第1話
「おい、シルバーウルフ!」
「その名で呼ばないでって言ったでしょ!」
私は思い切り背伸びして、アダムのほっぺたを引っ張った。
「いひゃい、いひゃい」
「呼ぶなって言うのに、性懲りもなく何度も呼んだ罰よ」
私が頬から手を離すと、アダムは大袈裟にそこを擦った。
「いいじゃん『シルバーウルフ』かっこいいじゃん! 俺なんか『アイアンコング』だぞ? 所詮俺はゴリラだ」
わざとらしく嘆いてみせるアダムに私は笑ってしまった。
「ぴったりじゃない。ミルナ様もそう言っていたわ」
ミルナ様の名前を出すと、途端にアダムは目を細めた。
「ミルナは俺がゴリラだろうが、ゾウだろうがどっちでもかっこいいってさ」
「はい、はい。ごちそうさま」
アダムはミルナ様と婚約してからというもの、毎日のように惚気ていた。
そんな彼を少々鬱陶しいと思いながらも、二人の仲の良さに私も幸せな気分にさせて貰っている。
私達も、もう少しで卒業だ。あっという間の三年間だった。
先日、卒業試験とも呼べる剣術大会が開かれた。三年生で一番強い者を決める戦い。
そこで勝利を収めたのはアダムだった。結局私三位。女生徒の中では一番といえど、アダムや準優勝の生徒には遠く及ばずといったところだ。
そして先程アダムに呼ばれた『シルバーウルフ』
これは、この剣術大会で五位までに入賞した者へのこの学園ならではの副賞のようなものだ。動物や幻獣になぞらえた通り名が与えられるという伝統── 正直、恥ずかしすぎて辞退したいぐらいだった。
「いいじゃん……俺にはその二つ名が羨ましい……」
鍛錬場の柱の陰からコソッと覗くように顔を出した奴── 。
「ジェームズ! 今日はジェーンをゴールド伯爵家に連れて行く日じゃなかったの?」
私が驚くとジェームズは柱の陰からやって来て、少し首を傾げた。
「実はもうジェーンを連れてこなくていいって言われたんだ」
「え? もう家庭教師は終わり?」
ジェーンはゴールド伯爵家の家庭教師に習っていながらも、成績が飛躍的に伸びることは無かった。ずっと付き合わされていたジェームズが可哀想になるくらいに。
「屋敷に戻ってジェーンを連れて行こうとしたら執事にそう言われた。理由は聞いてないけど」
「もう卒業が近いからかしら?」
結局、ジェームズはまた学園に戻ってきたらしい。彼は今後領主になる予定なのだから、そこまで剣術に拘らなくても良いのに……そう思うが、彼の頑張りを知っている私としては、何も言えなかった。
「お前に通り名を付けるとしたら、何がいいかな? ウィーゼルファングとかどうた?」
アダムか腕を組んでガハハと笑う。
「イタチかよ……」
ジェームズが苦笑した。
「でも、惜しかったわよね、結局六位だったわけだし。……ってそんなに通り名が欲しかった?」
私がそう言って笑えば、ジェームズもつられて笑った。
「だけど……弓矢の腕なら絶対お前が優勝だっただろうな」
ジェームズが優しく笑う。
ゼイン殿下に言われた通り、私はあれから弓矢の練習に精を出した。何度も指先が切れ血を流したが、それでも諦めなかった。殿下に負けた悔しさが私を奮い立たせた。
私の目的はいつの間にか『長生き』より『立派な戦士』になってしまっていたのかもしれない。
しかし、私は信じていた。自分が強くなればその分長生き出来るはずだと── そう言い聞かせていただけかもしれないが。
「仕方ないわよ『剣術大会』だもの」
「しかしさぁ……本当にアンジェリカは近衛にならないのか? 剣術大会三位の実力なら間違いなく── 」
アダムの言葉を私は遮った。
「ならない。今ね、公爵家や侯爵家の御屋敷で護衛を募集している所をピックアップしてるの。そこに自分を売り込みに行くつもりよ」
王宮には近づかない。せっかくあれからアッシャー殿下と出会すことなく平穏な学園生活を送れたのだ。
わざわざ虎の尾を踏みに出向く必要はない。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
出迎えてくれたマチルダの表情がどうもおかしい。
「マチルダ……何かあった?」
私が尋ねると、マチルダは私の耳元にそっと口を寄せた。
「旦那様のご様子が── 」
父がゴールド伯爵とモーブレイ侯爵との新規事業に絡ませてもらえるようになったのは約一年前。その時かなり上機嫌だったことを覚えている。ジェームズも『粘り勝ちだよ』と言っていたっけ。しかし同時に父が任された取引先は随分と小口で、父の手腕はあまり期待されていないのだな……と感じたことも事実だ。
その後事業は着実に成果を出しダヴェンポート公爵が加入したことで、ますます調子は上向き加減だと耳にしたことがある。
微力な父でさえも、その恩恵は与えられており、最近はずっと機嫌が良かったはずだ。
しかし、私は一年前その話を聞いた時『やはり来たか』とそう思った。
一度目の人生と同じだ。ゴールド伯爵家との新規事業……これが意味することを私は知っていた。違いがあるとすれば、新規事業を始めた時期が違うだけだ。もしかすると今世では違う結末を迎えるのかもしれないと考えたこともある。
── その時。
「どういうことなの!?」
ジェーンの怒りを抑えられないような大きな声が聞こえた。
私は二階へと視線を移す。声の出処は── 多分父の書斎だ。
「ん? 何かあったか?」
少し遅れて玄関ホールへ入ってきたジェームズが呑気な声を出す。
あぁ、これも一度目の人生との違いだ。あの時はジェームズもジェーンと共にこの話を父から聞いていたはずなのだから。
私の振る舞いか変わったことが原因なのか、細かな事柄は一度目の人生とは変化している。しかし、大きな流れは変わらないのかもしれない。── そう思うと胸が不安で押しつぶされそうになる。
私はなるべく自然に見えるように肩を小さく竦めた。
「さぁ? ジェーンが何か怒っているみたいだけど……」
私はジェーンのあの言葉の意味を想像することが出来るが、ここは知らないふりをするに限る。
そんなことを考えていると、バーン! と大きな音がして、父の書斎の扉が開いた。そこから飛び出して来たのはジェーンだ。ジェーンはそのまま廊下を駆け出す。自分の部屋へ向かっているようだ。
「ジェーン! お待ちなさい!」
リンダがそれを慌てたように追いかけるが、ジェーンが自室へ飛び込む方が早かった。
ジェーンの部屋の扉をドンドンとリンダか彼女の名を呼びながら叩いていた。それは愛娘を心配するそれだ。
「何があったんだ?」
ジェームズが呟きながら急いで階段を駆け上がる。ジェーンとジェームズ。一度目の人生ほどの関係ではないが、やはり彼はジェーンの優しい兄だ。
妹を心配したジェームズが走り去るのを私は見送る。少しだけ悲しくなるのは、私がジェームズと良い関係を築けていると自負しているせいかもしれない。
「どうされたんでしょう」
マチルダも不安そうに眉を顰めた。
「分からないけど……私は近寄らない方が良い気がするわ」
彼等の思う家族に私は入っていない。ならば大人しくしている方が良い。
きっと、私には後日知らされることになるだろう。
── ジェーンとロバートの婚約解消の話を。




