届かなかった呪い
ヨウタは彼らに息をつく暇も、考える時間も与えなかった。
驚異的な速さでロイの目の前まで踏み込み、そのまま静かに口を開く。
「もう一度、親友の野口ソラに会いたいんです。だから、あなたの力が必要なんです」
ヨウタはまっすぐロイを見つめる。
その瞳に宿る感情は、集中なのか、それとも執着なのか判別できない。
ロイは何も答えず、ただ冷ややかに彼を見返した。
「僕の知る限り、それができるのは、あなただけです」
先ほどまでとは違う。
その声には、より強い感情が込められていた。
その瞬間、ロイの指先がわずかに震える。
まるで何かに触れられたかのように。
「お願いします。もう、誰を頼ればいいのか分からないんです」
ヨウタは言葉を慎重に選び、一つひとつ表現を変えながら語りかけていく。
ロイの呼吸が、わずかに速くなった。
「どうか、お願いします」
そして、最後に。
「……助けてください」
その瞬間。
ロイは異変を悟った。
-呪いが、発動する。
すべては体温から始まった。
全身が熱を帯びる。
高熱を出したような熱さ。
だが次の瞬間には、凍てつく湖へ投げ込まれたかのような寒気が全身を襲う。
続いて、手足も身体も激しく震え始めた。
さらに全身へ激痛が走る。
皮膚の表面から始まり、肉を貫き、骨の奥深くへと届く痛み。
巨大な蛇か、あるいは鎖のような何かが全身へ巻き付き、締め上げ、命が尽きる寸前まで容赦なく圧迫してくる。
やがて身体の自由は完全に奪われる。
そして、呪いが「救うべき相手」と認めた願い人を救うまで、その苦痛が終わることはない。
ロイは必死にその苦痛へ耐えながら、ソラが調合してくれた薬草へ手を伸ばそうとした。
-しまった。
持ってきていない。
エイデンもまた異変を感じていた。
左手首につけていた、ジャスミーヌから贈られた編み込みの腕輪が、小さく震えている。
震えはやがて、蜂の羽音にも似た規則正しい微かな音へ変わった。
その音は少しずつ大きくなり、やがて部屋中へ広がっていく。
他の者たちの表情も変わった。
彼らにも、その音が聞こえている。
ロイとエイデンは互いに感じ取っていた。
エイデンの腕輪と、ロイへ刻まれた呪い。
二つの魔力が互いへ触れ合い、ゆっくりと絡み合っていく。
それは争いでも、喰らい合いでもなかった。
千年以上の時を生き続けた古き存在が、果てしない孤独の果てに、自らとよく似た、しかしまだ幼い命へ初めて出会ったかのようだった。
部屋にいた全員が、その凄まじい魔力の奔流を感じ取る。
ノーマンは立ち上がろうとするが、圧倒的な魔力に押さえつけられ、身体を動かせない。
ヨウタもまた、この時初めて驚きの表情を浮かべた。
最初は彼自身も魔力の影響で動きを封じられていたが、時間が経つにつれ、少しずつ身体を動かせるようになっていく。
時間がない。
エイデンは本能的にそう悟った。
彼は素早く腕輪を外し、そのままロイの腕へ通した。
腕輪がロイの肌へ触れた瞬間――
乾いた音と共に砕け散った。
同時に、あの蜂鳴のような音がぴたりと止む。
部屋は嘘のような静寂に包まれた。
ロイへ絡みついていた膨大な魔力は急速に収束し、小さく折り畳まれるようにして、再び彼の身体へ吸い込まれていく。
呪いによって引き起こされていた熱も寒気も、激痛も、不快感も。
そのすべてが、綺麗に消えていた。
その時だった。
低く落ち着いた女性の声が、不意に響く。
「今回は、それで許してあげる」
その声を聞いた瞬間、ロイは見えない誰かに頬を軽く叩かれたような感触を覚えた。
誰の声なのか、ロイには分かっている。
そして、呪いが消えたわけではないことも。
ただ今回だけは、あえて執行しないと決めただけなのだ。
「うわああああっ!」
突然、エイデンが悲鳴を上げ、床へ散らばった腕輪の破片へ飛びついた。
「ジャスミーヌがくれたプレゼント! 彼女が手編みしてくれた腕輪が! 壊れちゃった!」
「あれ? これって……ジャスミーヌの髪の毛!? わっ、ちゃんと拾って持って帰らなきゃ!」
床へ這いつくばりながら必死に破片を拾い集めるエイデンを見て、ロイは十数年前のノーマンを思い出していた。
「……今のは、一体何だったんだ?」
ノーマンが驚いたように尋ねる。
四人の中で最も魔力が低いノーマンには、何が起きたのか理解しきれなかった。
魔力の奔流が収まった今も、まだ身体は思うように動かない。
「……あれは、『編織魔法』ですか?」
ヨウタは床に散らばる腕輪の残骸を拾い集めるエイデンを見つめる。
「確か、真珠王国で今もその魔法を使える人は、もうほとんど残っていなかったはずです。しかも、その多くは身分の高い貴族の女性だったと記憶しています」
そう言って首をわずかに傾ける。
黒い瞳には、何の感情も浮かんでいない。
「それを、どうして君が持っているんですか?」
エイデンは腕輪の欠片をすべて拾い集め、糸の中からこぼれ落ちたジャスミーヌの髪を丁寧に腰の小袋へしまうと、ゆっくり立ち上がり、ヨウタを真正面から見つめた。
ティムほど頭が切れるわけではない。
それでも、ヨウタの言葉に込められた皮肉くらいは聞き取れる。
―この人は。
空っぽなんだ。
エイデンはそう思った。
何もかも持っているように見えて、その実、何ひとつ持っていない。
エイデンはソラから、異世界がどんな場所だったのか、そして彼らが家族も故郷もすべて失い、この世界へ連れて来られたことを聞いていた。
勇者と崇められるヨウタも、本当はソラやナオミと同じだった。
すべてを失った人間だ。
ただ一つ違ったのは。
ソラたちが新しい居場所と、新しい絆を築いたのに対し、ヨウタだけは何ひとつ築けなかったこと。
エイデンには分かった。
ヨウタは笑っている。
けれど、その瞳はまったく笑っていない。
親友を探したいと言う。
だが、何年も離れ離れだった相手を、どうして今になって探そうとするのだろう。
自己犠牲を厭わず、高潔な勇者として振る舞いながら。
その裏では、自分へ従わない者へ静かに悪意を向け、その心の空白を埋めようとしている。
「これは、僕が愛している女性からもらったものです」
エイデンは胸を張って答えた。
「彼女は編織魔法が得意なんです。きっと、その魔法が会長の呪いと何らかの共鳴を起こして、一時的に呪いを打ち消したんでしょう」




