人へ還る怪物
「ナオミ? それって、お前の誰なんだ?」
エイデンはさらに問いかけた。
その後方では、ノーマンと橘さんが森の中を見回り、まだ周囲をさまよっているかもしれない残存魔物を捜索していた。
ロイは少し離れた場所に腰を下ろし、ここで交わされる会話が聞こえる位置で休んでいた。全身の傷はすでに包帯で処置され、深い裂傷も治癒魔法で最低限の応急処置が施されている。
「そんなことに意味があるとは……」
ヨウタが言い終える前に、地面へ横たわる人型の生物が、かすれた声で口を開いた。
「……俺の妹……ナオミ・フリーマン。」
エイデンの呼吸が止まった。
―フリーマン。
エリカ王妃と母の共通の友人。
ソラさん自らがリタール王国へ連れてきた異世界人。
ナオミ夫人の姓だった。
ヨウタは、その一瞬の表情の変化を見逃さなかった。
騒ぎに気づいたロイは、折れた枝を杖代わりにしながら、ゆっくりと二人のもとへ歩み寄ってくる。
「君の名前は?」
エイデンは焦るように尋ねた。
男は長い間、沈黙していた。
まるで、自分の名前を何年も口にしていなかったかのように。
「……俺は……」
男は目を閉じる。
「……マイケル。」
さらに数秒が過ぎてから、ようやく続きを口にした。
「マイケル・フリーマン。」
「俺は……異世界から来た。王族が……俺たちを攫った。」
エイデンは気づかなかった。
マイケル・フリーマンという名前を聞いた瞬間だけ、ヨウタの表情がかすかに変わったことを。
エイデンがヨウタへ視線を向けたのは、マイケルが「俺は異世界から来た」と続けて口にした後だった。
その時には、ヨウタはすでに何事もなかったかのような顔に戻っていた。
その静かな表情からは、先ほど一瞬だけ浮かんだ動揺など、もう何一つ読み取ることはできなかった。
「ナオミ……」
魔物の王―マイケルは、焦燥に満ちた目で彼らを見つめる。
歪んだ両腕と長さの揃わない両脚を地面でもがかせるその姿は、無邪気な子どもに手足を折られ、身動きできなくなった甲虫のようだった。
エイデンは、腐り落ちた肉の下から現れたマイケルの顔と身体をじっと見つめた。
白目と黒目のはっきりした瞳。
ゆるく波打つ髪。
そして、言葉を紡ぐたびに動く厚い唇。
―ナオミによく似ている。
ナオミ夫人は以前、自分は兄と三人の仲間とともにこの世界へ召喚されたのだと話していた。
兄は自らを犠牲にして彼女を逃がし、若い医師の助けを得て脱出したあと、ソラの助力を受けながら各地を転々とし、最後にリタール王国へ辿り着いたのだと。
だが―もし本当に、この男がナオミの兄なのだとしたら……。
ディマン王国の研究所は、「勇者」や「聖女」になれなかった者たちに、一体何をしたというのだろう。
ソラは比較的早い段階で逃げ出している。
ナオミが覚えているのは、「魔法を目覚めさせる」と称した過酷な訓練だけだった。
もし、それ以上の……もっと恐ろしいことが行われていたのだとしたら。
ナオミが逃げ出したあと、あの研究所は一体どんな場所になってしまったのだろうか。
マイケルはなおも小さく呟き続ける。
妹の名を。
亡き妻の名を。
そして、二度と会うことのできない母を。
エイデンは彼のそばへしゃがみ込んだ。
「なあ。俺、ナオミを知ってる。」
マイケルは疑わしげに彼を見つめた。
「細かい三つ編みをたくさん編んでいて、色とりどりのビーズを飾ってる。自分は『アメリカ』っていう国の出身だって言ってた。」
―ナオミだ。
マイケルは何かを言おうと口を開いた。
しかし、漏れ出たのは血の混じった泡だけだった。
「ナオミが何歳だったか、覚えてる?」
「二十六。」
身体を少し動かすだけでも激痛が走るはずなのに、マイケルは誇らしげに笑った。
ナオミは、一族で初めて医者になったんだ。
母さんや叔母さんたちが、自慢げに笑う声が聞こえてくる気がした。
ナオミはもう医学部を卒業していて、もうすぐ病院で働き始めるはずだった。
―本当なら。
「それから、もうずいぶん時間が経ったんだ。」
エイデンは穏やかにそう告げながら、壊れかけたマイケルの右手をそっと握った。
マイケルは彼を見つめる。
最初は戸惑いました。
そして次の瞬間、その瞳に理解の色が宿った。
「ナオミは……結婚した。」
「あの……医者と?」
「君の言ってる人が誰かは分からない。でも、ご主人も医者だよ。昔から知り合いだったって話してた。」
マイケルはもう一度、小さく笑った。
エイデンはその右手を優しく包み込む。
傍から見れば、苦しみ続けてきた被害者を慰める、心優しい青年にしか見えなかった。
「……幸せ、なのか?」
エイデンは一瞬だけ言葉を失う。
「母の友人なんだ。だから詳しくは知らないけど……きっと幸せに暮らしてると思う。」
「……そうか。」
「だから……安心して。」
「安心して」の一言だけ、エイデンはわずかに力を込めて告げた。
同時に、その手へ静かに力を入れる。
小さな音を立てて、マイケルの右手の小指が折れた。
マイケルは痛みを感じたはずだった。
それでも悲鳴を上げることも、表情を変えることもなかった。
エイデンは折れた小指を近くに落ちていた一枚の葉で手際よく包む。
指先をひるがえした次の瞬間、それは腰の目立たない小さなポケットへと消えていた。
ノーマンとエイデン親子がよく使う手品だった。極秘任務の現場から、誰にも気づかれず、有用な情報だけを持ち帰るための。




