第9話
「私が無理矢理尋ねたの、ジェームズのせいでは── 」
「分かってるよ。そんな心配しなくても」
ロバートはクスクスと笑う。私は自分の頬が少し赤くなるのを感じた。アダムに散々ジェームズはシスコンだと言われているが、私も大概ブラコンなのかもしれない。
「── ランカスター子爵って知ってる?」
これを口にするのは卑怯かもしれない──だけど、今はなりふり構っていられなかった。
「ランカスター? あのクソジジイのことか?」
ロバートの顔が不快そうに歪む。随分と子爵のことを嫌っているようだ。その口ぶりはいつものロバートらしくなかった。
「子爵がうちの借金の肩代わりをしてくださるそうなの」
私がそこまで言うと、ロバートはすぐに察したのか、ガバリと身体を前のめりにさせ、私に詰め寄った。
「まさか……何かを代わりに差し出せと言っているんじゃないよな?」
「……」
私はそれにはっきりと答えなかった。ただ、チラリとロバートと視線を合わせる。きっとこれで彼は理解してくれるはずだ。
ロバートは大きなため息をつきながら、また身体を背もたれに預ける。そして天を仰ぐように身体を反らして片手で顔を覆った。
「── 最低だな。あの女好き」
ロバートは吐き捨てるようにそう呟いた。
「父は反対しているけれど……押し切られるかもしれないわね」
「当然、ジェーン── じゃないよな」
私はコクリと小さく頷く。ロバートの視界にもそれは入ったようで、彼はまた大きく息を吐いた。
「──分かった。ダヴェンポート公爵と少し話してみるよ。フロスト伯爵が……その地位に相応しくないって。だけど、ジェームズはどうやって借金を返すつもりだ?」
「私も手伝う。領地経営だけでは借金返済までは手がまわらないだろうから。ジェームズも今、色々と考えているわ。借金……分割払いって出来るかしら?」
ロバートは何かを考えているように黙り込んだ。
「分割……難しそう?」
「ん? いや……そうじゃなくて……」
ロバートはまた何かを考えているようだ。私は邪魔をしないように、そっとカップを口に運ぶ。
「ジェームズは何を考えてるって?」
唐突にロバートが口を開いた。私は躊躇いながらもそれに答えた。
「実は……領地に小さな湖があるの。その湖ってね、真冬でも凍らなくて……ジェームズはそれを不思議に思って父には内緒でずっと調べていたのよ。── もう少しで答えが出るわ」
ジェームズが私に語ってくれた領地の秘密。今、研究機関に成分を調べてもらっているとジェームズは高揚した顔でそう言っていた。それが……私達の想像通りなら── 。
「……フロスト伯爵はそれを知らない?」
「父はあまり領地に興味がないから」
ロバートは何かを決心したように立ち上がった。
「今からすぐにダヴェンポート公爵の所へ行ってくるよ。湖のことは誰にも内緒に」
私も同じように立ち上がる。
「もちろん、私達だけの秘密よ」
ロバートは大きく頷いた。そして私の瞳をジッと見つめる。
「アンジェリカ、君がここまでするのはジェームズのため? それともフロスト家の── 」
「フロスト家が潰れるのは困るのよ。──私、近衛になるから。後ろ盾となる家名は必要なの」
私が大袈裟に肩を竦めると、ロバートは目を丸くした。
「近衛に? ……それはおめでとうだけど……いいのかい? 近衛は嫌だって言ってただろう?」
「私もジェームズも望まぬ縁談を持ち込まれても困るもの。それに近衛になれば、父も簡単に私に手を出せないわ」
父というより、リンダ対策と言った方が正しいのかもしれないが。
ロバートは納得したように頷くと、小さな声で呟いた。
「可愛い姉が必死になってくれて……ジェームズも結婚したがらないはずだな」
私達は固い握手をして別れた。ロバートは最後に「期待して待ってて」と笑顔を見せる。
