森の奥で、雷は死を待つ(Side:ソル)
ソルは森の中へ足を踏み入れた。
外はまだ昼間だというのに、森の中は薄暗く、まるで一瞬にして黄昏へ変わったかのようだった。
木々の隙間から時折差し込むわずかな日差しも、本来の金色を失い、紫がかった赤のような、不気味な光を帯びている。
奥へ進むにつれ、ソルは地面に積もった落ち葉が、次第に黒く焦げていることに気づいた。
初めは、魔物の死骸が数体、まばらに転がっているだけだった。
どれも焼け焦げた跡があり、毛は縮れて黒くなり、四肢は硬直したまま伸びきっている。
さらに先へ進むと、魔物の死骸は一体、また一体と道の両側に倒れ始めた。
まるで誰かが、森の奥へ続く道を力ずくで切り開いていったかのようだった。
―レインは、この先にいる。
ソルはそう確信した。
森の中央には、ぽっかりと開けた場所があった。
その真ん中に、巨大な黒い魔物が倒れている。
全身は真っ黒に焼け焦げ、大半の毛皮は焼け落ち、黒い皮膚がむき出しになっていた。
その皮膚には、中心から放射状に裂けた暗赤色の亀裂が、無数に走っている。
ソルはさらに視線を上げた。
魔物の口内に並ぶ牙と舌には、肉片と鮮血がべったりとこびりついていた。口元から流れ落ちる黄緑色の液体は、足元の草を今もじわじわと腐食させている。
胸は、かすかに上下していた。
まだ生きている。
ソルは好奇心に引かれるように一歩踏み出し、魔物の王の姿をもっと近くで確かめようとした。
「そこから先には、行かない方がいい」
ソルの全身がびくりと震えた。
レインの声だった。
いつもと変わらない、自信に満ちた声。
そこには、わずかに人をからかうような響きさえ残っていた。
ソルは驚いて振り返った。
そこには、巨大な一本の樹がそびえ立っていた。
生い茂る葉が、空き地の上空をほとんど覆い隠している。
森には風など吹いていない。
それなのに、その大樹の枝だけが、ゆっくりと揺れていた。
レインは、その樹の根元に座っていた。
かつて「尊い翡翠」とまで讃えられた緑色の瞳が、暗闇の中で光っている。
その目を見た瞬間、ソルは、昔、叔父に連れられて夜の狩りへ出かけた時のことを思い出した。茂みの奥からこちらを窺っていた、獣の目。
レインの顔も身体も、深い影の中へ沈み込んでいた。まるで、黒い幕の向こう側に隠されているようだった。
「そいつの牙と毛皮には毒がある。触れたら、肉が腐るぞ」
レインが説明した。
「生きていたのか!」
ソルは歓喜の声を上げ、足早に大樹のもとへ駆け寄った。
「大丈夫なのか? 立てるか?」
だが、レインのもとへ辿り着く直前。
ソルは突然、足を止めた。
靴底が、湿った土へ沈み込む。
―違う。
泥ではない。
血を吸い込んだ地面だった。
ソルは凍りついたように動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。
レインが座っている場所の草と落ち葉は、大量の血を吸い込み、深い黒色へ変わっていた。
鎧は粉々に砕けている。
まるで何か途方もない力に、正面から叩きつけられたかのようだった。
肋骨は胸郭から外側へめくれ上がり、内側から無理やり押し開かれた窓のように、胸の肉を突き破っている。
両腕と両脚は、巨大な手に掴まれ、力任せに捩じられたように変形していた。
破れた衣服の隙間から、白い骨が突き出ている。
「俺は死ぬ」
レインは、ひどく気軽な口調で言った。
「なあ、兄さん。王家はもう、俺を何の武器にするか決めたのか?」
「槍か?それとも剣?」
ソルは言葉を失った。
ここへ来る直前、王家と叔父から送られてきた秘密文書。
その内容を、レインが知っているとは思っていなかった。
「ど……どうして、それを……?」
「はあ?」
レインは苛立たしげに首を傾げた。
「兄さんは叔父さんの執務室の前を通るたび、机に置いてある書類が気にならないのか?」
ソルは呆然と弟を見つめた。
「あれは機密文書だ! 勝手に読んでいいものじゃない!」
「機密印も押されてなかったし、きちんと片づけてもいなかった。だったら読まれて当然だろ」
レインはどうでもよさそうに言った。
「ええと、何て書いてあったっけ……『元素魔法使いの死後遺体再利用計画』? 華唐国が出資?」
「叔父さんも、まさか自分の甥が、その計画の素材になるとは思ってなかっただろうな」
「こんなことになるなら、父さんと母さんと一緒に王都へ行けばよかった」
「両親に最後に言った言葉が、『前に行った店のチョコレートクッキーが食べたい』だなんて、さすがに格好悪いよな」
ソルは、背負っている荷物が急に何倍も重くなったように感じた。
レインの予想どおり。
その背嚢の中には、王家の使者から渡された法具が入っている。
それをレインの口の中へ埋め込めば、遺体を絶えず放電し続ける武器へ変えられるのだという。
「そんなことを言うな。まだ助かるかもしれないだろ」
「お前が生き延びれば、こんなものを使う必要もない」
ソルはさらに数歩近づき、弟の身体を起こそうとした。
しかし、レインの身体には、もう手を添えられる場所も、支えられる場所も残されていなかった。
レインは深々とため息をついた。
「兄さん。俺は、本当に兄さんのそういう善人ぶったところが嫌いだ」
「この任務を引き受ける覚悟を決めていたからこそ、その背嚢を背負って、ここまで来たんだろ?」
「違う。まだ助かるかもしれないと思ったから、ここへ来たんだ……」
ソルは無意識に背嚢の紐を強く握り締めた。
だが心の奥では、レインの言葉が真実だと分かっていた。
弟がこんな話し方をすることに、ソルは慣れていなかった。
実の兄である自分に対してさえ、皮肉に満ち、容赦がなく、敬意も感謝もまるで感じられない。
その時、不意に一つの考えがソルの脳裏をよぎった。
―レインは変わってなどいない。
昔から、ずっとこうだった。
獰猛な小動物のように、誰にも従わなかった。
二人で王都に滞在し、叔父から雷魔法を学んでいた頃もそうだ。
レインが両親と祭日を過ごすため、どうしても故郷へ帰ると決めれば、あらゆる手段を使って、最後には必ず叔父の許可を取りつけた。
叔父がレインを錆鉄の冒険者ギルドへ送り出したのも、同じ理由だった。
レインは、あまりにも飼い慣らしにくかった。
それは、優れた兵士に求められる資質ではなかった。
だが、あの場所へ行ってからも、レインは決して飼い慣らされなかった。
レインが変わったのは、その後だ。
翡翠魔法学院へ進み、そこで彼は―。
……あ。
「もう嘘はつかなくていいよ、兄さん」
レインの声は、驚くほど優しかった。
「俺、今ようやく分かったんだ」
「兄さんは一度も、俺の手紙を出してくれなかったんだろ?」




