花の蕾が眠るまで(Side:ジェスミン)
「どうして使徒が男なのかって? それは……実を言うと、私も知りたいくらいなんだ」
空は苦笑した。
「女神が本当に選びたかったのは、私ではなかったんじゃないかと、ずっと思っている」
「おそらくエリカだったんじゃないかな。女神はかつて、真珠王国の建国女王アドラーを『神箭の聖女』に選んだことがある。エリカは美しくて聡明だから、候補としては申し分ないだろう?」
ジャスミンは疑わしそうに空を見た。
「ただ、エリカは相手が誰であろうと、素直に従うような人じゃないからね。それで仕方なく、次点の私が選ばれたのかもしれない」
「使徒にも、聖女と同じ力があるのですか?」
空は頷いた。
「あるよ。ただし、聖女ほど強くはない」
「では……」
ジャスミンは少しためらってから尋ねた。
「異世界人が使徒に選ばれたのは、あなたが初めてなのですか?」
空はわざとらしく首を傾げ、数秒ほど考え込むふりをした。
「たぶん、そうなんじゃないかな」
ジャスミンはそれ以上尋ねなかった。
だが、彼女が本当に問いたかったことを、二人とも理解していた。
――男性であることはともかく、なぜよりによって異世界人が選ばれたのか。
「君が必然的にこの一連の出来事へ巻き込まれていったのと、同じようなものだと思う」
空は静かに言った。
「いくつもの出来事が連鎖した結果、最後には私がこの立場に立っていた。それだけだよ」
これ以上の答えは得られないのだと、ジャスミンは悟った。
いずれ空の弟子になれば、少しずつ詳しい事情を教えてもらえるのかもしれない。
だが、それは今ではない。
おそらく空も自分と同じなのだろう。
複雑な事情と数えきれない出来事が絡み合い、気づけば現在の立場へ辿り着いていたのだ。
「そうだ。エイデンにもまだ知らせていない話を、君には先に教えておこう」
空は何気ない口調で続けた。
「私の息子が、生涯を共にしたいと思える相手を見つけたんだ」
その言葉を口にした瞬間、空が纏っていた使徒としての顔も、女神の代行者としての威厳も消えた。
そこにいたのは、息子が良縁に恵まれたことを心から喜ぶ、ごく普通の父親にしか見えなかった。
「君とエイデンの用事がそれぞれ一段落したら、二人で王宮へ遊びにおいで」
ジャスミンは驚いて目を見開いた。
リタール王国の王太子が、生涯の伴侶となる相手を見つけた。
それは、どの国にとっても極めて重要な知らせだった。
リタール王国の次代への継承に、ようやく見通しが立ったことを意味するからだ。ティム王太子は間もなく十七歳になるというのに、いまだ婚約者がいなかった。そのことは、国内の多くの者が長く案じていた問題でもある。
「王太子殿下の喜ばしいお話を伺えて、私も嬉しく思います。正式にお招きいただけましたら、必ず伺わせていただきます」
ジャスミンがセリーナと暮らす住居へ戻ると、セリーナはまだ寝台で眠っていた。
身体を小さく丸め、ショールと毛布で全身を包み込んだ姿は、巨大な花の蕾のように見えた。
一度は目を覚ましていたらしい。
卓上に置かれた編みかけの作品には、先ほどよりも数目ほど編み目が増えており、水差しの水も半分ほどに減っていた。
ジャスミンは、華麗な紫水晶花の模様が描かれた肩掛けを脱いで椅子へ掛けると、身につけていた装飾品も一つずつ外し、丁寧に箱へ収めた。
すべてを整えてから、慎重に寝台へ腰掛ける。
そしてセリーナの背中へ決して触れないよう細心の注意を払いながら、彼女と向かい合う形で隣に横たわった。
ジャスミンが横になると、花の蕾の先端がゆっくりと綻んだ。セリーナが毛布をめくり、青白い顔を覗かせる。
「おかえり」
「ただいま」
「使徒って、どんな人だった?」
ジャスミンは頭の中で、ふさわしい言葉を探した。
「彼も……秘密を背負ったまま、生き延びてきた人よ」
セリーナは毛布に包まれたまま、ジャスミンの方へ少し身体を寄せた。
まるで彼女の体温を分けてもらおうとするかのようだった。
ジャスミンはその動きで崩れかけた毛布とショールを整え直し、セリーナの身体を隙間なく包み込んだ。
「昼食の時、あなたがあの人を見る目が変だったから、心配していたの」
ジャスミンは少し驚いた。
あれほど疲れ切っていたにもかかわらず、セリーナは彼女の表情の変化に気づいていたらしい。
ジャスミンは理由を説明することにした。
「ある人に、とてもよく似ていたから驚いたの」
「誰?」
「リタール王国のティム王太子よ。使徒様も否定しなかったわ」
「ええっ!?」
セリーナは驚いて目を見開いた。
そして、興奮したように笑い出す。
「まさか、そんな世紀の謎の答えを知れるなんて。もう思い残すことはないわ」
「セリーナ!」
ジャスミンは少し怒ったように彼女を睨んだ。
「そんなことを言わないで!」
だが、セリーナは笑い続けていた。
その笑顔には、隠しきれない悲しみが滲んでいる。
「ねえ、ジャスミン。あなたが帰ってくる前に、あの時の夢を見たの」
「悪夢だって分かってる。でも……お願い。あれは本当じゃなかったって言って。あの人たちは、もう罰を受けたって言ってよ」
「セリーナ……」
ジャスミンは友人の頬を両手で包み、その瞳を真っすぐ見つめた。
「今は、よく耳を澄ませて」
「聞こえる? 裏庭から聞こえてくる呻き声が」
「聞こえるわ」
「それが、あの人たちの悲鳴よ。忘れたの?」
「今も裏庭に並べた壺の中へ閉じ込められて、苦しみ続けているわ。婚儀が始まったら、最後にその命を役立ててもらうの」
「聞こえる」
セリーナは、もう一度そう答えた。
ようやく落ち着きを取り戻し、満足そうな微笑みを浮かべる。
実際には、外から悲鳴など何一つ聞こえてはいなかった。
あの者たちは、知っている情報をすべて吐き出した後、狭い陶器の壺へ詰め込まれた。
壺へ入れる前に、ジャスミンは手際よく彼らの舌を切り取り、その目を抉り出していた。
「それじゃあ、ジャスミン。あなたが好きになった、あの筋肉男の話をもっとして」
「……また名前を忘れたんじゃないでしょうね?」
「忘れてないわよ」
セリーナは気まずそうに視線を逸らした。
「それに、エイデンのお父様を見たら、もうエイデンのことを筋肉男なんて呼べなくなると思うわ」
ジャスミンは、リタール王国での暮らしについて話し始めた。
いつも余計なことを口走り、一人で勝手に恥ずかしがっているエイデン。
熊のように大柄で、口を開くたびに息子を困らせるノーマン。
謎めいた雰囲気を纏い、何もかも見透かしているようなギルドマスターのロイ。
町や学院で出会い、ジャスミンを助けてくれた大勢の女性たち。
ジャスミンの話を聞きながら、セリーナの身体から少しずつ力が抜けていった。
やがて、その瞼がゆっくりと閉じていく。
「私もあなたと一緒に、リタール王国で暮らせたらよかったのに……」




