第2話 <魔人>
町は、壁で囲まれていた。
石を積み上げただけの粗い造りだが、外の荒野に比べればずっと“内側”に見える。
風は弱く、人の匂いがあった。
入口には、ふたりの男が立っている。
背は高い。180はあるだろう。
このあたりでは珍しく、肉付きも悪くない。
だが——目つきが腐っていた。
女が近づくと、二人の視線がゆっくりと動く。
上から下まで。
値踏みするように。
「止まれ」
片方が言った。
もう一人は黙ったまま、にやにやと笑っている。
「入るなら金だ」
「いくら」
「500クレジット」
女は、わずかに目を細めた。
「聞いたことがない額だな」
「最近、上がったんだよ」
笑う。
露骨すぎる嘘だった。
女は何も言わない。
代わりに、小さな革袋を取り出し、中を見る。
中には硬貨が数枚。
「足りねぇな」
もう一人が口を開く。
視線は、女の顔ではない。
「払えねぇなら、別の方法もある」
顎で、壁の内側を示す。
「兵舎の裏、休憩所がある。分かるだろ?」
空気が変わる。
露骨な欲望。
女は、しばらく二人を見ていた。
それから、ゆっくりと一歩踏み出す。
門番の男が腕を掴もうとした瞬間——
「っ!?」
関節が、あり得ない向きにねじれた。
男の顔が歪む。
声にならない悲鳴。
女はそのまま腕を持ち上げ、軽く押す。
膝から崩れ落ちた。
もう一人が腰の棍棒に手を伸ばす。
それより早く、足払い。
地面に叩きつけられる。
乾いた音。
静かになる。
女は何も言わず、地面に小さく硬貨を投げた。
転がる。
止まる。
銅貨一枚。
「……入街料」
短く言う。
倒れた門番の横を通り、そのまま中へ入った。
町の空気は、重かった。
生きているのに、どこか死んでいるような匂いがする。
人はいる。
だが、誰も笑っていない。
女は通りを進みながら、視線だけを動かす。
武器、歩き方、傷。
そして——
広場の一角で、人だかりができていた。
ざわめき。
抑えた声。
怒りとも恐怖ともつかない空気。
女は足を止め、少しだけそちらへ向いた。
地面に、ひとりの男が押さえつけられている。
手足を縛られ、口から泡を吹いている。
「離せ……ッ!」
叫びは、声になっていない。
身体は痙攣し、皮膚の下を何かが走る。
周りの人間は、誰も近づかない。
「噛まれてる」
「もうダメだ」
「早くやれ」
短い言葉だけが飛ぶ。
女は、黙って見ていた。
男の目が、こちらを向く。
焦点が合っていない。
だが、確かに“助け”を求めていた。
次の瞬間——
身体が跳ねた。
背が反り返る。
骨がきしむ音。
皮膚が裂け、黒い筋が浮かび上がる。
誰かが後ろから叫んだ。
「やれ!」
一人の男が斧を振り下ろす。
音だけが響いた。
静寂。
動いていたものが、止まる。
観衆が、一斉に息を吐く。
「……遅ぇよ」
「変わりきる前にやれって言っただろ」
誰かが呟く。
だが、誰も責めない。
当たり前のことのように。
女はその光景を、最後まで見ていた。
目をそらさない。
感情も見せない。
ただ、観察するように。
それから、何も言わずにその場を離れた。
広場からは放射状にいくつかの道が伸びる。
このあたりは町の中心、多少の人の賑わいはある。
道沿いの一軒の店、入り口に吊るされた布をめくる。
中には、老人がひとり。
咳をしている。
「……客か」
「水と、干し肉」
「薬はねぇぞ」
女は少しだけ目を伏せる。
「……効かないのか」
「効いたらこんな町になってねぇ」
老人は笑った。
乾いた音。
しばらく沈黙が続く。
やがて老人が口を開いた。
「見ただろ」
「……何を」
「さっきのだよ」
女は少し間を置く。
「……魔人か」
「名前は色々あるな」
老人は肩をすくめる。
「噛まれりゃ終わりだ」
「……終わり?」
「高い確率で、死ぬか、ああなるか」
わずかに顎をしゃくる。
「どっちにしても同じだな」
女は黙る。
「確実じゃねぇ」
老人が続ける。
「噛まれても平気なやつもいる」
「……割合は」
「知らねぇ」
即答だった。
「だが少なくとも、運に任せるもんじゃねぇ」
少しだけ間を置く。
「最近は特にひどい」
「……」
「人も減った。村も減った」
遠くを見るように言う。
「森のもんは全部危ねぇ。獣もな」
女の視線がわずかに動く。
「……獣も?」
「家畜も魔物になる」
あっさりと言う。
「昔はなかったらしいがな」
咳をする。
少しだけ血が混じる。
「昔は、人も獣も普通に生きてた」
「……」
「畑もあってな、こんなとこじゃなかった」
女は何も言わない。
ただ聞いている。
「今じゃ全部終わりだ」
投げるように言う。
だが完全な絶望ではない。
「だからな——」
老人の目が、ほんの少しだけ強くなる。
「“戻る”って話が残ってる」
女が初めて反応した。
「……戻る?」
「ああ」
「何に」
「さあな」
笑う。
「昔に、だろ」
いい加減な答え。
「昔ってなんだよ」
「さあな」
「あんな連中がいない時があったんだとさ」
「それに“戻る”のか?」
「さあな、そんなもん信じてるやついねぇがな」
少しだけ間を置く。
「ただ——」
視線が、女に向く。
「そういうの、探してる顔か?」
女は答えない。
否定もしない。
老人はまた笑った。
「いいじゃねぇか」
「……何がだ」
「探してるやつは、まだ終わってねぇ」
静かな言葉。
外の風の音だけが入ってくる。
「……どこに行く」
老人が聞く。
女は少しだけ考えた。
そして答える。
「分からない」
「……そうか」
「……だが」
わずかに言葉を足す。
「探す」
「何を」
間。
ほんのわずか。
「……鍵だ」
老人は一瞬だけ、目を細めた。
「……面白いこと言うな」
風が、また強くなる。
背後で、誰かが騒いでいる声がする。
街を出る。振り返らない。
興味もない。
ただ歩く。
荒野へと。
少しばかりの岩山が現れ、その間をぬうように道が続いていた。
しばらく進んだところで、足が止まる。
風に混じって、嫌な匂いがした。
腐敗と、鉄と——
何かが“変わった”匂い。
女の身体が、自然に構える。
その瞬間。
何かが、岩山の隙間から飛びついた。
反応は間に合う。
だが、完全には避けきれない。
牙が肩に食い込む。
深い。
「……っ」
初めて、声が漏れた。
目の前のそれを見る。
人の形だった。
だが皮膚はただれ、骨格は歪み、目は濁っている。
——魔人。
振り払う。
剣で叩き切る。
それでも、遅い。
噛まれた感触が、じわじわと広がる。
熱。
痛み。
違和感。
女はその場に膝をついた。
「……これは……」
呼吸が乱れる。
視界がぼやける。
体の内側で、何かが動いている。
侵入してきた異物と、自分の中の何かがぶつかり合う。
拒絶。
破壊。
再構築。
理解できるはずのない感覚が、なぜか分かる。
「……は……」
そのまま、倒れる。
かろうじて岩陰へと這い寄る。
意識が落ちる寸前——
あの老人の顔が、浮かんだ。
『死ぬ気あるか?』
女は、わずかに笑った。
「……ない、な」
暗闇に落ちる。




