝返りを打ったことはない。
それでも当初、彼の暮らしは第二王子にふさわしい、何不自由のないものだった。
真珠王国の最高権力者である両親がいたからだ。
自分が二度と動けない身体になったという現実を、精神的にはなかなか受け入れられなかった。
それでも生活そのものは、以前と変わらず快適だった。
自分で食事ができなければ、誰かが一口ずつ食べさせてくれた。
自分で寝返りを打てなければ、昼夜を問わず使用人が付き添った。
ベッドから出られないのなら、両親がこの世にあるあらゆる享楽を、その枕元まで運ばせた。
新鮮な果物。
手の込んだ料理。
柔らかな寝具。
美しい女性たち。
そして、プリンス公爵という爵位と領地。
彼が望みさえすれば、両親は可能な限り何でも用意した。
あの頃の彼は、自分が本当の意味で負けたとは思ってすらいなかった。
だが、ほかの『砕骨者』たちは、それほど幸運ではなかった。
普通の家庭には、永遠に死なず、永遠に治ることもない人間を世話し続けるだけの金などない。
それに、多くの者は呪いが自分たちにまで及ぶことを恐れた。
だから彼らは、早々に収容施設へ送られた。
どれほど重い感染症にかかろうと、どれほど深い傷を負おうと、彼らは死なない。
そのため、ほとんど全員が、どうにか命だけを繋いだまま今日まで生き残っていた。
ただ横たわり。
腐り続ける傷と、排泄物と、蛆虫の中で息をしている。
その多くは、とっくに正気を失っていた。
やがて時が流れ、かつての第二王子の暮らしも少しずつ崩れ始めた。
一人息子は祖父母に甘やかされ、まだ若いうちから動けない父に代わって領地を引き継いだ。
だが、彼は次々と誤った判断を重ねた。
結果、領地は大きく衰退し、その一人息子自身もまた、自ら招いた反発の果てに命を落とした。
初代公爵は、最後の望みを孫―エルンストに託していた。
あの子さえ無事に結婚し、公爵家を継ぎ、領地を立て直してくれれば。
この屋敷も、いつか昔の姿を取り戻せるかもしれない。
だがエルンストは、若き日の自分とよく似たことをした。
婚約を破棄し、自らの婚約者を辱め、ついには彼女を死の寸前まで追い込んだ。
プリンス家の血は、三代にわたって受け継がれた。
そして愚かさも、傲慢さも、悪意もまた―
まるで血とともに、次の世代へ受け継がれていったかのようだった。
ここ二年ほどで、公爵の屋敷での待遇はさらに悪化した。
使用人たちはわずかな給金しか受け取れず、その人数もかつての半分にまで減っていた。
残った使用人たちは、『もっと大事な仕事』に時間を使わなければならなかった。
屋敷の設備を維持すること。
食料を買い入れること。
日用品を準備すること。
どうせ何をされても死なない老人の世話など、当然ながら後回しになった。
今では、初代公爵をまともに気にかける者など、ほとんどいない。
食事は一日二回。
どちらも、数枚の葉野菜が浮いているだけの、ほとんど味のしないスープだった。
かつては必要なときにはいつでも誰かが身体の向きを変えてくれた。
今では、寝返りをさせてもらえるのは一日に二度だけ。
おむつを替えてもらえる回数も同じだった。
初代公爵の全身には、今や湿疹が広がっている。
長年、体重がかかり続けてきた場所には肉の深くまで達する褥瘡ができ、血と膿が絶えず滲み出していた。
特にひどく腐った傷口の中では、白い小さな虫が蠢いているのさえ見えた。
「お願いだ、ケイト……もう、死なせてくれ……」
ここ数年、初代公爵はほとんど毎日のようにそう懇願していた。
もう親族が見舞いに来ることもない。
王家の使者が様子を見に来ることもない。
医師が診察に訪れることさえなくなった。
結局、彼もまた、自分が数十年ものあいだ忘れ去っていた『砕骨者』たちと同じになった。
生きたまま。
腐り続けながら。
それでも、どうしても死ぬことができない。
その夜。
彼は突然、ケイトと橘 杏のことを思い出した。
『涙の聖女』と呼ばれたケイト。
かつて彼の婚約者だった少女。
平民の出だという理由で何度も彼から侮辱され、そのたびに彼を見る目から少しずつ温度を失っていった少女。
そして後に『砕骨の寡婦』と呼ばれることになる、橘 杏。
かつて彼らが、次の『遊び相手』として選んだ少女。
―自分はあの頃、どうしてあんなことを面白いと思っていたのだろう。
なぜ、自分の婚約者に沸騰する大釜の中へ入って潔白を証明しろと迫り、最後の瞬間に自分が助け出せば、彼女は感謝し、もう一度自分を愛してくれるなどと考えていたのだろう。
なぜ、身分の高い男たちが何人もそろって貧しい少女へ近づき、競うように寵愛し、ようやく幸せを手に入れたと信じ込ませたあとで、皆の前で一斉に捨てることを―
あれほど楽しみにしていたのだろう。
あの頃の彼らは、本当にそれを面白いと思っていた。
自分が笑っていたことさえ、今でも覚えている。
だが今になって思い返してみても、いったい何がそんなに面白かったのか、もうわからなかった。
それでも最後まで諦めきれず、彼は人を雇って、かつての婚約者を殺させた。
ケイトが死んだあと。
橘 杏は泣きながら武器を手にし、彼ら全員に代償を払わせた。
かつて彼らが、小柄で可愛らしく、いくらでも弄べると思っていた男爵令嬢。
その少女は全身を血に染め、彼らの前に立った。
まるで、最も深い海の底から這い上がってきた恐ろしい何かのように。
濁った涙が、公爵のすでに潰れかけた目尻から流れ落ちた。
その涙と一緒に、一匹の小さな白い幼虫が這い出してくる。
幼虫は老人の頬の上をゆっくりと蠢いた。
痒い。
痛い。
だが彼には、手を上げてそれを払いのけることさえできなかった。
そのとき。
老人は、何かを感じた。
稲妻が意識を横切ったような、唐突な感覚だった。
開け放たれた窓から、湿った風が吹き込んでくる。
雨の匂い。
そして、濡れた土の強い匂い。
―何かが違う。
この領地は、呪われた蘭花平原に近い。
数十年にわたって、その影響は周辺の気候にまで及び、雨は年々少なくなっていた。
だが、今夜の空気はあまりにも湿っている。
まるで、長いあいだ渇ききっていた大地が、ようやく水に浸されたかのような匂いだった。
なぜだ。
何が起きているの?
そう考えた、その瞬間―
凄まじい痛みが、全身を襲った。
声すら出せないほどの激痛だった。
数十年ものあいだ腐り続け、麻痺し、どれほど傷ついても遠い鈍痛しか感じなくなっていた身体が―
突然、鮮明な感覚を取り戻した。
骨が痛い。
筋肉が痛い。
皮膚が痛い。
身体中のあらゆる場所が、悲鳴を上げていた。
こんな痛みを感じたことは、数十年前に一度しかない。
―橘 杏に、全身の骨を砕かれたあの日。
「蘭花平原に雨が降ってるぞ!」
屋敷の外で、誰かが叫んだ。
疲れ切っているはずの使用人の声には、隠しきれない興奮が満ちていた。




