花はまだ咲いている(Side:ジェスミン)
セリナは、自分のもとへ駆け寄ってくるジャスミーヌを見て、優しく微笑んだ。
その笑顔は学生時代と少しも変わらない、穏やかで柔らかな美しさをたたえている。
少し凛々しい顔立ちのジャスミーヌとは対照的に、セリナはまるで庭の片隅にひっそりと咲く小さな花のようだった。
一人で咲いていれば美しいと思わせ、ほかの花々に囲まれていれば、思わず可愛らしいと感じさせる――そんな少女だった。
彼女はアンナとよく似た民族衣装の長衣をまとい、膝の上には編み道具や色鮮やかな毛糸、レースが置かれている。
ローブに刺繍された淡い桃色の小花を本物の花と勘違いしたのか、数匹の蝶が彼女の周囲を楽しげに舞っていた。
よく晴れた朝だというのに、その背には季節外れと思えるほど厚い毛布が掛けられ、背中全体を覆い隠していた。
その姿を見たジャスミーヌは、思わず目を見開く。
「髪、切ったの?」
今のセリナの髪は、耳の少し下までしかない。
真珠王国では、女性は長い髪を美の象徴として大切にし、さまざまな髪飾りで彩るのが伝統だった。
そして、その長い髪には――もう一つ、大切な意味がある。
「うん。見て。ジャスミーヌのために作ったドリームキャッチャー。」
セリナは隣の袋から、大きなドリームキャッチャーを取り出して差し出した。
中央には真っ白な貝殻が据えられ、その周囲を黒い細い糸が幾重にも編み込まれている。
円形の枠には羽根や乾燥させた紫晶花、美しい宝石が飾られ、息を呑むほど繊細な仕上がりだった。
その黒い糸は、普通の糸とは明らかに違う質感を持ち、驚くほど丈夫だった。
ジャスミーヌは、それが何なのか知っている。
――セリナ自身の髪だ。
だが、これほど大きなドリームキャッチャーを作ったとしても、腰まで届いていた彼女の髪を、あれほど切る必要はないはずだった。
「他にもいっぱい作ったんだよ。」
そこへ、少し遅れてアンナも追いついてきた。
「私はお昼ご飯の準備を手伝ってくるね。また後で呼びに来るから。」
立ち去る前、アンナはもう一度ジャスミーヌへ意味ありげにウインクする。
「さっきのお誘い、あなたが帰るまではいつでも有効だからね〜。」
ジャスミーヌは苦笑して首を横に振った。
「お気持ちは本当に嬉しいです。でも、リタール王国には待っていてくれる人がいるんです。」
セリナの瞳がぱっと輝く。
「えっ? 誰!? 誰が待ってるの!?」
ジャスミーヌは少し照れくさそうに笑った。
エイデンのことは好きだ。
けれど、それを口にするのはやっぱり恥ずかしい。
「最近、少しずつ仲良くなった人……。あなたも会ったことがある人。」
セリナは首を傾げ、一生懸命考え始めた。
「うーん……無尽の部族の人?」
「違うよ。」
「翡翠魔法学院の、あのイケメン魔法使いたち?」
「……違う。」
「昔の学校の同級生?」
「それも違う。」
「まさか第三王子とヨリを戻したとか!? それじゃ私たちの計画はどうなるの?」
「それだけは絶対にありえないから!」
「じゃあ誰なの!? もう思いつかないよ!」
セリナは本気で困り果てた表情を浮かべる。
ジャスミーヌは少しだけ笑った。
「去年、一緒に無尽の部族へ来た時、護衛をしてくれた冒険者の中に、エイデンっていう金髪碧眼の男の子がいたでしょう? 子犬みたいな人。」
「……エイデン?」
セリナはしばらく考え込み、ようやく思い出したらしい。
そして信じられないものを見るように親友を見つめた。
「えっ、あの筋肉の塊みたいな人!? 子犬!?」
似ていないだろうか。
ジャスミーヌは頭の中でエイデンを思い浮かべる。
どう考えても、可愛い子犬そのものだった。
「確かに平民にしては顔立ちは整ってるけど……どう考えても子犬には見えないよ?」
セリナは不思議そうに言う。
「でも、すごく可愛い子犬みたいなんだもの。」
