第4話 <黒い翼>
——これは、あのときと同じだ。
炎の中。
崩れる村。
——あの光景が、一瞬だけよみがえる。
義父の顔。
変わっていく目。
最後の言葉。
「……あの時と同じか」
声に出ていた。
自分でも気づかないほど、小さく。
身体の奥で何かが暴れている。
外から入ってきたものと、自分の中にある何かがぶつかり合っている。
だが——
「……違うな」
少しだけ、息を吐く。
あの時と違う。
自分は——まだ、人のままだ。
意識の奥で、何かがほどける。
暗闇の中に、光が差し込む。
記憶が、浮かび上がる。
最初に感じたのは、熱だった。
全身が焼けているような感覚。
血が沸騰しているように重く、関節のひとつひとつがきしむ。
呼吸が浅い。
吸うたびに、肺の奥が痛む。
「……は……」
声にならない息が漏れる。
目を開ける。
視界はぼやけていた。
白い光。
乾いた空。
揺れる影。
——生きている。
その事実だけが、ゆっくりと実感として降りてきた。
身体を起こそうとする。
力が入らない。
「……また、か」
喉の奥で、掠れた声が出た。
肩を見る。
噛まれた場所。
布は裂け、血は固まり、黒ずんでいる。
——だが。
肉は、すでに閉じ始めていた。
紫色に変色しているだけで、骨も筋も繋がっている。
普通なら。
ありえない速さだった。
「……やっぱり」
小さく呟く。
理解しているわけではない。
だが知っている。
こうなることを。
——自分は、普通じゃない。
ゆっくりと仰向けになり、空を見る。
風が吹いている。
どこまでも乾いた空気。
さっきまで、自分を殺そうとしていた世界と同じ風。
「……また死ねなかったな」
独り言。
諦めでもない。
安堵でもない。
ただの確認。
そのとき——
影が、横切った。
反射的に手が動く。
剣に触れる。
だが、身体が追いつかない。
視線だけを上げる。
黒い影が、ゆっくりと岩の上に降りた。
——カラス。
だが。
違和感がある。
羽に、光沢。
均一すぎる黒。
そして——
目が光っている。
青く。
「起きたか」
声がした。
女の動きが、止まる。
数秒。
何も言わずに、その“カラス”を見る。
距離。大きさ。動き。
呼吸がわずかに整う。
「……今、喋ったか」
「喋っている」
即答。
女の目が、ほんのわずかだけ細くなる。
「……カラスが、か」
「形状的にはそう分類されるな」
違和感。
言葉の選び方。
人のものではない。
女はゆっくりと身体を起こす。
痛みを無視しながら。
距離を取る。
「……お前、なんだ」
低く問う。
警戒を隠さない。
だが逃げはしない。
カラスは首を傾けた。
その動きは、生き物のものに近い。
「識別名はクロウ」
「名乗ったつもりか」
「そう解釈していい」
女は、少しだけ眉を寄せた。
「……普通にいるのか」
「何がだ」
「しゃべるカラスだ」
短い沈黙。
クロウがわずかに間を置く。
「少なくとも、この周辺では一般的ではない」
「……そうか」
女は息を吐く。
ほんのわずか。
受け入れたわけではない。
ただ——
否定もできないと判断しただけ。
「……夢じゃないな」
「夢ならその傷は説明がつかない」
即答。
女が肩を見る。
傷はある。
そして——
生きている。
現実だった。
「……お前か」
「何がだ」
「さっきの」
少しだけ、沈黙。
カラスは首をかしげた。
「さっきのっていうと、あいつらか」
「……ああ」
「ああ、来てたな」
軽い調子で言う。
「三匹。うち二匹は近づきすぎたから処理した」
「……処理」
「そういう機能だ」
淡々と。
説明になっているようで、なっていない。
女は、ゆっくりと身体を起こした。
まだ重い。
だが動ける。
「……助けたのか」
「結果的にはな」
カラスが羽を軽く震わせる。
「死なれると困る」
女の目が、わずかに細くなる。
「……誰が困る」
「さあな」
即答だった。
まるで意味のない問いのように。
「少なくとも俺は困る」
女は、その言葉を少しだけ考えた。
嘘ではない。
だが、全部でもない。
そんな感覚。
「……なんだ、お前」
改めて問う。
カラスはわずかに身じろぎした。
その動きには、生き物の揺らぎ以外のものが混ざっている。
「識別名はクロウ」
「それはさっきも聞いた」
「そう呼ばれていた」
“誰に”とは言わない。
女はそれ以上聞かない。
「……なんで助けた」
「対象だからだ」
間を置かずに返ってくる。
「対象……?」
「それ以上は今言う必要がない」
はっきりと言った。
拒絶ではない。
線引きだった。
女はしばらく黙っていたが、やがて息を吐いた。
「……そうか」
深入りはしない。
聞いても答えないタイプだと理解した。
それより。
今、大事なのは——
自分が生きていること。
そして。
まだ、終わっていないこと。
立ち上がる。
少しふらつくが、踏ん張る。
「……行くぞ」
「どこへ」
クロウが聞く。
女は少しだけ空を見た。
遠い。
何もない。
それでも。
「……探す」
「何を」
同じ問い。
だが今は、答えがある。
かすかに。
「鍵だ」
クロウの目が、わずかに光を強めた。
一瞬だけ。
すぐに元に戻る。
「へぇ」
「分かるのか」
「いや」
あっさり言う。
「だが、その方向は悪くない。この先に大きな街がある」
羽ばたく。
軽く空へ上がる。
そして、女の進む方向の少し先を飛ぶ。
「……案内する気か」
「さあな。だが、お前の目的と一致する」
振り返りもせずに言う。
言い方。妙な違和感があったが、口にはしない。
「……分かった」
「無駄に歩くより効率がいいかもな」
短く答え、歩き出す。
黒い羽を追って。
荒野を進む。
風が、また強くなる。
その中で——
クロウが、一瞬だけ空高く舞い上がった。
不自然に、止まる。
羽ばたきもせず。
——数秒。
すぐに、何事もなかったように降りてくる。
「どうした」
「別に」
即答。
「ちょっとしたノイズだ」
そう言って、何事もなかったかのように飛び続ける。
女は、その背を見ながら歩く。
何も言わない。
ただ一つだけ。
心の奥に、小さな棘のような違和感が残った。
——だが。
それでも進む。
理由はない。
ただ——
止まる理由も、ないからだ。




