第3話
「お嬢様、起きてください。今日はお客様がお見えになる日ですよ」
── 懐かしい声。これは私の侍女だった、マチルダの声だ。私のものを全て根こそぎ奪っていったジェーンの侍女になり……そしていつしか解雇されてしまった。
あぁ……マチルダ。貴女は今頃どうしているのかしら? あの時、守ってあげられなくてごめんなさい。
もっと私があの家で強く逞しく生きていれば……貴女を守れたのかしら……。
人間、死ぬ前に今までの人生が走馬灯のように思い出されると聞いたことがある。今がまさにそれなのだろう。
「お嬢様! ほら、起きてください!」
身体を揺すられる感覚まである。走馬灯って凄いな……そう思っていたら── 。
「いい加減に起きてください!」
シャーッとカーテンを勢い良く開ける音がして、瞼の裏が急に明るくなった。
私はゆっくり目を開けた。
「やっとお目覚めになりましたか?」
私の目の前には覗き込むようにして優しく微笑むマチルダの顔があった。
「マチルダ……?」
私は無意識に彼女の顔へと手を伸ばす。マチルダは頬に当てた私の手を自らの手でそっと包み込んだ。
マチルダの体温を感じる。走馬灯にしては、なんとも生々しい。
「まだ寝ぼけていらっしゃるんですか?」
「── 私、寝てたの?」
優しく微笑んでいたマチルダの顔が、不安そうに曇る。
「お嬢様……奥様のことでまだまだお辛いこととは思いますが、しっかりなさいませんと。このフロスト家を守るのは、お嬢様のお役目ですよ」
この台詞……何だか聞き覚えがあるわ。そう思いながら、私は目をこすり身体を起こした。
マチルダは少しだけホッとしたように微笑むと、私に一枚のドレスを見せた。
「今日はこちらになさいますか? お嬢様のシルバーブロンドに良く映えると思いますよ」
マチルダがそう言ってヒラヒラとして見せたドレスはレースやフリルがたくさんあって、どことなく子どもっぽい。──それに。
「それ……サイズ合ってる?」
どこからどう見てもそのドレスは私には小さいのだ。
やはりこの違和感……これは走馬灯ではなく夢でも見ているのだろうか? ならば、私はまだ死んでいない?
「先日新しく設えたものですけど……お嬢様は成長期ですし、一度、着てみましょうか」
小さいと思っていたそれは、全くもって私にぴったりだった。
「お嬢様、とてもよくお似合いです。御自分でも鏡で確かめてみますか?」
不思議だ。あんなに小さいと思っていたドレスは苦しいことも、窮屈なこともなく、私の身体にフィットしている。
そして……更に不思議なことに、マチルダの背が驚く程に伸びていた。
夢だから? そう考えながら。私は鏡の前に立つ。
「え? これは……」
鏡に映る私の姿に愕然とした。
銀色に光るシルバープロンドに薄い水色の瞳。顔は間違いなく私だ。……そう、子どもの頃の。
私は形が変わる程に自分の頬を引っ張った。
「いたたた……」
「お嬢様! 突然何をされるんですか!? あ~あ~頬がこんなに赤く── 」
私が引っ張って、赤くなった頬をマチルダが優しく撫でる。
「お客様がお見えになるというのに……少し冷やしますか?」
マチルダの言葉も私の耳には届かない。それほど私は混乱していた。
夢……じゃないの?
何故、私は子どもの自分に戻っているの?
