第110話 <長距離通信1>
クロウが再び基地の監視へ向かった日の夜。
宿の部屋には、ハンスの大きないびきが響いていた。
ベッドの上で大の字になり、周囲のことなど何も気にせず眠っている。
向かい側ではミリアが毛布にくるまり、静かに寝息を立てていた。
ベッドの側ではフロムが体を丸めている。
壁際にはヨウド。
壁を背に座り活動を停止していた。
リンだけは眠っていない。
窓際の椅子に腰かけ、テーブルの上に広げられた地図を見つめていた。
大都。
南へ延びる街道。
西の平原に残された旧文明の遺跡。
地図の端には、ミリアが記憶していた暗証番号が大きく書き込まれている。
リンは、その数字を何度も見つめていた。
本当にゼノンは、あの地下にいるのだろうか。
もし、いたとして。
助け出すことができるのだろうか。
森の中で黒い兵士たちと戦った時、自分たちは何もできなかった。
逃げるだけで精いっぱいだった。
それでも今は、敵の基地へ入ろうとしている。
怖くないわけではない。
だが、それ以上に。
もう誰かが奪われるのを、ただ見ているだけにはなりたくなかった。
物音がした。
ベッドの側にいたフロムがゆっくりと身体を起こす。
リンの側に来る。
「まだ起きているの?」
「眠れなかったの」
リンは地図から顔を上げた。
フロムが話を続ける。
「少し出かけてくるわ」
「明後日の夜には戻るけど」
「馬車を借りるわね」
フロムの目が、青く点滅した。
同時に、ヨウドも顔を上げる。
リンは二人を見る。
「どこに行くの?」
「通信を試みるの」
フロムが答える。
「通信?」
「味方への連絡よ」
フロムは窓の外へ目を向けた。
眠りについた大都。
遠くに、城壁上の松明が見える。
「麒麟とか黒い兵士とかいろいろあったでしょう」
「それを報告して相談しておきたいの」
「でも、ここは敵の本拠地」
「そのせいか、いつもの方法だと味方への連絡がつながらないの」
「近くにある岩山とヨウドの機能を利用して連絡が出来ないか試してくるわ」
ヨウドが口をはさむ。
「地上の通信設備が失われた地域でも、条件が整えば短波なら遠方まで到達する可能性がある」
「吾輩の通信ユニットなら送信可能である」
「味方って?」
リンが尋ねる。
「私は連合国軍AI+81所属だって、前に話したでしょう」
「でも、いろいろ事情があって、今はAI+81から十分な支援を受けられないの」
そこへヨウドが胸を張る。
「吾輩はAI+82の所属である」
だが、その声は少しだけ低くなった。
「しかし吾輩の基地は百年前の戦いで大破した」
「現在は機能停止した可能性が高いのである」
「だから、私たちを統括しているところにね」
「何とか連絡を取って相談をしておきたいの」
フロムが言った。
「麒麟と黒い兵士、それに新型魔人のこと」
「ゼノンが生存している可能性があることもね」
フロムが立ち上がった。
身体を震わせると、毛の間から微かな金属音がする。
「大都の南に少し高い岩山があって」
「そこに上って連絡すれば届くかもしれないのよ」
リンは椅子から立つ。
「私も行く」
「大丈夫、大都にいて」
「支援機に任せておいて」
フロムが優しく言う。
「でも…」
「識別名リンはここに残るのである」
ヨウドも言った。
「敵が吾輩たちの行動を監視している可能性もある」
「それに、ミリアとハンスを無防備にするべきではないわ」
フロムが付け加える。
リンは眠っている二人を見た。
ハンスは相変わらず大きないびきをかいている。
ミリアは毛布の中で何かを呟き、寝返りを打った。
「……分かった」
リンは頷いた。
「気をつけて」
「大丈夫よ」
フロムはいつも通りに答えた。
◇ ◇
翌朝。
「出発時刻である」
ヨウドが小さな声で言った。
フロムとヨウドはそっと部屋を出る。
馬車を出す。
南門が開くと同時に大都を出た。
馬車は南へと進む。
ヨウドが馬車を操る。
途中、街道より西の平原に旧文明の遺跡が小さく見えた。
「あれが敵の基地であるか」
ヨウドが正面を向いたまま尋ねる。
「ええ」
フロムは荷台から遺跡を見た。
「外から見ればよくある旧文明の遺跡だけど」
「でも地下はまだ動いているみたい」
「そっと通り抜けましょう」
馬車は速度を変えず遺跡の近くを通過する。
さらに南へ。
午後遅く、やがて遠くに岩山が見えてきた。
平原の中に、巨大な岩の塊だけが取り残されたように突き出している。
フロムとミリアが魔犬と戦った場所。
頂上に登ればはるか遠くまで見渡すことができる。
通信を試みるには適した場所だった。
フロムは岩山を見つめる。
「日が沈む前に着けそうね」
「通信開始は夜間を予定するのである」
ヨウドが答える。
馬車は岩山へ向かって進み続けた。




