絶対に間違えない話題
実のところ、エイデンは最初から、あれほど多くを語るつもりなどなかった。
すべての始まりは、ヨウタが錆鉄の冒険者ギルドの一行を自分の天幕へ招き、昔話でもしようと言い出したことだった。
タチバナさんは、誘われるなり即座に断った。
「ねえ、別に私が根に持ってるわけじゃないけどさ。ディマン王国の勇者って、天空神と王族の命令に従ってるんだろ? だったら、私を未亡人にした仇の手下ってことにならない?」
「そういう数え方になるのか?」
突然持ち出された理屈に、ロイもさすがに困惑した様子だった。
「なるよ。だって私は涙の聖女の妻なんだから、昔の慣習に従えば、私だって勇者みたいなものだろ? 勇者同士って、仲良くできないものなんだよ!」
「それは何百年も前の古い俗説だ! 勇者と聖女は結ばれるべきだなんて、今どき誰も言っていない!」
なぜかロイは、そのままタチバナさんと真剣に議論を始めてしまった。
そんな説があったのか……。
ノーマンとエイデンは、傍らで黙って新たな知識を吸収していた。
討伐を終えてジャスミーヌのもとへ戻ったら、真っ先にこの話を教えてあげよう。
エイデンはそう心に決めた。
結局、タチバナさんは宿舎に残って留守を守ることになり、ノーマン親子はロイに連れられて、勇者の天幕へ向かった。
「ただ昔話をするだけだ。ソラなんて人物は存在しないものとして振る舞えば、何も問題は起きないさ」
不安そうな息子を、ノーマンはそう言って宥めた。
ところが、やはり問題が起きた。
最初に問題を起こしたのは、父ではない。
エイデンでもない。
ロイ会長だった。
ヨウタは兵士や護衛をすべて外へ下がらせ、天幕の中には四人だけが残った。
これまで何度も共に任務をこなしてきたこともあり、ヨウタとノーマンはすぐに打ち解けた様子で話し始めた。
話題の大半は、共通の知人の近況や、かつて共に携わった任務のその後についてだった。
その傍らで、エイデンはティムの忠告を思い返していた。
ティムはエイデンより二つ年下だが、とても頼りになる。
彼には、物事に潜む何らかの本質を見抜く、特別な目もあった。
だからエイデンは、ティムの判断を一度も疑ったことがない。
今回の討伐任務について知ったティムは、いくつもの注意点を挙げていた。
ソラの名を口にしないこと。
自分たちと母との関係を悟られないこと。
そして何より重要なのが、ロイの「呪い」だった。
「エイデン。もしヨウタやほかの誰かが、ロイ会長の前で何かを頼んで、その内容が偶然にも呪いを発動させる条件に当てはまったら、どうする?」
「魔物の王との戦いに利用されるかもしれない。ディマン王国の情報戦に巻き込まれるかもしれない。ロイ会長もタチバナさんも強いから、自分たちなら大丈夫だと思い込みやすい。だから、そういうときは君が二人を守らないと」
そのためエイデンは、父の隣に背筋を伸ばして座り、一言たりとも聞き逃すまいと耳を澄ませていた。
安全な話題へ誘導するための努力も、すでに何度か試している。
扉を開けるときは左手を使った。
ジャスミーヌにもらった腕輪を見せるためだ。
ヨウタと握手するときも左手を差し出した。
出された果物を取るときでさえ、わざわざ左手を使った。
それなのに、勇者は一度たりとも腕輪へ目を留めなかった。
「会長……」
ヨウタが口を開いた。
先ほどまでノーマンと交わしていた気安い雑談とは違い、その声音はひどく改まっていた。
彼は背筋を伸ばし、姿勢まで正す。
空気の変化を察したロイは、すぐに魔法道具を作動させた。
到着した日に、彼らへ割り当てられた宿舎でも使用していたものだ。
天幕の中の会話が外へ漏れにくくなる、盗み聞き防止の魔道具だった。
「あなたと、あなたのギルドの仲間たちは、どの国の庇護も受けていない異世界人に出会ったことがありますか?」
――これだ。
きっと、ディマン王国から逃げ出した異世界人を捜しているのだ。
エイデンは珍しく頭を懸命に働かせた。
ティムの話では、ディマン王国は異世界人を重要な資産と見なしているらしい。
たとえ強大な魔力に目覚めなかった者であっても、王宮の外へ出ることは許されないという。
ヨウタとソラ……。
確かティムは、二人は同じ時期に召喚されたと言っていた気がする。
だが、二人は友人だったのだろうか。
勇者ヨウタは長年、ディマン王国の命令へ忠実に従い続けてきた。
もし王国から命じられ、とっくに逃亡したソラを捜しているのだとしたら?