言葉にした瞬間、ジャスミーヌ自身が恥ずかしくなってしまった。
セリナは、何かを思い出したように照れ笑いを浮かべるジャスミーヌを見つめた。
長年の親友である彼女ですら、そんな表情を見るのは初めてだった。
しばらく黙って見つめたあと、小さく笑う。
「ジャスミーヌ……。」
「あなた、その人のことが好きになったんだね。」
「うん。」
ジャスミーヌは素直に頷いた。
「でも、その人は平民なんでしょう? 本当に幸せになれるの?」
「事情は少し複雑なの。」
「あなたとマーラが大好きだった小説、『虐げられた奴隷少女は、孤独な大公に溺愛される』、覚えてる?」
セリナは不思議そうに頷く。
「彼の両親って、その主人公たちみたいなの。ただ、男女が逆なんだけど。」
「それは面白そう。」
セリナはくすりと笑った。
しかし、何かを思い出したように、その笑顔は少しずつ陰っていく。
「私ね……もう、ああいう物語は読めなくなっちゃった。」
ジャスミーヌは椅子を少しだけ近づけ、そっとセリナの手を握った。
かつて健康的で温かな色をしていたその手。
宴の席で、迷うことなく薬を盛られた酒を庇ってくれたその手は、今では細く痩せ、力なく冷えていた。
手首へ触れると、いくつもの傷跡が指先へ伝わってくる。
ジャスミーヌは、セリナがこれから何を話そうとしているのか分かっていた。
再会した日から、この会話はいつか必ず訪れると思っていた。
だからこそアンナたちは、二人だけで話せる時間を用意してくれたのだ。
ジャスミーヌの覚悟は決まっている。
ならば、セリナの覚悟もまた、確かめなければならない。
「昔は、本当に彼のことが大好きだった。」
「ジャスミーヌも、私も、マーラも……三人一緒に結婚して、幸せな家庭を築くんだって、本気で信じてた。」
ジャスミーヌは心の中で苦笑した。
自分は一度たりとも、第三王子と「幸せな夫婦」になれるとは思ったことがなかった。
「彼が『編み魔法なんて続けなくていい』って言った時も……あなたはずっと止めてくれたのに、私はマーラと一緒に編むのをやめてしまった。」
「結局、あなたが正しかった。」
「もしあの時、ほんの少しでも自分を守れる力があったなら……私はこんな姿にはならなかった。」
ジャスミーヌは何も言わない。
ただ、もう少しだけ彼女のそばへ寄る。
厚い毛布に覆われた背中を傷つけないよう注意しながら、そっと身体を抱き寄せ、彼女の脚を自分の膝へ乗せる。
何も言わず、そのまま抱きしめ続けた。
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### 第八段
「一番つらいのはね……。」
「こんなことがあったのに、それでも私の恋心が、完全には消えてくれなかったこと。」
「昔、一緒に笑っていた頃を思い出すたびに、余計につらくなる。」
セリナは涙をこぼしながら続けた。
「でも、どれだけ好きだったとしても……あの人がしたことだけは、絶対に許せない。」
「自分の望む『好機』のために。」
「自分がディマン王国の秘密の王女だと思い込んでいた女の子へ近づくために。」
「私を、あんなふうに利用した。」
「彼は、『こんなことになるとは思わなかった』って言った。」
「『気にしない、結婚してもいい』とも言った。」
「どうして知らなかったなんて言えるの?」
「そんなはず、あるわけないじゃない!」
「制服しか着ていない、何も持たない若い女の子を、あんな場所へ置き去りにして。」
「私が、どんな目に遭うと思っていたの?」
セリナは声を上げて泣き出し、強くジャスミーヌへ抱きついた。
その拍子に背中の毛布がずり落ちそうになり、ジャスミーヌは慌てて毛布を引き上げ、もう一度そっと背中を覆う。
セリナは涙で濡れた顔のまま、小さく微笑んだ。
「ジャスミーヌ。」
「私の気持ちは、変わってない。」
「――私は、『婚儀』を行う。」




