選ばれなかった未来(Side:ソル)
ソルは口の中に、苦い味が広がるのを感じた。
「ぼくは……あれは、ぼくの考えじゃなかった。」
「叔父上は言ったんだ。ただ手紙を送るのを少し遅らせるだけだって。お前が落ち着いたら、ちゃんと返して、お前自身に送るかどうか決めさせるって。」
言葉を重ねるたびに、ソルの声は小さくなっていく。
自分自身でも分かっていた。その言い訳が、何の意味も持たないことくらい。
レインは声を上げて笑った。
「ほら、俺はちゃんと落ち着いただろ?」
「もう、指一本動かせない。」
「黙れ!」
ソルは思わず怒鳴っていた。
本当は分かっていた。
自分の無力さへの怒りも、これから自分が犯そうとしている過ちへの罪悪感も、死にゆく弟へぶつけるべきではないことくらい。
それでも、抑えられなかった。
「お前は昔からそうだ! 感謝も知らない、人を敬うことも知らない! 叔父上は俺たちのためにどれだけ尽くしてくれた! 幼い頃から育ててくれた恩まで忘れて、どうしてそんなことが言える!」
「少しは大人になれ! いつまでも子どものままでいるな!」
言い終えた瞬間、固まったのはソル自身だった。
―レインは、もう二度と大人になれない。
「ソル、ソル。」
レインは歌うような調子で、うつむく兄の名を呼んだ。
「そんなふうに、誰かの言葉を何でも信じる間抜けのままじゃ、一番上までは登れないよ。」
「せいぜい大佐止まりかな。」
レインは目を細め、ずっと遠くを見つめるように言った。
「それで、いつか誰かに押しつけられた捨て駒の任務を、ありがたがって引き受けて、戦場で死ぬ。」
「叔父上が王都で貴族相手に酒を飲んでいた日、国境で起きたあの極秘襲撃は、いったい誰が片づけたと思う?」
ソルは言葉を失った。
確かに、そんなことは一度や二度ではなかった。
叔父が王都で舞踏会に出席し、議会に顔を出し、出資者や政敵と駆け引きをしていたはずの日に、辺境では彼の武勲が報じられていた。
「時間の使い方が見事だ」と称える者もいれば、「部下の手柄を横取りしているのではないか」と疑う者もいた。
――そうか。
時間も場所も決して噛み合わなかったあの戦果は。
もしかすると、ずっとレインが成し遂げていたものだったのか。
ここへ来る前、王家はソルに、レインの亡骸を剣へと変えるための魔導具を託した。
もしレインが以前から叔父に代わって幾度も極秘任務を遂行していたのなら、王家が彼の魔力量を正確に把握し、その遺体が魔導具へ転用できると確信していたとしても、不思議ではなかった。
「だから、お前たちに俺が誰を愛そうと、誰に手紙を書こうと、口を出す資格なんてない。」
レインは言った。
闇の中で、その美しい翠の瞳だけが妖しく輝いている。
「叔父上のために秘密任務をこなしていたあの一年……俺の手紙は、一通も送られなかった。」
「その間に、赤い薔薇を身につけたあの女が戻ってきて、『ごめんなさい』って言って――あの人は、あいつについて行った。」
「俺はそばにいなかった。手紙だって一通も届かなかった。」
「だったら、あの人があいつを選ぶのは当然だろ。」
言葉を重ねるにつれ、レインの声には静かな怒りが滲み始める。
「俺がここで死ぬ頃には。」
「温室の薔薇は、見事に咲き誇っていた。」
「……あいつには、俺にできることは永遠にできない。」
闇の中で、レインの翠の瞳はいっそう鮮やかに輝いた。
「もしあの人の信念のためなら、俺は腐りきった大地なんて全部焼き払って、新しい種を蒔くことだってできる。」
「あの女は、安全な温室に隠れて、薔薇の蔓を少しずつ伸ばしながら、新しい芽が育つよう祈ることしかできない。」
ソルには、レインが何を語っているのか理解できなかった。
それは単なる嫉妬ではない。
死に際のうわ言でもない。
まるでレインは、本来なら存在したかもしれない、しかし誰かの手によって断ち切られた、恐ろしく禍々しい未来を見つめているようだった。
その翠の瞳には、何かが燃えていた。
その怒りと執念は、一つの国さえ焼き尽くしてしまいそうなほどだった。
ふいに、レインが笑った。
そこには先ほどまでの怒りも、嘲りもなかった。
ほんの一瞬だけ。
ソルは、木の下に座っているのが、悪戯好きだった幼い頃の弟なのではないかと錯覚した。
「だからさ、お兄ちゃん。」
「俺の小指を切り落として、あの人のところへ届けてくれ。」
ソルには、その意味が分かっていた。
ディマン王国では、前線の兵士たちが大切な人へ小指を託す風習があった。
「父さんと母さんには悪いけど、この体はもう武器にされるだろうし、あんまり切り取れないからね。」
「墓には服でも埋めてもらえば、それで十分だよ。」
「ぼくは……」
ソルは何か言おうとして、自分には何一つ言葉がないことに気づいた。
この状況では、どんな慰めも意味を持たない。
「小指をそのまま送るのは気味が悪いだろ。」
「肉を削いで、骨を磨いてピンキーリングにすれば……きっと、あの人は身につけてくれる。」
ソルは口を開いたまま、何も言えなかった。
「急いで。」
「俺はもう長くない。」
「息が止まったら、小指だけ切り取って持って行って、それから王家の魔導具を俺の死体に使えば、それで終わりだ。」
「まだ……助かるかもしれない……」
「王家は、何て言ってた?」
「落ち着いて、一言一句、そのまま教えて。」
「……君の遺体に魔導具を使い、魔物の王がまだ生きていることを確認したら、そのまま森を離れろ、と。」
レインはしばらく黙り込んだ。
「……なるほど。」
「どうやら、俺が変わった武器で魔物の王を殺すつもりじゃない。」
「保存するつもりなんだな。」
「保存?」
ソルは思わず聞き返した。
「ああ。」
「そうじゃなければ、今、気絶しているうちに魔物の王を殺せって命じるはずだから。」
ソルはあまりの衝撃に、何も言えなかった。
そんな彼をよそに、レインは静かに言葉を続ける。
先ほどまでの皮肉も怒りも消え、その声は穏やかで、不思議なほど人を納得させる響きを帯びていた。
「もう分かっただろ。」
「全部、終わらせてくれ。」
「も……もし、ぼくにできなかったら?」
レインは静かに微笑んだ。
「その時は、お前を呪う。」
「俺が愛した人の信じる豊穣の女神に誓って。」
「もし、お前があの指輪を届けなかったなら――」
「お前は雷に連れ去られ、遥かな虚空を永遠にさまようことになる。」
「二度と、死ぬこともできずにな。」




