第8話
「これは一体……」
私はその部屋に入って絶句した。
トルソーに着せられた水色のドレス……だったものがその部屋の中央に置いてあった。
そのスカート部分にはきっと美しいオーガンジーがたっぷりと使われていたはずなのだが、今ではまるで随分と人が住んでいない空き家のカーテンのようにボロボロになっている。
背中に施された大きなリボンも見るも無惨な姿だ。
「ドレスが届いて、この部屋にトルソーがあったことを思い出しました。そこでシワになる前に……とトルソーにドレスを着せ付けたんですが、少し重くて……。お嬢様の部屋へ一人で運ぶのは危ないと思い人を呼びに行ったんです。ただ、その時に色々と用事を仰せつかりまして……小一時間程経って改めてこの部屋に来てみたら、この有様で……」
マチルダはどんどんと声が小さくなっていった。
「それで?」
「思わず私は悲鳴を上げてしまいました。すると猫を抱えたジェーン様が── 」
『猫』ね。
確かにこのドレスの破れ方……猫の仕業だと思えなくもないが……それでもこれは酷すぎる。
「俺もマチルダの悲鳴が聞こえて、慌ててここへやって来たんだ。そこでジェーンは『窓から野良猫が入り込んだようだ』と。だが、ここは二階。確かに窓も開いていたがわざわざ猫が木に登ってこの部屋目掛けてやって来るとは思えず……ジェーンを問い詰めた」
ジェームズは珍しくジェーンに怒っているようだ。
「わ、私が部屋を出た時には窓は閉まっておりましたし、そのことを私が口にしてしまったものですから……」
「俺とジェーンが言い合いになった。マチルダは悪くない。だがジェーンがマチルダを責め始めてな。埒が明かないからマチルダを下がらせたら……お前が帰ってきたんだ」
なるほど。ジェームズとジェーンの喧嘩の理由は分かった。だが、根本的に疑問に思っていることが私にはある。
「このドレスをボロボロにしたのがジェーンの仕業だとジェームズは思っているってことね。喧嘩の原因は分かったわ。── ところで、さっきから訊こうと思ってたんだけど、これは誰のドレス?」
私が首を傾げると、マチルダもジェームズも驚いたように口をあんぐりと開けた。
「お嬢様……話の流れで既に察していただけているものだと── 」
「なんでジェーンがお前にわざわざ絡みに行ったと──」
二人とも呆れたような表情た。
確かにマチルダも『とばっちりを受ける』と言っていたし、ジェーンも私にドレスがどうこう言っていたが── 。
「これはお嬢様のドレスです」
「これはお前のドレスだ!」
マチルダとジェームズの声が綺麗に重なった。
「え? 私の? なんで?」
ドレスなんて注文した覚えはないし、贈られる覚えもない。
するとジェームズの顔がみるみる赤く染まる。
「デビュタント用だよ! きっと父さんはジェーンのように強請らないと作らないだろうと思ったから── 」
ジェームズはそこで言葉を切って俯いた。
確かに父が私の為にわざわざドレスを作らせるとは思えない。たとえ私がデビュタントに出席する予定だとしても、そんなことは彼の頭の片隅にもないだろう。なら、これは── ?
「とにかく! ……デビュタントは三日後。このドレスはもう使えない」
ジェームズは悔しそうに唇を噛み締めた。
「ジェームズもしかして……このドレス貴方が?」
「だ、だ、だったら何だよ! お前にドレスを贈ってくれる男なんて居ないんだから、俺しか……その……用意できないと思って……」
そう言いながらジェームズはまた段々と俯いていった。耳まで真っ赤だ。
「ジェームズ……私はデビュタントには参加しないって言ってたのに……」
「し、知ってたよ! だけど……おかしいじゃないか。同じ家族なのに俺とジェーンだけ参加だなんて……」
私はただ王宮に近づきたくなくて……あんな場所に行くぐらいなら、デビュタントなんてどうでも良いと思っていた。
それにデビュタントの夜会には……アッシャー殿下も居る。正直に言えば、私はまだ彼と顔を合わせるのが怖い。この前のように意識を失う程の恐怖をまた感じるかもしれない。
だからデビュタントを欠席するなんて私にとっては些細なことだったのに……。私のことをここまで考えてくれたジェームズに心が温かくなった。
「ジェームズ……ありがとう。凄く綺麗な水色……。私の瞳の色ね」
私はまた俯いてしまったジェームズの前に立ち、彼の手を取った。
「……だが、こんなにボロボロになっちゃったし。……ごめんな」
「ううん。ジェームズの気持ちが何よりも嬉しいの。ねぇ、マチルダ。このドレス直せるかしら?」
マチルダは少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「リメイクは出来ると思いますが、それでもデビュタントには間に合わないかと……」
私はマチルダからまたジェームズへと視線を戻す。
「……ジェームズ。このドレス、すっごく素敵! ちゃんとリメイクして、次に夜会があった時には絶対にこれを着る。約束する」
私に手を握られたままのジェームズは私の顔を見つめた。
「やはりデビュタントには……」
「うん。……その夜会に出なくったって、社交界にはデビュー出来るもの。きっとこのドレスを着る機会がこれからたくさん訪れるわ」
「お前……このドレスを何回も着回す気かよ」
ジェームズが苦笑いする。
「いいじゃない! だってジェームズが贈ってくれた大切なドレスだもの。着倒すわよ」
私の言葉にジェームズはうん、うんと頷いた。
「── 分かった。なら大事にしてやってくれ」
そう言ったジェームズと私は笑い合った。
しかし……このドレス。これはきっとジェーンの仕業だろう。
さっき私に彼女が耳元で囁いた言葉。
『ジェームズが貴女に同情してるからって、いい気にならない方がいいわ』
彼女はこれがジェームズからの贈り物だと知っていた。だからいつものように奪うことは出来ないと判断して、破壊することを選んだのだ。
何て卑怯なんだろう。
彼女が私を毛嫌いしていてもジェームズのことは大切なのだろうと思っていたのに。ジェームズの善意すら、私を悲しませるためなら簡単に踏みにじるなんて……。
ジェームズが私に寄り添っているからか、ジェームズまでもが、ジェーンの敵になったようだ。
確かに二度目の人生、味方が欲しいとは願ったが……こんなことになるとは。
私は急にジェームズに申し訳ない気持ちでいっぱいになった




