公爵令嬢だった私(Side:マリー)
「大丈夫かい? まだ疲れているなら、無理をしなくていい。まずはゆっくり休んで。」
ジェイドは優しく声をかけた。
「いいえ。魔物の王を倒す方法なら、もう夢の中で見つけました。」
マリーはきっぱりと首を横に振る。
「本当かい!? また神に祝福された夢を見たんだね!」
ジェイドは目を輝かせ、嬉しそうに声を弾ませた。
彼はマリーのもとへ歩み寄ると、その両手をそっと包み込み、柔らかな微笑みを向ける。
もともと幻想的な美貌の持ち主だったが、笑みを浮かべた彼はさらに美しく、まるでおとぎ話の絵本から抜け出してきた妖精のようだった。
マリーは、陶酔にも近い眼差しで彼を見つめる。
「どんな方法なんだい? もし危険なことなら、君に僕のために傷ついてほしくない。」
ジェイドは愛おしそうに彼女を見つめ、マリーの身体をそっと支えて起こすと、自分の隣へ寄り添うように座らせた。
「魔物の王は、本当はただの弱い魔物なんです。本当に強いのは、あの黒い毛皮のほうです。」
マリーは目を閉じ、夢の内容を思い返す。
「そうなのかい?」
ジェイドは半信半疑といった表情を浮かべた。
「本当です! 夢の中ではっきり聞いたんです。あの巨大な毛皮には、死んでいった魔物たちの怨念が集まっていて、それが弱い魔物に、あれほどの力を与えているんです。」
マリーは焦ったように身を乗り出した。
「夜のうちに護衛を連れて森へ向かいましょう。ほとんどの人は魔物の王の姿に惑わされています。でも、眠っている隙に近づいて毛皮さえ奪えば、あの魔物は元の弱い姿に戻ります! そうなれば、殿下が英雄になれるんです!」
それでもなお迷っている様子のジェイドを見て、マリーの胸はますます焦りに駆られた。
自分の見た夢が本物であると証明しなければならない。
周囲の誰もが、それを疑いなく信じるほどの「予言の夢」でなければ意味がない。
そうして初めて、本当の名門貴族が彼女を養女として迎え入れ、ジェイドにふさわしい妻になれるのだから。
今の彼女は、しがないフィート子爵家の次女――マリー・フィートにすぎない。
だが、あそこは彼女の本当の家ではなかった。
あの「家」にいるのは、見知らぬ夫婦と、見知らぬ三人の兄姉。そして古びた狭い屋敷だけ。
しかも、服の趣味まで最悪だった。
彼らはマリーの姿を見るたびに泣き崩れ、地面にひざまずき、「本当のマリーを返してください」と何度も何度も懇願してきた。
彼女の本当の名は、マリアンナ・ブラウンティ。
リタール王国において絶大な権勢を誇る、ブラウンティ公爵家の令嬢だった。
本来なら、生まれた年齢さえも今より五年ほど後であるはずだった。
マリアンナ・ブラウンティ公爵令嬢の記憶にある世界は、今マリーが生きるこの世界とよく似ていながら、決定的に違っていた。
学院時代のヴィクトリア側妃は、ヘクトール伯爵ハントと恋仲になることはなかった。
彼女の周囲には数多くの優秀な男性が集まり、その中で最も高い地位にあったジェイソンを選び、エリカに代わって王妃となったのだ。
しかし数年後、禁忌とされる魅了魔法を使用していたことが発覚し、ヴィクトリアはカンティ家とともに処刑された。
その後、ジェイソン国王は、長年「側妃」の名のもとに幽閉されていたエリカと改めて婚礼を挙げる。
二人の間には一人の王子が誕生し、エドワードと名付けられた。
やがてマリアンナは、自分より二歳年下のエドワード王子と婚約する。
それは政略結婚を前提とした婚約だったが、エリカ王妃が二人を温かく見守ってくれたおかげで、彼らの関係はとても良好だった。
マリアンナが王宮を訪れるたび、エドワードは自ら彼女を庭園へ連れ出し、新しく手に入れた玩具や本を嬉しそうに見せてくれた。
二人がそれぞれ学院へ入学した後も、エドワードはいつも上級生の教室の前まで迎えに来てくれた。
一緒に歩いて帰る、その何気ない時間が、マリアンナにとっては何よりも幸せだった。
しかし、政局が変わるにつれ、エリカ王妃は南方へ赴いて新たな派閥を築き、ジェイソン国王と宰相であるブラウンティ公爵の関係も、次第に友好から対立へと変わっていく。
そして国王と宰相が決裂すると、その余波はマリアンナにも及んだ。
エドワード王子は、彼女との婚約を一方的に破棄したのである。
最愛の人に裏切られた現実を、マリアンナはどうしても受け入れられなかった。
来る日も来る日も涙を流し、侍女たちがどれほど励ましてくれても、その悲しみから立ち直ることはできなかった。
そんなある日。
王宮の秘密の庭園で一人涙を流していた彼女は、一人の青年と出会う。
ジェイソン国王とヴィクトリアの間に生まれ、高い塔へ幽閉され続けていたジェイ王子だった。
銀色に輝く長い髪。
宝石のように美しい紫色の瞳。
花々に囲まれて立つその姿は、まるで妖精の国から迷い込んできた王子そのものだった。
マリアンナは一目で、その姿に心を奪われた。
彼は会うたびに優しく彼女を慰めてくれた。
「もし僕が君の婚約者だったなら、誰にも君を傷つけさせたりしない。」
そう言って、彼は真っ直ぐな瞳でマリアンナを見つめ、その手を優しく握る。
まるで物語の主人公のようだった。
その日から、マリアンナはジェイ王子を愛するようになった。
彼のためなら、すべてを捧げても構わないと思えるほどに。
けれど最後に待っていたのは――
再びの裏切りと、凄惨な死だった。
あまりにも血なまぐさく、あまりにも残酷な最期だったせいで、自分が最後にどうやって命を落としたのかさえ、思い出せなくなってしまっていた。
再び目を開けたとき、彼女はディマン王国の少女――マリー・フィートとして生まれ変わっていた。
フィート子爵家は、第二側妃派に属する上位貴族と親交があった。
そのため、まだ十歳だったマリーは家の命令で、第一側妃の別邸へ侍女兼密偵として送り込まれることになる。
家族から蝶よ花よと育てられてきたマリーは、侍女の仕事にまったく慣れていなかった。
主人に仕えることなど面白いはずもなく、周囲の目を盗んでは、自分が世話を任されている一人の子どもをいじめていた。
そして――
マリアンナがマリーの身体で目を覚まし、ようやく意識がはっきりしたとき。
彼女は、その場で息を呑んだ。
目の前には、全身に汚水を浴びせられ、それでも必死に涙をこらえている一人の子どもがいた。
その顔は――
ジェイ王子と、驚くほどよく似ていた。
ただ、一つだけ違っていた。
その子は、ピンク色のフリルドレスを身にまとい、愛らしいツインテールを結んでいたのだ。




