腐敗と血臭の王
警笛が鳴り響いた直後、人間の凄まじい悲鳴が聞こえてきた。
最初は、助けを求める叫び声だった。
声の主は、誰かに気づいてもらおうと、出せる限りの大声で喉を張り上げていた。
やがてそれは、理性を失った泣き叫びへと変わった。
もはや助けを求めているのではない。ただ、耐え難い痛みから逃れるため、本能のままに声を上げているようだった。
その直後、喉が引き裂かれそうなほどの絶叫が響き渡った。
肉体がさらに深く傷つけられ、消えかけていた意識を、新たな苦痛によって無理やり引き戻されたのだろう。
最後には声が次第にかすれ、途切れ途切れになり、やがて弱々しい呻きへと変わっていった。
誰が聞いても分かった。
あの声の主は、もう助からない。
それまで笑い合っていたノーマンとエイデンは、同時に椅子から飛び上がった。
二人は大急ぎで鎧を身につけ、武器を手に取る。
ノーマンは戦槌をつかみ、エイデンは武器立てから長槍を引き抜いた。
二人が天幕を飛び出したときには、ロイとタチバナさんがすでに外で待っていた。
「どういうことだ! 昨日は、魔物の王はほとんどの時間を森の中で眠っていると言っていただろう!」
ノーマンが怒鳴る。
「どうやらディマン王国は、相当な数の事実を隠していたようだな」
ロイはため息をついたが、走る速度を緩めることはなかった。
タチバナさんは分厚い黒革の手袋を締め直した。
走りながらも、右手は腰の剣の柄に添えられている。
「まずは人命救助です。それ以外のことは、あとで考えましょう」
錆鉄ギルドの天幕は、ディマン王国軍の駐屯地から少し離れた場所に設けられていた。
そのため四人は、騒ぎの中心へたどり着くまでに、わずかな時間を要した。
騒乱の中心に近づいた頃、彼らは野営地の端に広がる林が、完全に様変わりしていることに気づいた。
灌木や背の低い木々は、まとめて泥の中へ押し潰されていた。
高い木々も幹の途中からへし折られ、断面は無残にささくれ立っている。
まるで何か巨大な生物が、重い肉体を引きずりながら、木々を押し潰して進んできたかのようだった。
次に襲ってきたのは、強烈な悪臭だった。
大量の動物の死骸を真夏の太陽の下に長く放置し、乾いた血、腐敗した肉、鼻を刺す排泄物、朽ちた落ち葉をすべて混ぜ合わせたような臭いだった。
鼻腔へ入り込んだ瞬間、胃の中が激しくひっくり返る。
野営地の中央へ一歩近づくたび、悪臭はますます濃くなっていった。
ロイはポケットから、特殊な魔術文字が刺繍された白い布を取り出した。
それを四つに引き裂き、全員に配って口元を覆う。
森には蝉の声も、鳥の鳴き声もなかった。
わずかな風が木々の間を通り抜けたときに聞こえるはずの、葉の擦れ合う音さえ消えていた。
林と野営地の境目に、巨大な黒い影があった。
昨日の作戦会議で、ソール大佐は十六年前の生存者が描いたという魔物の王の絵を見せていた。
その姿は、マリーが前世の教科書で見た挿絵とほとんど同じだった。
四本の脚で地面に立ち、全身を濃密な黒い毛に覆われた、巨大で逞しい熊のような姿。
毛並みがあまりにもふさふさとしていたため、どこか鈍重で、滑稽なほど愛嬌すら感じられた。
だが、今彼らの目の前にいるものは、あの絵とは何一つ一致していなかった。
絵に描かれた魔物の王は、肩の高さが成人男性の頭ほどで、異常に大きな黒熊のような体格をしていた。
しかし、目の前の怪物は四つ足で立っているにもかかわらず、盛り上がった背中が二階建ての建物の屋根に届きそうなほど高かった。
エイデンの胸の奥が、一気に冷え込んだ。
「……正面からどうにかできる大きさじゃないぞ」
かつて全身を覆っていたはずの豊かな毛皮は、ほとんど失われていた。
残った黒毛も黄ばんで枯れ、火で炙られた藁のようになっている。
それが束になり、膿んだ皮膚へべったりと張りついていた。
露出した黒い皮膚には、歪な形の古傷や、まだ塞がっていない汚れた傷口、肉の奥まで見えるほど深い新しい裂傷が無数に刻まれている。
真っ赤な血が、傷口の縁から絶え間なく滴り落ちていた。
初め、エイデンは腐った肉に白い屑が付着しているのだと思った。
だが、その白い屑が蠢き始めた。
そこで初めて、それが傷口を埋め尽くすほど大量に群がった蛆虫なのだと気づいた。
魔物の王が歩くたび、白い虫が傷口から次々と滑り落ち、泥の中へ転がっていく。
皮膚のあちこちには、膿んだ潰瘍も広がっていた。
そこから黄色と緑色の入り混じった濃い液体が、絶えず流れ出ている。
黄緑色の膿が一滴、近くの葉へ落ちた。
葉はまず内側へ縮れ、すぐに色を失っていく。
わずか数秒後には、完全に枯れ果て、細かな屑となって崩れ落ちた。
魔物の王の四肢からも毛が抜け落ちていた。
その下の皮膚は酷く腐り、白い爪が根元までむき出しになっている。
過剰に腫れ上がった肉体は、もはや本来の形を完全に失っていた。
エイデンの位置から見ると、それは腐肉と汚水を限界まで詰め込んだ巨大な革袋のようだった。
幾重にも重なった皺の隙間から、今にも破裂しそうに見える。
一歩動くたび、腹部に積み重なった腐肉が大きく揺れ、湿った肉同士が擦れ合う不快な音を立てた。
その肥大した肉体の下には、一人の人間が押し潰されていた。
先ほど悲鳴を上げていた人物―ジェイド王子の護衛の一人だった。
四肢も胴体も、もとの形が分からないほど捻じ曲がっている。
両目と口は恐怖に大きく見開かれ、今なお絶叫しているかのような表情のまま固まっていた。
エイデンは、しばらく何も言えなかった。
目の前にいる、二階建ての建物ほどもある全身腐敗した怪物を見る。
それから、昨日見せられた、毛むくじゃらでどこか滑稽ですらあった絵を思い出した。
「……なあ、さすがにこれは依頼詐欺が過ぎるだろ」
エイデンはそう呟いた。




