第9話
子どもは無力だ。特に貴族に生まれた私達は家長である父の言うことが絶対だった。
今日はジェーンとロバートの婚約式。
婚約式なんて必要ないと思うのだが、ジェーンが強請って父はそれを了承した。
ジェーンの魂胆は分かっている。私に見せつけたい。ただそれだけだ。
ジェーンは花が綻ぶような笑顔でロバートを見つめている。一方のロバートは終始不機嫌そうだ。
あれから何度もロバートはゴールド伯爵に私との婚約継続を訴えたらしいが、それは叶わなかった。
どうもジェーンとの結婚はこちらの持参金を二倍にすると父が持ちかけたらしい。ただこれはロバートの推測の域を出ない。
あくまでも『そうらしい』と私に告げたロバートの顔は嫌悪に満ちていた。
やはり私とロバートの結婚は叶わぬこととなった。ならば次の手を考えなければならない。新しい婚約者をすぐに見つけるか、あるいは──
そんなことを考えていたからだろう。
いつの間にかジェームズが近づいて来ていたことなど、全く気づいていなかった。
「おい。悲しそうだな」
「わっ! びっくりした!」
私は思わず胸元を押さえる。足音ぐらい立ててよ! と内心ムカついた。
ニヤニヤとしたジェームズを思わず睨んでしまう。
「怒るなよ。ロバートとジェーンの婚約が悔しいからって俺に八つ当たりしないでくれよな」
わざわざ私の所までやって来て、こいつは何がしたいのだろう。煽りたいだけなのか?
「別に悲しくも悔しくもありません。政略結婚とはそういうものです」
家と家との結びつきだ。家長に従う他はない。
「強がるなよ。まぁ、仕方ないよな。ジェーンの方が可愛げも愛嬌もある」
こいつ……何が言いたいのか。ただ単に私を不快にさせたいだけ?
すると、ジェーンがジェームズの姿を確認して、小さく頷いたのが私の視界に映る。
……なるほど。この馬鹿げたやり取りはジェーンの差し金という訳か。ここで私を怒らせて、嫉妬で私が醜態を晒す姿でも演出でもしたいのだろう。
私はスッとジェームズから一歩離れた。しかし、そこで足を止める。
ここで部屋へ戻っても、嫉妬で二人の姿を見たくない私が逃げ帰ったと思われるだけだ。
そんなのジェーンを喜ばせるだけ。
── 何か、何か手段はないか。
ちょうどその時、音楽の演奏が始まった。
ジェーンがロバートの腕を引くと、ロバートは渋い顔でホールの真ん中までジェーンをエスコートした。十四歳のロバートと十歳のジェーン。社交界デビューはまだだが、二人はまるで物語の主人公のようにダンスを始める。
その姿は愛らしく、周りの大人達もそれを笑顔で見守った。
主役の二人が一曲踊り切ると、周りからは自然と拍手が起こる。そして、そのまま大人達もそれに倣って踊り始めた。
私は徐にジェームズの手を握る。
「私達も踊りましょう」
「え? ダンスなんて俺── 」
私はジェームズの抗議を無視すると、そのまま手を引いてホールへと向かう。
「ジェーンのお祝いですよ? ほら、私の手を取って」
ジェームズの手を私の背に回すと、ジェームズは耳まで赤くなった。
「俺、ダンス苦手で── 」
モジモジとするジェームズに私はにっこりと微笑んだ。
「いずれお互い婚約者が出来たら私達でこうして踊ることもありませんから、最初で最後だと思って。ステップは私が教えます」
ジェームズはますます顔を赤くしたが、私が動き始めると、仕方なくそれに倣って足を動かした。
「そう、そう。その調子です。とても上手じゃないですか」
私はマチルダにステップを叩き込まれている。ダンスには少々自信があった。
ぎこちないながらも、私に合わせるジェームズは私に褒められて少し嬉しそうだ。
── この頭が空っぽな男なら、上手くやれば取り込めそうだ。私はそう考えながら、またもやジェームズに向かってにっこりと微笑んだ。
愛や恋は信用出来ない。信じられるのは己だけ。
私は一度目の人生でそう学んだ。
しかし、味方になる人物は必要だ。それもなるべく多いほうがいい。
ジェーンとロバートの婚約式が終わった夜のこと。
「お嬢様、お誕生日おめでとうございます」
マチルダと料理長が私の部屋でこっそりと誕生日パーティーを開いてくれた。
自分でも忘れていた自分の誕生日。最近はとにかく一度目の人生と同じ轍を踏まないようにと神経を張り巡らせてばかりだったから。
「婚約式で忙しかったのに……私のためにケーキを用意してくれたの?」
料理長に微笑めば、彼はコック帽を取り頭を下げた。
「本来ならばお嬢様の誕生日パーティーも盛大に行うべきですのに。申し訳ありません」
「貴方が謝る必要はないわ。私の誕生日よりジェーンの婚約式の方が大切ですもの」
私の言葉にマチルダも料理長も悲しげに表情を曇らせる。
「どちらも大切ですよ」
「いえ、私にはお嬢様のお誕生日の方が大切です」
料理長とマチルダの声が重なる。私は堪えきれずフフフと声を出して笑った。
「ありがとう。二人が祝ってくれるだけで私は十分幸せだわ」
心からの言葉だった。
一度失くした命。誰かにまた誕生日を祝ってもらえるなど思っていなかったのだから。
一度目の人生。マチルダはジェーンに奪われた後、あらぬ疑いをかけられて解雇になった。マチルダと仲良くしていた料理長もまた、彼女の後を追うようにしてこの屋敷を去った。彼は一言『俺はマチルダを信じていますので』と辞表を父に残したという。
私の周りには誰も味方がいなかった。
父に多くを期待したのは、そのせいだったのかもしれない。血を分けた親子なのだから……と。
「……お嬢様……」
マチルダが目を潤ませる。父ですら私の誕生日なんて覚えていないだろう。この部屋にたった三人。それでもどんな豪華なパーティーよりも嬉しく思う。
「さあ、ロウソクに火を点けますから、目を閉じて願い事を」
マッチを擦る音と共に微かな渇いた木の燃えるような温かな香りが私の鼻を擽る。
私はゆっくりと目を閉じ、心の中で願いを唱えた。
『今度のこの人生こそ、寿命を全うすることが出来ますように』
私は目を開けると、一息で十一本のロウソクの火を吹き消した。
マチルダと料理長の二人分の拍手がパチパチと鳴り響く。
「お嬢様、何をお願いしたのですか?」
私はにっこりと微笑んで、人差し指を唇にあてた。
「内緒。だって叶わなくなったら困るもの」
十一歳の少女が長生きしたいと願っただなんて誰も思うまい。
マチルダも料理長も『是非、叶った暁には教えてくださいね』と笑った。
あぁ、その時にまたこの二人の顔を見ることが出来たらいいのに。私は心からそう思った。
慎ましやかだが、心が温まった誕生日を終えた私は、今日は良い夢が見られそうだと床につく。
ウトウトとし始めたそんな時、微かに私の部屋の扉をノックする音が聞こえた。




