紫の王子と歪な侍女
「勇者様、お久しぶりです。」
ジェド王子は陽太の姿を見つけるなり、足早に歩み寄ってきた。
その表情は相変わらず穏やかだったが、母ヴィクトリアから受け継いだ幻想的な紫の瞳だけは、陽太を映した瞬間、かすかに輝きを帯びる。
それは、優れた部下を見つめる主君の眼差しでも、英雄を敬う者の憧れでもない。
――どうしても自分のものにして、誰にも渡したくない宝物を見つけた者の目だった。
あまりに急いで歩き出したせいで、腕を組んでいたメイドの足が追いつかず、彼女はよろめいて転びそうになる。
だが、ジェド王子は振り返ることすらしなかった。
そのまま歩き続け、彼女と組んでいた腕を何事もなかったかのようにポケットへ戻す。
メイドは王子の背中を見上げた。
その瞳に一瞬だけ傷ついた色が宿る。
しかしすぐにスカートの裾を整え、気品ある微笑みを浮かべると、小走りで彼の後を追った。
王子の陽太に対する執着は、周囲の誰の目にも明らかだった。
陽太の傍らにいた将軍や数人の指揮官たちは、反射的に一歩前へ出ると、さりげなく陽太を背後へかばう。
そんな露骨な拒絶にも、ジェド王子はまるで気にした様子を見せない。
すぐに陽太の隣へ並び、自然と距離を詰めて話し始めた。
会話に合わせて手をゆるやかに動かし、手首は自然に内側へ返る。
指先が描く軌跡は、驚くほど優雅だった。
それは誰かを真似た仕草ではない。
幼い頃から貴族令嬢として育てられ、身体そのものに刻み込まれた所作だった。
立ち姿にもどこか気品があり、メアリーと並んで立つ姿は男女というよりも、高貴な姫君と、その最も信頼する侍女のように見える。
……なるほど。
ジャスミンさんの学友たちが誰一人疑わなかったのも無理はない。
エイデンは心の中でそう呟いた。
この王子は、貴族令嬢という存在を完璧なまでに演じきっていた。
「魔物の王討伐の話を聞きまして、すぐに駆けつけました。」
ジェド王子が口を開く。
「本来なら弟――第二王子も誘うつもりだったのですが、華唐国からの賓客と祖父の接待、それに新しい大使館建設計画の協議で手が離せないようでして。」
「我が国史上最大の外国大使館になるそうですよ。中には法廷まで設けられるという話です。」
その言葉を聞いた陽太の隣の将軍は、露骨に表情を曇らせた。
華唐国を快く思っていないのか。
それとも、彼自身が第二王子派なのか。
エイデンは内心でそんなことを考える。
陽太は慌てて場を取り繕った。
「殿下も遠路はるばるお越しになってお疲れでしょう。詳しいお話は中でゆっくり伺いませんか。」
「お気遣いなく。」
ジェド王子は軽く手を振った。
「私には優秀な侍女、メアリーがおります。一人いるだけで十分、何も困りません。」
その言葉に、メアリーの顔へ小さな喜びの笑みが浮かぶ。
しかしジェド王子は、すぐに言葉を続けた。
「それに比べて妹の第三王女は、庭園でのお茶会へ出席するだけでも侍女を三人も連れて歩きますからね。」
やはり、あのメイドがジャスミンの言っていた『メアリー』なのか。
エイデンはどうやってこの情報をジャスミンへ伝えるべきか、頭の中で考え始めた。
「父上が皆様の給与引き上げ予算を議会に止められたと耳にしましたので、少しでも戦いやすくなればと思い、母上の嫁入り道具だった宝飾品を一部売却し、今回の討伐資金に充てさせていただきました。」
エイデンは思わず椅子を持ってきて酒でも飲みながら、このやり取りを眺めたくなった。
目の前のジェド王子は、得意げな表情で、人を貶め、傷つけることが称賛につながると本気で信じているようだった。
だがエイデンには、その言葉はあまりにも浅薄に聞こえる。
一言一句が誰かを批判し、自分を高く見せようとしているだけ。
その実、露骨な敵意をさらけ出しているにすぎなかった。
しかもヴィクトリア側妃の嫁入り道具を売ったことまで、堂々と口にしている。
ティムは以前から疑っていた。
反逆罪によって没落したカンティ家は、その前に財産の一部を嫁入り道具という名目でヴィクトリアへ預けていたのではないか、と。
今夜になったら、父が勇者との遠征のたびに母へ手紙を書いていたように、自分も同じ暗号文でティムへ手紙を書こう。
エイデンはそう心に決めた。




