第104話 <皇帝の苦悩>
シユウ帝国王城。
広大な執務室の中央で、一人の男が頭を抱えていた。
皇帝ソデュ-ム・オクサレート。
机の上には各地から届いた報告書が積み上がっている。
その多くに、同じ言葉が記されていた。
行方不明。
失踪。
消息不明。
どれも似たような報告だった。
街道を歩いていた旅人が消えた。
牧場から家畜が消えた。
村から、一夜のうちに家族が消えた。
争った跡はない。
死体も見つからない。
ただ、そこにいたはずの者だけがいなくなる。
宰相が報告書を読み上げる。
「行方不明者が増加しております」
声は穏やかだった。
だが、その内容は穏やかなものではない。
「大都周辺だけではありません」
「南部の街道や近隣の村からも同様の報告が届いております」
ソデュームは何も言わなかった。
宰相が続ける。
「このままでは、民の不安が広がります」
「すでに南門付近では日が暮れる前に店を閉める者も増えております」
「人さらいが出るという噂も無視できない状況です」
「分かっておる」
ソデュームは絞り出すように答えた。
「警備兵を増員しろ」
「すでに増員しております」
「ならば、さらに増やせ」
「しかし、陛下」
宰相は言葉を選ぶように間を置いた。
「警備だけでは解決しないと思われます」
ソデュームの動きが止まる。
「失踪の現場には争った跡がありません」
「目撃者もおらず犯人の痕跡もない」
「通常の盗賊や人さらいとは考えにくいかと」
「では、どうしろというのだ」
「それをお決めになるのが陛下でございます」
ソデュームは宰相を睨んだ。
だが、宰相は視線を下げたまま動かなかった。
重い沈黙が流れる。
やがて、ソデュームは大きく息を吐いた。
「警備を強化しろ」
「特に南門と西門だ。街道の巡回も増やせ」
「承知いたしました」
「これ以上、行方不明者を増やすな」
「御意」
宰相は深く頭を下げ、執務室を後にした。
扉が閉まる。
一人になったソデュームは椅子へ深く身を沈めた。
「無理を言うな……」
誰もいない部屋で呟く。
警備兵を増やしたところで何が変わるというのだ。
相手が人間ならば捕らえることもできる。
盗賊ならば兵を差し向ければよい。
だが…。
今回の相手は、おそらく人間ではない。
「主様……」
ソデュームは小さく口にした。
主様。
それが何者なのか。
ソデューム自身も知らなかった。
先帝も。
先々帝も。
いつの時代から存在しているのかさえ分からない。
ただ、シユウ帝国の皇帝には代々、一つのことが伝えられてきた。
主様には逆らうな。
どこにいるのか。
どのような姿をしているのか。
人間なのか、魔物なのか。
それすら分からない。
主様は魔物を操る。
そして、時折こちらへ指示を送ってくる。
内容は、これまでそれほど難しいものではなかった。
食料。
金属。
薬品。
その他、指定された物資。
要求されたものを用意し、指定された場所へ届ける。
ただそれだけ。
従っている限り、帝国に大きな災いは起こらなかった。
それどころか新しい技術を与え、魔物の問題を解決してくれることもあった。
治世に有益だったと言ってもいい。
だが。
一度でも拒めば、魔物が動いた。
街道が襲われる。
村が焼かれる。
国の各地で、同時に魔物の群れが暴れ始める。
時には原因不明の災害まで起きた。
ゆえに逆らえない。
多少の物資を渡すだけで国の安寧が保たれるなら安いものだ。
歴代皇帝は、そう考えてきた。
ソデュームも、それに従ってきた。
少なくとも、数年前までは。
「やりすぎだ……」
ソデュームは額を押さえた。
ここ数年で状況が変わった。
人が消える。
家畜が消える。
最初は、年に数人程度だった。
盗賊か、魔物の仕業と考えられていた。
それが少しずつ増えた。
今では、王城へ無視できない数の報告が届く。
主様の仕業だという証拠はない。
そもそも正体すら分からない。
だが、疑わずにはいられなかった。
主様本人を見た者はいない。
ただし、その配下を名乗る者と会ったことはある。
人間とは思えない男。
魔物に近い姿をした者。
それに。
数年前からは主様の使者を名乗らないにもかかわらず、主様の意向を知っているかのように振る舞う者たちも現れた。
黒い軍服を着た兵士たち。
要求された物資を受け取りに、時折王城へ姿を現す。
奴らなら、何か知っているかもしれない。
「今度、頼んでみるか……」
失踪を止めるよう、主様へ伝えてほしい。
ただ、それだけのことだ。
だが、その願いが主様の機嫌を損ねたら。
ソデュームの脳裏に魔物の群れに襲われる大都の光景が浮かんだ。
城壁へ押し寄せる魔物。
焼かれる街。
逃げ惑う民。
「……難しいか」
皇帝は再び頭を抱えた。




