第3話 <回想(燃える村)>
熱い。
最初に感じたのは、それだった。
身体の内側が焼かれるように熱い。
呼吸ができない。
喉が引き裂かれるように痛い。
——これは、あのときと同じだ。
意識の奥で、何かがほどける。
暗闇の中に、光が差し込む。
記憶が、浮かび上がる。
その村は、小さかった。
深い森の縁。
外から見れば、ただの隠れ家のような集落。
だが、そこには人がいた。
笑って、食べて、眠っていた。
“普通に生きている”場所だった。
女——まだ少女だった彼女は、その中にいた。
名前を呼ばれていた。
「リン ちゃんと火は見てろよ」
男の声。
大きな背中。
義父と呼んでいた人だ。
血は繋がっていない。
それでも、誰よりも近かった。
「……分かってる」
ぶっきらぼうに返す。
だが、その声にはわずかな温度があった。
火の前に座り、鍋を見ている。
肉と野草。
質素な食事。
それでも——
「今日は当たりだな」
義父が笑う。
「肉、多い」
「そうか」
少女は少しだけ、口元を緩めた。
その瞬間——
遠くで、叫び声が上がった。
空気が変わる。
義父の顔も、すぐに変わった。
「中にいろ」
短く言い、立ち上がる。
外へ向かう。
少女は、一瞬だけ迷った。
だが——
ついていく。
止まっていられない。
外に出る。
だが、そこにあったのは。
地獄だった。
人が、逃げている。
叫んでいる。
倒れている。
そして——
それを追うもの。
人の形をしている。
だが、人ではない。
皮膚は裂け、骨が歪み、目が濁っている。
魔人。
「なんで……!」
誰かが叫ぶ。
答えはない。
ただ襲う。
噛む。
引き裂く。
混ざった血が、地面に広がる。
義父が前へ出る。
斧を構える。
「下がれ!」
少女を押し戻す。
次の瞬間、魔人が飛びかかる。
斧が振り下ろされる。
当たる。
だが——倒れない。
「くそ……っ!」
もう一体。
横から来る。
避けきれない。
牙が肩に食い込む。
「っ……!」
義父の身体が揺れる。
少女の目が見開かれる。
「……やめろ……!」
声が出る。
だが届かない。
義父は、無理やり振り払い、魔人を蹴り飛ばす。
しかし——遅い。
噛まれたその場所から、何かが広がっていく。
黒い筋が、皮膚を這う。
「……来るな」
義父が言った。
声は、もう少し違っていた。
「……こっち、来んな」
「……なに、言ってんだよ」
少女が一歩踏み出す。
義父の顔が歪む。
苦しみではない。
別の何か。
——変わり始めている。
「いいか、よく聞け」
必死に、言葉を繋ぐ。
「……ここにいちゃ、ダメだ」
「……」
「お前は、ここにいるやつと違う」
少女の動きが止まる。
「森で見つけたときから、分かってた」
「……何を」
義父は、笑った。
苦しそうに。
「傷が、治るのが早すぎる」
「……」
「噛まれても……平気な顔してた」
少女の中で、何かが揺れる。
「お前はな……」
言葉が、途切れる。
身体が震える。
声音が、変わる。
「……人じゃねぇ、“何か”だ」
沈黙。
少女は否定しなかった。
「……多分な」
義父が、息を吐く。
もう長くない。
「この世界を、どうにかできるやつがいるって話……聞いたことあるか」
少女は、黙ったまま首を振る。
「……鍵を持ったやつがいるってな……」
「鍵……?」
「どこかに……扉があって……」
言葉が崩れる。
意識が飛びそうになる。
「……元に戻るらしい……全部……」
少女の目を、まっすぐ見る。
その視線だけは、まだ人間だった。
「……お前かもな」
少女は、動けなかった。
意味が分からない。
だが——
否定できない。
義父の身体が、一歩前へ出る。
意志とは別に。
「……だから」
声が、もう変わっている。
「……行け」
その瞬間。
目が完全に濁った。
牙が覗く。
少女は、剣を抜いた。
震えていない。
呼吸も乱れない。
だが——
目だけが、わずかに揺れる。
「……来るなって言った。。。」
それが最後の言葉だった。
一瞬で終わった。
音もなく。
風のように。
義父だったものが、地面に崩れる。
静かに。
何も言わずに。
村は、もう終わっていた。
火が上がる。
叫び声が消える。
残るのは、燃える音だけ。
少女はその中に立っていた。
剣を持ったまま。
動かない。
「……」
言葉が出ない。
3年間暮らした村だった。
何も感じていないのか。
それとも——感じすぎているのか。
分からない。
ただ、一つだけ。
確かなこと。
ここには、もう戻れない。
この村に来る前の記憶はなかった。
ここ以外に振り返る場所は、もうない。
少女はゆっくりと歩き出した。
炎の外へ。
森の外へ。
どこに行くかも分からないまま。
ただ——
義父の言葉だけが、残っている。
『鍵を持ってるやつがいる』
『元に戻る』
「……なら」
小さく呟く。
「探すしかない」
誰に言ったわけでもない。
ただ、それが自分の中で唯一の答えだった。




