第9話
その日は朝から騒がしかった。
「この髪飾りはやっぱり止めるわ。もう少しキラキラとたくさんの宝石が付いているのがいいと思うの」
ジェーンがさっきから、ああてもないこうでもないと言うたびにメイド達が右往左往していた。
私はその慌ただしい雰囲気にあてられ、何もしていないのに疲れてしまった。
私はそっとテラスへと避難する。
とにかくジェーンの視界に入りたくない。目が合うと喧嘩を売られそうだ。……まるで猿みたいだと私は内心苦笑した。
するとテラスで読書をしていた私の元へリンダが現れる。
「アンジェリカ。貴女の母親って……何の宝石も持っていなかったの?」
私は一瞬ドキリとして、自分の部屋のクローゼットの中── 床板の下に隠したアクセサリーボックスを思い浮かべる。
「さぁ……? 私には分かりません」
私は読んでいた本に栞を挟むとテーブルにその本をそっと置いた。そこで初めてリンダの顔を見る。
リンダがこの家に来て五年。久しぶりに見る彼女の化粧は随分と濃くなっていた。元々美しい女性だと思うのに、その厚い化粧のせいで何故か老けて見える。
「部屋には一つも残されていなかった。おかしいと思わない?」
何故今? そう思うのだが、私は表情を変えることなく淡々と答えた。
「母は亡くなる一年程前から床に臥せっておりましたし、社交に出席していた頃は私も幼く……記憶にございませんの」
リンダはキュッと眉を顰めた。……疑われているのかしら?
しかし彼女は諦めたようにフッと息を吐くと「なら、いいわ」と短く答えてテラスを後にした。
リンダが去った後、マチルダが言いにくそうに私の耳元にそっと囁く。
「あの……実は使用人が数人解雇されておりまして── 」
私は彼女を見上げた。
「どういうこと?」
マチルダは更に声を小さくする。
「詳しいことは分かりません。しかし……その……お料理に関してもですね、品数が多すぎるから少し控えるようにとの御達しがあったり……」
マチルダが言葉を濁す。仲良くしている料理長に聞いた話だろうから、それは噂程度ではない真実の話なのだろう。
「うちって……そんなにお金に困っているのね」
ジェームズも言っていた。税収が落ち込んでいると。それで父の機嫌が悪いのだ── とも。
「はっきりと何かがあったわけではありませんが……最近は使用人の間でも少しそういった話題が口に上ることが」
「皆……不安に思っているのね」
私の言葉にマチルダは曖昧に微笑んだ。
「もしかすると奥様の宝石をあてにしたのかもしれません」
売ろうと思ったってことか。しかし……何故リンダがそれを? 父に頼まれた? ……いや、まさか。父はプライドが高い。亡くなった母の宝石を売り捌いて家計の足しにしようなどと、たとえ思っていても口にはしないだろう。
「でも……母の宝石を売ったって大したお金にはならないわ。母はあまり贅沢を好む人間ではなかったし」
そこまで言ってふと私はリンダが我が家の裏庭でコソコソ会っていた男の存在を思い出した。
あの時── リンダは金を渡していた。
何となく胸の奥がザワザワと音を立てる。
その男に渡す金が欲しいのかしら?
リンダは父の不在を狙ってあの男に会っていたという事実がある。間違いなく、父には内緒で金を融通していたはずだ。
あれから二人が会っている場面に出くわしたことはなく、ここ最近の忙しさにすっかり失念していた。
あの男とリンダの関係って……何なのかしら?
黙り込んだ私を心配したのか、マチルダが明るく声をかける。
「今すぐどうこうということではないと思いますし、お嬢様が心配するようなお話では。……お茶のおかわりを淹れましょうね」
「え……えぇ。ありがとう」
別に特別裕福なわけじゃないが、伯爵としての面子を保つぐらいには、収入があると思っていたが……。
すると、何故かわざわざジェーンがテラスにまで顔を出した。思わず私の表情は曇る。せっかく避難したというのに……。
「アンジェリカ、どう? このドレス」
そう言ってジェーンはゆっくりと一回転してみせた。
薄桃色のふわふわとしたドレス。まるで綿菓子のような甘ったるい雰囲気だが、ジェーンには良く似合っていた。
「とても良く似合っていると思うわ」
デビュタントのドレスは基本的に家長が用意する。そのドレスを見るに、我が家がそこまで金に困っているようには見えないのだが……。
私はそこまで言うと、テーブルに置いた本を手に取った。もうジェーンにかける言葉はない。
栞を挟んだページを開いた途端、その本をバッ!とジェーンに奪われる。
反射的に私はジェーンを見上げた。
「悔しいなら悔しいとそう言ったら?」
ジェーンは不満そうにそう言った。ここで地団駄でも踏んで私が悔しがれば、彼女は満足するのだろうか?
私は彼女の手から、本を奪い返す。
「そのドレスは私には似合わない。どうやって悔しがれと言うの?」
ジェーンのイライラの原因は分かっている。彼女は私の物を奪うことが好きなのだ。
だが今回、私の手には何もない。デビュタントのためのドレスもアクセサリーも靴も。奪うものがないために彼女のフラストレーションは溜まっているようだ。
ジェームズからのドレスをめちゃくちゃにしただけでは満足出来なかったらしい。
「デビュタントに行きたかったって素直に言えば? まぁ……お父様は貴女の存在ごと忘れちゃっているみたいだけど」
もしお金に不安があるのなら、ドレスを強請らない私は父にとって有難い存在なのではないかしら?
まぁ……父は私がデビュタントに参加しようがしまいが、ドレスを新しく仕立てるつもりなど無かっただろうが。