私は少しだけ心が軽やかになり、帰路に着く。馬の背から見る空は、昨晩の嵐が嘘のように晴れ渡っていた。
「天気いいな……」
ロバートに会って私は確信した。この人生は一度目とは全く違う。
ロバートもジェームズも頼りなくヘラヘラとした人間ではなくなった。ジェーン……とリンダは相変わらずだが。
しかし── 。
「何だかお父様は悪い方へと変わってしまっているみたい」
私は独り言ちた。
私に興味がないことは一度目の人生と然程変わりはない。しかし……ここまで金に困っている様子はなかった……と思う。
いや、私が気づいていなかっただけなのかもしれない。死に戻る前の私は、ただただ誰かに愛されたくて、何も見えていなかった。
だからプライドの高い父の表面上の姿しか見ていなかったし、アッシャー殿下の優しい表の顔を信じ込んでしまった。
死んだ自分を当然だとは思わないが、もっと上手く立ち回れたはずだと、昔の自分にイライラする。
屋敷に到着した私は静かに馬を厩へ戻す。
卒業が決まった私は今さら学園を休んだところで誰にも文句を言われる筋合いはないのだが、休んだ内容が内容なだけに、ついコソコソとしてしまう。
私はちょっとした後ろめたさを感じ、裏口から屋敷へと戻った。
裏口から部屋へと戻る途中のこと── 。
「お、お嬢様! お帰りになられたんですね!」
私の足音でも聞きつけたのか、マチルダが飛び出して来た。その様子は慌てており、顔色も心なしか悪く見える。
「マチルダどうしたの? そんなに慌てて──」
「お、お客様がっ、お客様がお、お見えでっ! 今応接室で執事が──」
「落ち着いて! 誰が来てるの?」
ジェームズもジェーンもこの時間は学園だろうし、父とリンダは朝から出かけていた。お陰で私はすんなりとロバートの元へと行けたのだが。すなわち今は私しか対応出来る人が居ないということだ。
「お、王── 」
マチルダが訪問者の名を告げるその前に──。
「戻ったか」
低めの声が聴こえる。私は反射的にそちらに視線を向けた。
「ゼ、ゼイン殿下……」
私は応接室の方向から現れた人物に目を丸くした。
「ど、どうしてここに── 」
無意識に口をついて出た言葉に殿下は静かに答える。
「学園に顔を出したが、休みだと言われたのでな」
「し、視察に行かれていたのでは── 」
驚きすぎると人間は無意識に会話を続けてしまうようだ。
「あぁ。早めに終わったので予定を変更した。昨晩の嵐のお陰で帰りは少し遅れたが」
こんなことを訊きたいんじゃない。一番の疑問が残っている。
「殿下……私に何か用がありましたか?」
「迎えに来た。── お前も俺に用があるのだろう?」
「迎えに……とは?」
確かに殿下に話がある。しかし……別に直接報告するような予定はなかった。
「どうする? 今から俺のそばへ来るか?」
『俺のそば』という言い回しは気になったが、殿下の言いたいことはコレだろう。
「学園を卒業したら── 近衛騎士として殿下をお守りしたいと思います」
殿下の登場で跳ね上がった心拍数も少し落ち着いてきた。私は恭しく騎士の礼を取ると、腰を落とす。
殿下が私の前までコツコツとやってくる。頭を下げた私の視界に彼の爪先が映った。── 泥だらけだ。視察からそのまま……王宮にも戻らずにここへ来たのだろうか?
頭を下げたままの私の肩にポンと殿下は手を置いた。
「励めよ。期待している」
私はその言葉に顔を上げた。
「過分なお言葉、光栄でございます。力の限り殿下に尽くすことを── 」
「堅苦しい挨拶は必要ない。──必要になればいつでも王宮へ来い」
必要になれば── ってどういうことだろう。今の言葉の意味も、殿下が我が家へ来た理由も今だに漠然としている。
そんな状況に私の頭はまだ混乱が続いていたが、私の近衛騎士団への入団が決まった瞬間だった。




