第3話
ジェーンとロバートの婚約解消から十日後のことだった。
「あら……ロバート」
何となく体調の優れなかった私が、学園を早退して屋敷へと戻って来ると、ある人物に出会した。
久しぶりに顔を合わせたロバートは、以前よりずっと大人の男性に見える。
「アンジェリカ、久しぶり」
「お久しぶり。お元気でした?」
定型文のような挨拶を交わす。最後にロバートと顔を合わせたのは、もう二年ほど前だ。
「あぁ、僕は元気だよ。アンジェリカは? あれ? 学園は?」
体調が優れないことを言うべきか迷ったが、この時間に屋敷に居る方が珍しいのだから、隠すのも変な話だ。
「今日はちょっと体調が悪くて……寝不足かしら?」
私はあまり心配をかけたくなくて、精一杯の笑顔を向けた。
「そうか……。あまり無理するなよ? ── ところで、聞いた? 僕とジェーンの── 」
「ええ。ダヴェンポート公爵のご令嬢と婚約なさったとか。……仕方ないと思うわ。公爵様のお願いなら」
私はロバートの立場も理解出来ると頷いた。
「まぁ……な。随分と歳は離れてるけど、妹みたいで可愛いんだ。お陰で結婚はまだまだ先になりそうだけど」
確かにジェーンとの結婚は当初、彼女の卒業の一年後と予定されていたはずだ。
しかしイゾルデ様は十四歳。結婚するにしても、最低でもあと三年程は待たねばならないだろう。
「でも、将来は安泰でしょう? 事業も上手くいっているみたいだし。今日はそのことで父に?」
私の言葉にロバートが一瞬渋い顔をしたことを私は見逃さなかった。
「まぁ、そんなところだ。ここに来るのは躊躇われたけど、仕事だからね」
「だから、この時間だったのね」
この時間ならジェーンもまだ学園に居る。鬼の居ぬ間に何とやら……だ。
「その通り。だからアンジェリカに会って驚いたよ。……あぁ、体調が悪いと言っていたのに引き留めてごめん」
「いいえ。久しぶりに話せて良かったわ」
私はそう言って微笑んだのだが、ロバートは反対に真剣な表情を浮かべた。
「アンジェリカ……。僕は君が好きだったよ。婚約者として申し分なかったってだけじゃなくて……君には弱い僕を見せることが出来た。君にとって僕は格好悪かったかもしれないけどね」
最後はロバートも照れたように笑う。
「格好悪いなんてそんなことないわ。貴方がゴールド伯爵家の重圧に耐えていたことを私は知っているもの」
一人息子のロバートの肩にはゴールド伯爵家とゴールド伯爵領の全てが伸し掛かっている。厳しいご両親の下、幼い頃、とても辛そうに頑張っている彼の姿をずっと見てきた。
「……ありがとう、アンジェリカ。あぁ! 君と結婚出来たら良かったんだけどね── なんて今更だけど。新しい継母とわがままな妹に嫌な思いをさせられていることも知っていたのに……助けてあげられなくてごめん」
ロバートはペコリと頭を下げた。
私は小さく首を横に振る。
「状況を変えたければ、自分が変わるしかない……そう学んだもの。それに大して気にしていないのよ、二人のことは」
小さな嫌がらせや、家族として扱われないことなど、もう慣れた。本当の地獄は王宮で味わった、あの瞬間だ。それに比べればこの屋敷の出来事などなんてことはない。
「君は……強いな」
強くならなければ長生きできない。私は力強く頷いた。
「強くあろうと……そう心がけているの。ロバートも強くなったと思うわ」
お祖母様に慰められていたロバート少年はもう居ない。目の前に居るのは立派な大人の男性だ。一度目の人生の時より……いや、それは私が判断することではない。ただ、幼馴染として……彼を誇らしく思う。
「……綺麗になったね。悔しいくらいに」
ロバートが少し照れたように小声で言った。そんな顔をされると、私も少し頬が紅くなってしまう。
「逞しくなったって、皆に言われるのに? でも……ありがとう。ロバート貴方だって── 」
『格好良くなった』そう伝えるつもり── だったのに……。
「『シルバーウルフ』って名がぴったりだね」
その言葉に私の表情は微笑んだまま固まった。
そして心に決めた。── ジェームズが帰って来たら、締め上げなければならない、と。
「明日だっけ?侯爵様の所の面接」
アダムに言われて私は頷いた。
「うん。娘さんはまだ五歳らしいんだけど、遊び相手兼護衛って感じかなぁって」
「なら女性の方が適任かもな、頑張れよ」
「アダムもね。近衛のスカウトそろそろでしょう?」
近衛騎士団への入団はスカウトで決まることがほとんど。スカウトから漏れたとしても希望者には入団試験を受ける権利が与えられる。
「例年通りなら、このぐらいの時期だよなぁ~。あぁ、緊張する」
アダムは大袈裟に身体を震わせてみせた。
「剣術大会優勝者だし、絶対大丈夫だよ」
私達がそんな風に話していると、厳しい顔をしたジェームズが、そばへと近寄ってきた。
「どうしたの? ジェームズ」
ただならぬ雰囲気に私は反射的に尋ねた。
「ちょっとトラブル。早退するから、ごめん」
ジェームズの返事は要領を得ていない。だが、何かがあったことだけは分かる。
「家で何か?」
「うん。とりあえず帰ってこいって」
ジェームズが帰る支度を始める。
「私も── 」
『帰ったほうがいい?』そう言いかけて、止めた。私はあの家で家族だと認められていない。何があったとしても私が帰ってどうなることもない。
ジェームズはそんな私の様子に素早く気付く。
「大丈夫、俺だけが呼ばれたから。── 今日の夜は嵐になるらしいから、学園終わったら早めに帰れよ。雷が鳴るぞ」
そう言ってジェームズが私の頭を優しく撫でた。
私が何よりも雷が苦手なことを知っているジェームズの優しさに胸が温かくなる。
「わかった。ジェームズも気をつけて帰ってね──私に何か手伝えることがあったら……言って」
父やフロスト家の為に何かをしたいわけじゃない。だけど……ジェームズの為に私が力になれることがあるのなら……私は心からそう思っていた。
放課後── 。
「本当に空模様が怪しくなってきたわね」
私は窓から空を見上げる。昼間には晴れていた空が灰色の重苦しい雲に覆われていた。
「本当だな。今日は真っ直ぐ帰るか」
私の隣に並んだアダムも同じように空を見上げて言った。
その時──。
「アダム、アンジェリカ、ちょっと来い」
教室の扉の方から声がかかる。私とアダムが揃って振り返ると、そこには騎士科の教師が何かの書類を持って立っていた。
教師について行ったその先は、来客の対応をする応接室だ。
その扉を教師が開ける。
そこには近衛騎士の騎士服を身に纏った体格の良い二人が少し窮屈そうに長椅子に並んで座っていた。
私の横のアダムの身体が一瞬強張る。……もしかしてスカウト? これがスカウトなの?
── でも何故私も呼ばれたのだろう……。
教師に促され、アダムが一歩部屋へと足を踏み入れる。私も不思議に思いながら、慌てて彼の後に続いた。




