腐り果てた王の軍勢
ヨウタは最前線へと踏み出した。
その瞳からは光が失われていたが、それでも勇者としての姿勢だけは崩さず、誰よりも前に立って皆を守っていた。
長剣が大地を力強く薙ぐ。
次の瞬間、剣筋に沿って青紫色の炎が地面を走り、数十メートルにも及ぶ炎の壁となって、森と野営地を完全に隔てた。
しかし、魔物たちは止まらない。
ある者は炎を飛び越え、
ある者は燃え盛る身体を引きずりながら、強引に突っ込んできた。
炎は一瞬で彼らを包み込み、腐った肉は高熱に崩れ落ち、焼け焦げた脂や肉片が地面へと滴り落ちる。
それでも、白骨が露わになるほど焼け爛れた身体は、砕けた四肢を引きずりながらなお前へと這い進む。
まるで彼らを支えているのは、もはや生命ではないかのようだった。
「隊列を崩すな! 防御を固めろ!」
ヨウタが叫ぶ。
「俺は炎を維持する! エイデンの指示に従え!」
エイデンは一瞬だけ固まった。
―え、俺いつ現場指揮官になったの?
だが、断るつもりはなかった。
幼い頃から父ノーマンに連れられ、日輪勇者の討伐依頼へ幾度となく同行してきた。
最初は物資運搬を手伝うだけだった少年も、今では一人前の戦士となっている。
そもそも、ディマン王国へ莫大な報酬を支払い、勇者の派遣を要請できる国はごくわずかだった。
多くの国は冒険者ギルドへ依頼を出し、その役目を経験豊富なノーマン親子が請け負うことが多かった。
今、一番取り乱してはいけないのは、自分だ。
炎を飛び越え、一匹の猿型の魔物が飛びかかってきた。
両腕を失っているにもかかわらず、それでもなお襲いかかろうとしてくる。
なぜだろう。
エイデンの脳裏に最初に浮かんだのは戦術ではなく、ソラが昔語ってくれた恐怖映画の話だった。
死者は歩く屍となり、墓から這い出し、虚無の彼方から戻ってくる。
飢えは決して満たされず、人肉を求め続ける怪物たち。
『頭を落とせ。』
『それから、ちゃんともう一回叩け。』
『映画で一番死にやすいのは、「もう死んだ」と油断した奴だから。』
ソラはそう言っていた。
エイデンは長槍を構える。
穂先が鋭く光り、一閃。
猿型の魔物の首が鮮やかに宙を舞った。
首のない胴体は地面へ倒れ、それでも数秒間ぴくぴくと痙攣を続けた後、ようやく動きを止めた。
「首を狙え!」
エイデンが叫ぶ。
兵士たちは戸惑いながらも、長年叩き込まれた訓練のおかげで、すぐに彼の指示へ従った。
ただ、一つだけ気になることがあった。
エイデンの声は妙に響く。
叫ばれるたび、鼓膜がわずかに痛むほど空気が震えていた。
その声に怯えたのは兵士だけではない。
炎を飛び越えてきた馬型の魔物へ向かってエイデンが怒鳴りつけた瞬間、その魔物の瞳孔が大きく収縮した。
身体がふらりと揺れ―そのまま轟音と共に倒れ込む。
それは、ただの怒鳴り声ではなかった。
彼が声を発した瞬間、空気そのものが激しく震えていた。
「……今の、魔物を怒鳴って気絶させたのか?」
「いや……まさかだろ?」
兵士たちは深く考えるのをやめた。
そして心の中で固く誓う。
―この若い冒険者だけは、絶対に怒らせないようにしよう、と。
当のエイデンは、自分の声に、本来漏れてはならない力が混じっていることにまったく気づいていなかった。
ヒルダとロイは長い年月をかけ、どんな極限状況でも声に宿る魔力を無意識に漏らさないよう訓練してきた。
だが、地中から這い出た腐った魔物の群れと、復讐心に燃える巨大な魔物の王を相手に、平静を保ち続けることなどできるはずがない。
それよりも今、エイデンの意識を奪っていたのは、地面へ転がる魔物たちの死体だった。
兵士たちと共に次々と魔物を討ち倒していく中、彼は切断面へと視線を落とす。
そこで異様なものを見た。
骨ではない。
筋肉でもない。
毛皮の下に―もう一枚、皮膚がある。
激しい戦いの最中、エイデンはふと思い出した。
魔物の王もまた、全身の黒い毛が抜け落ち、縮みきっていた。
……あの下にも、もう一枚の皮膚があるのではないか。
森に現れた魔物たちは、これまでアカハン地方で戦ってきた魔物とはまるで違っていた。
四肢の動きはぎこちなく、まるで後から覚えた身体の使い方に、何年経っても馴染めないようだった。
まるで、その身体そのものが、本来彼らのものではないかのように。
―今ここにティムがいてくれたら。
エイデンは胸の内でそう呟く。
あの目なら、おそらく一目で真実を見抜いてしまうのだろう。
エイデンが魔物の死体の異変に気づいていた頃。
もう一方の戦場もまた、限界を迎えようとしていた。
ロイは新たな植物魔法を発動する。
巨大な蔓が幾重にも絡み合い、太い縄のような束へと姿を変えていく。
その強大な魔法の代償として、ロイの両目からは鮮血が流れ落ちていた。
それでも彼は拭おうとはせず、なおも蔓を狂ったように成長させ続ける。
ノーマンは加速魔法を駆使し、雷光のような速度で魔物の王の注意を引きつける。
その隙に巨大な蔓は何重にも巻き付き、魔物の王の巨体を拘束していった。
タチバナはすでに剣を納めていた。
黒い手袋をはめた両手で蔓を強く握り締め、その小柄な身体からは想像もつかない怪力で、魔物の王をその場へ押さえ込む。
どれほど巨大な怪物であっても、怒り狂って身をよじることしかできず、一歩も動けない。
兵士たちは二手に分かれる。
一隊はノーマンを援護して魔物の王の注意を引き続け、もう一隊は鉤付きの長縄を怪物へ投げ、タチバナと共に全力で引き続けた。
誰もが待っていた。
ソールが力を溜め終え、十六年前、雷の勇者が放ったものと同じ雷撃魔法を、もう一度放つ、その瞬間を。
―俺に、本当にできるのか。
―弟と同じことが。
ソールは静かに、自分へ問いかけていた。




