選ばれなかった男
彼らの宿へ戻ると、エイデンは荷物の中から紙とペンを取り出し、すぐに手紙を書き始めた。
「親友ティムへ……」
―日輪の勇者がとうとう狂いました。どうかエリカ陛下に国境を封鎖するようお伝えください。
エイデンは書き上げた文章を数秒見つめた。
「……いや、さすがに早すぎるか。」
そう呟くと、その一文を勢いよく線で消し、新しく書き直す。
――日輪の勇者がストーカーになって、お父さんを必死に探し回っています。どうかエリカ陛下に、日輪の勇者に勝てる人を何人か派遣してもらってください。
そこまで書いて、エイデンはまたペンを止めた。
「……やっぱり失礼すぎるよね。」
ソラさんもティムも、本当に獰猛な生き物と仲良くなるのが上手だ。もっとも、どれだけ大人しく見えても、猛獣の本性までは変えられない。
……本性は変わらない、と考えたところで、エイデンの脳裏にふとジェイド王子の顔が浮かんだ。
――まさか、ジャスミーヌの家族、本当にジェイド王子の求婚を受けたりしないよね?
ノーマンが軽くエイデンの肩を叩いた。
「心配するな。夏至祭のあと、ヒルダがもうジャスミーヌさんの家へ話をつけに行ってる。」
「でも、相手が王子だからって理由で娘を嫁がせようって思ったら?」
「誰が、自分の娘を将来性もなく、その娘と遺恨まである王子なんかに嫁がせる?」
ノーマンはきっぱりと言い切った。
タチバナも先ほどの出来事をロイから聞いていたらしく、笑いながら口を開く。
「安心して。もし本当にそんな日が来たら、私はもう一度パール王国へ行って、昔やったことをもう一回やるって脅してあげる。」
「その前に、冒険者ギルドを退会してください。」
ロイがすかさず突っ込む。
「なによ。それじゃエイデンを好きな人と結ばせたくないの?」
タチバナは不満そうに頬を膨らませた。
ロイは小さくため息をつく。
「ジャスミーヌさんは意志の強い人です。あれだけの情勢の中でも織魔法の修行を貫いた人ですから、どんな圧力があっても、自分の恋くらい貫き通すでしょう。……それでも何か異変があれば、その時は俺も力になります。」
「僕はジャスミーヌを信じてるよ。」
エイデンは机に突っ伏したまま、元気なく呟いた。
「そういえば、出発前にジャスミーヌさんを見送りに行ってたよね? 彼女はパール王国へ帰ったの?」
タチバナが興味深そうに尋ねる。
「いや。療養中の友達のお見舞いで、無尽部族へ行ったんだ。ジャスミーヌはその人の後見人だから、面倒を見なくちゃいけないんだよ。」
タチバナはにやりと笑った。
「向こうで実は秘密の奥さんを囲ってたりしても、心配しないの?」
エイデンは即答した。
「でも、正妻は僕だけでしょ? だったら問題ないよ。」
その返答に三人は一斉に吹き出した。
天幕の中は笑い声に包まれ、穏やかで和やかな空気が流れていた。
その頃――ジェイド王子の天幕には、そんな明るい空気は欠片もなかった。
天幕へ戻ると、入口で護衛が一通の手紙を差し出した。
差出人は母―ヴィクトリア側妃だった。
ジェイドは丁寧に封を切り、中から金の縁取りが施された豪華な便箋を取り出す。
最初の一行を読んだ瞬間、その表情は険しく曇った。
アルジー家は求婚を断った。
ジャスミーヌにはすでに相応しい相手がおり、婚約に向けた話し合いを進めているという。
――誰だ?
元婚約者だった第三王子か。
パール王国の別の王子か。
それとも、ジャスミーヌの友人の兄弟か。
自分以外にも、彼女へ求婚した者は大勢いる。
ジェイドの胸は焦燥で満たされていった。
……それとも。
彼の脳裏に浮かんだのは、先ほどヨウタたちの天幕の外で盗み聞きした会話だった。
もっと聞こうとした、その肝心なところで、天幕の中は突然魔法によって遮断されてしまった。
あの若い冒険者―錆鉄の冒険者ギルドの男の声。
『もう家族にも俺のことを書いて送ってくれてるんだ!』
『本当だよ! ジャスミーヌが家族に送る手紙をこっそり見ちゃったんだけど、「まるでゴールデンレトリバーみたいに可愛い」って書いてあった!』
それまで勇者が口にしていた話と合わせれば、その「ジャスミーヌ」が、自分の求婚相手であるジャスミーヌ・アルジー以外に考えられなかった。
ジャスミーヌが選んだのは……あの薄汚い私生児だというのか。
このディマン王国の王族である自分ではなく。
自分は、姓すら名乗ろうとしない私生児に敗れた。
その事実を思い浮かべただけで、ジェイドの胸に激しい怒りが燃え上がる。
宮廷の貴婦人たちは、母をからかうのが好きだった。
「学生時代の恋人――今やヘクトール伯爵となったハントへ嫁いでいれば、今頃こんなふうに王宮で肩身の狭い思いをしなくて済んだでしょうに。」
そんな陰口を、何度聞かされたことか。
ジェイドは、母の選択が間違っていたとは思わない。
平凡な伯爵家の息子になるくらいなら、偉大なディマン王国の王子である方が、遥かに誇らしかった。
無意識のうちに、自分の頬へ手を当てる。
……まさか。
エイデンの方が、自分より顔立ちが整っていて、男らしいというのか。
パール王国では、第三王子を筆頭に貴族の男たちが競うように自分へ求婚してきた。あの出来事は、今なお消し去りたい過去の一つだった。
ディマン王国へ戻ったあとも、人々は彼を「美しき中性的な妖精王子」と称え続けた。だが今では、その呼び名さえ皮肉にしか聞こえなくなった。
そんなことを考えながら、ジェイドは天幕の中へ足を踏み入れる。
先ほどまでの荒れた室内はすっかり片づけられ、マリーは自分の服を積み重ねた上に腰掛け、ぼんやりと前を見つめていた。
ジェイドの姿を見つけると、彼女はぱっと表情を明るくする。
その瞬間、幼い頃の記憶が脳裏によみがえった。
胸を張って立ち、自分の服装や立ち居振る舞いを見下して笑っていた、あの頃のマリー。
ジェイドはその記憶を無理やり振り払うと、優しく微笑み、マリーを抱き寄せた。
「どうすればいいか、わかったの!」
マリーは嬉しそうに言う。
「魔物の王の弱点、知ってるの!」