あるいは、さらに昔に逃げることに成功したナオミ夫人まで見つけようとしているのだとしたら?
もしソラに何かあれば、エリカ王妃はどうなる。
ティムはどうなるのか。
ソラが築いた草薬師の制度も、豊穣の女神を中心とする信仰体系も崩れかねない。
ナオミ夫人だって、失うわけにはいかない。
彼女は異世界の医学知識を活用し、今ではリタール王国で二番目に大きな医療機関を取り仕切っている。
もし彼女まで連れ去られれば、リタール王国がようやく築き上げた、ディマン王国に依存せず機能する仕組みそのものが崩壊するかもしれない。
手遅れになる前に、エイデンが何とかして止めなくてはならない。
―どうやって止めればいいのかは、まるで分からなかったが。
そのとき、不意にティムの声が頭の中に蘇った。
「それなら……本当にまずいことになりそうなときは、君が自信を持って話せることを話せばいいんじゃないかな。絶対に間違えない話題を」
エイデンは神経を張り詰めたまま、ヨウタたちの会話へ耳を澄ませた。
ロイは、どこかのんびりとした調子でヨウタの問いに答える。
「私が出会った異世界人か。となると、ずいぶん昔まで遡らねばならないな。少し思い出してみよう。たしか、私が精霊の密林を出たばかりの頃だったはずだが……」
「ここへ来る前、私はディマン国王の命を受け、長年にわたり違法な取引を行っていた盗賊団を討伐しました。その首領の名は――ヴィンソン・レイノ」
ノーマンの肩が、わずかに震えた。
「彼は数多くの残虐な罪を犯していました。そのため私は、生け捕りにせよという国王の意向に背き、その場で処刑しました」
ヨウタの口調は厳しく、話す速度も速い。
ロイに口を挟ませまいとするように、間を置かず言葉を重ねていく。
「死ぬ前に、ヴィンソンは多くの秘密を明かしました。さらに、数十年にわたってリタール王国から人々を密かに売買してきた記録まで、私に渡したのです」
ヨウタは、分厚い記録帳を三冊取り出した。
黄ばんだ紙はところどころ皺になっており、何度も読み返された形跡がある。
中には無数の付箋まで挟まれていた。
ヨウタはその三冊を、ノーマンのほうへ押しやる。
「なあ、ノーマン。リタール王国の事情なら、君のほうが詳しいだろう。先に目を通してくれないか?」
なんという恐ろしい策略だ。
エイデンは危うく叫び出しそうになった。
長年戦友として過ごしてきたヨウタは、ノーマンの生い立ちを知っている。
何度も売り渡され、見世物の戦闘に使われていた奴隷。
それがノーマンの過去だった。
以前ノーマンから聞いた話では、ヨウタに知られては困ること――たとえば、妻でありノーマンの母でもある女性の正体――を追及されそうになったとき、彼は何度もその過去を理由に話を逸らしてきたという。
ノーマンの反応を見る限り、ヴィンソン・レイノは、おそらくかつて前ヘクトール伯爵の依頼を受け、伯爵が飽きたノーマンの母と、その子であるノーマンを売り払った人物なのだろう。
あの記録帳には、二人の名が残されているかもしれない。
ノーマンと共にいた仲間たち。
大人になることなく死んでいった子供たちの名も。
それだけではない。
この名簿を手に入れられれば、リタール王国にとっても大きな利益になる。
ノーマンは餌へ食いつく飢えた魚のように記録帳を手に取り、すぐさま頁をめくり始めた。
ヨウタは満足そうに、そのまま話を続ける。
「ヴィンソンは、もう一つ教えてくれました。彼も私と同じ世界から来た人間であり、ディマン王国の王太后と同じ時期に召喚されたのだと。ところが彼の名は、これまで一度も世間へ公表されていません」




