雷はもう鳴らない
マイケルの呼吸は、次第に弱々しくなっていった。
ヨウタは剣を抜き、その切っ先をマイケルの喉元へと向ける。
マイケルは静かに目を閉じた。
その傷だらけの顔には恐怖の色はなく、ただ最後の瞬間が訪れるのを穏やかに待っていた。
「……何をするつもりだ?」
エイデンは訝しげにヨウタを見つめた。
もっとも、彼が何をしようとしているのかは、おおよそ察しがついていた。
「殺す。」
ヨウタは冷たく言い放つ。
「それが俺たちがここへ来た目的だ。それに、こいつをこの苦しみから解放することにもなる。」
正直なところ、エイデンには反論できなかった。
マイケルは被害者だった。
ソラさんやナオミ夫人の、もう一つの可能性と言ってもいい。
見知らぬ世界へ攫われ、監禁され、利用され、改造され、最後には名状しがたい怪物へと変えられてしまった。
だが同時に、彼はあまりにも多くの命を奪ってきた。
十六年前の惨劇だけではない。
つい先ほどの戦いでも、兵士の半数以上が彼によって命を落としている。
マイケル・フリーマンの運命は、もう決まっていた。
彼に救済はない。
ここで命を絶たれる方が、再びディマン王国へ連れ戻され、さらなる改造や実験にかけられるより、よほどましだった。
――だが。
エイデンは、自分の本心をヨウタに悟らせるつもりはなかった。
先ほど、自分は隠していた才能を彼の前で見せてしまった。
だからこそ、これ以上、本当の感情まで見せるわけにはいかない。
ゆっくりと呼吸を整える。
そして、父に守られて育った世間知らずの青年であるかのような表情を作り、苦しげな眼差しでヨウタを見つめた。
マイケルは、その悲しみを信じたのだろう。
どこか安堵したような、穏やかな目でエイデンを見返した。
「……もう、十分だ。」
エイデンは悲しげな表情を崩さないまま、ヨウタと視線を交わし続けた。
しばらくの沈黙の後、ヨウタが先に口を開く。
「こいつを生かしてディマン王国に研究させても、お前たちリタール王国に利益はない。」
エイデンは何も答えなかった。
経験上、こういう時は黙っていた方がいい。
こちらが答えなければ、ヨウタの方から続きを話し始める。
「取引だ。」
ヨウタはそう切り出した。
「俺にこいつを殺させろ。お前は黙っている。その代わり、お前の秘密は外へ漏らさない。」
「俺、秘密なら結構たくさんあるけど。」
エイデンは冗談めかして笑う。
「……お前の魔法。」
ヨウタは静かに言った。
「《嘯声魔法》だろ。」
「それと、ジェド王子とソルの負傷を理由にして、残りの部隊はしばらく足止めしてやる。お前の母親にも、多少は時間を稼げるはずだ。」
―ああ、そうだった。
こいつは、ディマン王国の政治には妙に詳しいんだった。
エイデンはヨウタがこれからしようとしていることに反対ではなかった。
それに、提示された条件も決して悪くない。
ヨウタは知らない。
エイデンには、貴族名鑑にも正式に記載された本名と身分があることを。
ただ、誰もが「彼はもう死んだ」と思い込んでいるだけなのだ。
それでも、母に後始末の時間を与えられるのなら、それは自分にとっても悪い話ではなかった。
最後は、あまりにもあっけなかった。
エイデンとロイはマイケルの傍らに座り、満ち足りたように目を閉じる彼を見守る。
そして、剣が振り下ろされる。
マイケルが最後に残した言葉は、一つだけだった。
「……ごめんなさい。」
ヨウタがマイケルの亡骸を紫の炎で焼き始めた頃、橘さんとノーマンが森の見回りから戻ってきた。
二人は少し離れた場所に立ち、紫色の炎がマイケルの遺体を飲み込んでいく様子を静かに見つめていた。
しばらくの間、誰一人として口を開かなかった。
やがて、橘さんが静かに口を開く。
「これを見つけたわ。」
二人が運んできたのは、布に包まれた細長い包みが三つ。
そのうち一つからは長い髪が少しだけ覗き、そこにはきらりと光るダイヤモンドの髪飾りが留められていた。
「もう二人の王子護衛と……あの侍女、マリーの遺体の一部よ。」
「これ以上、生存者はいませんでした。」
橘さんが説明する。
「……マリーは助からなかった。」
ノーマンは重く息をついた。
「これで王子が言っていたこと――マリーの夢とか、夢の中で読んだという本が何だったのか、本当のところは分からなくなってしまったな。」
ヨウタは布の隙間から見えるダイヤモンドの髪飾りを見つめ、複雑そうな表情を浮かべる。
「王子が目を覚ませば分かるかもしれないし……結局、永遠に分からないままかもしれない。」
「いずれにせよ、それはあなたとディマン王国が向き合う問題よ、日輪勇者。」
橘さんは全身を包帯で巻かれ、まるでミイラのようになったロイを支え起こした。
普段は滅多に疲れを見せない彼女の顔にも、今日は隠しきれない疲労が滲んでいた。
立ち上がったロイも、橘さんの言葉に頷く。
「俺たちは一刻も早くギルドへ戻って治療を受ける必要がある。それと……レインの遺体は、どうするつもりだ?」
二人は野営地の中央へ視線を向ける。
生き残った兵士たちが、高級そうな上質の布を何枚も慎重に広げ、レインの身体そのものである"剣"を丁寧に包み始めていた。
自らの役目が終わったことを悟ったのだろうか。
マイケルの首が落とされた瞬間、その剣は震えるのをやめ、黄金の雷光も完全に消え失せた。
そして今度は、剣そのものがゆっくりと崩れ始める。切っ先から順に、骨も、硬化した内臓も、灰色の塵となって静かに崩れ落ちていった。
このままなら、ヨウタたちが王都へ戻り、王家へ報告する頃には、その剣は跡形もなく消えているかもしれない。
「……分からない。家族に返すべき、なのかもしれない。」
ヨウタは正直に答えた。
十六年前、レインが自らを犠牲にした時、ヨウタは真珠王国で公爵家の騒乱への対応を命じられており、ディマン王国にはいなかった。
それ以前も、レインと面識はなかった。
だからこそ、人々が彼を悼み、これほどまでに悲しむ理由を、ヨウタは本当の意味では理解できなかった。