半信半疑ながらも、私は痛む頬にそっと触れる。──熱い。
「ほらほら、手をどけてください。冷やしますから」
マチルダが私の頬に水に濡れた布をそっとあてる。ヒャッとしたその感触に私は我に返った。
「まだ、痛みますか?」
「いえ……大丈夫よ。ところで今って── 」
『いつなの?』と尋ねようとして、ハッとした。私はもう一度鏡の中の自分をジッと見つめる。
このドレスに── 覚えがある。
私の母が亡くなって喪が明けてからすぐに、父は後妻を連れてきた。……双子の子どもと一緒に。
その双子は私と数カ月しか変わらぬ同じ歳。
父はずっと母を裏切っていたのだ。
しかし私がそれに気付いたのは、もっと後。男女の関係がなんたるかを理解した後だった。
このドレス。あの日、初めて継母とジェーンとジェームズが我が家にやって来たあの日。
このドレスが欲しいと泣き叫んだジェーンを見て、父は言った。
『アンジェリカ、譲ってあげなさい』
と。
それからだ……ジェーンは私の持ち物の全てを欲しがった。ドレスも、アクセサリーも、侍女も── 婚約者も。
欲しがって、奪って、そして捨てる。
そんなジェーンのわがままを父は全て叶えた。
唯一どうにも出来なかったのは、私が王宮仕えの侍女になることだけだ。それだけは譲ることは不可能だと父も分かっていた。
「──嬢様? お嬢様、どうかされました?」
マチルダの心配そうな声に私は彼女を見上げた。
「マチルダ、私このドレス嫌だわ。できればもう少しおとなしめなドレスがいい」
このドレスは結局、泣き叫ぶジェーンに与えられた。
継母であるリンダは男爵家の出身。母との結婚に乗り気ではなかった父の愛人だった。
だが、我が家だって大金持ちではない。父もリンダにそれなりのお手当を渡していただろうが、元は男爵家のご令嬢。伯爵家とは色々と格が違った。
あの日のジェーンのドレスも彼女なりの精一杯のおしゃれだったに違いないのだが、私が今身に付けているものとは、質からしても比べようがなく、見劣りしていた。
それが、あの時の彼女の癇癪につながるのだが。
このドレスを盗られたくない……ということではなく、今日、これを許してしまうと。これからずっと私はジェーンに譲るばかりの人生を歩まなければならなくなる。それは身をもって経験したことだ。
そんな人生は絶対に嫌だ。
何故私がこの日に戻ったのかは、まだ分からない。これが本当に夢ではないのかも。
死に戻りなんて、小説の中だけの話だと思っていたし。
でも……もし神様がやり直すチャンスをくれたというのなら、次こそ……次のこの人生こそ、私は長生きしてみせる!!
私はそう決心した。握りこぶしにも自然と力が籠る。
もう二度と、この家族には期待しない。
そして、私は私の人生を歩むのだ。
『出る杭は打たれる』
目立つ振る舞いを避け、平凡でもいい、長生き出来る人生を! 私はそう決意を新たにした。
「もう少しおとなしめのドレスと言いますと……この辺りでしょうか?」
私はマチルダが持ってきたドレスに視線を移す。
濃いベルベットの青色のドレス。質は良いがフリルもレースも少ない。一見大人びた印象のドレスだ。
今、私が着ているライトグリーンのフリフリのドレスより、物凄く地味だ。
でも、この方がいい。絶対に。私はジェーンと八年間付き合ってきた。あの子の考えそうなことはだいたい把握している。
とにかくあの子と対抗しないこと、それが大事だ。
今日が、私の想像しているあの日なら── 継母とあのアホな双子が父に連れられてやって来る日。
「うん。それでいいわ。お母様の喪が明けたばかりだもの。派手な格好は慎みたいの」
そう私が言えばマチルダの顔は悲しそうに曇る。私は慌てて言った。
「マチルダが私を元気付けようとしてくれているのは、分かっているの。ただ今日はお客様がおみえになるのでしょう? ならば落ち着いた装いの方が良いように思うわ」
「……お嬢様……急に大人になられて……」
マチルダは今にも泣き出しそうだ。
「お母様が亡くなって……私がもっとしっかりしなきゃって思って」
本当は十九歳までの記憶があるからだ── なんて言ったところで、誰も信じやしない。
私は落ち着いた濃青のドレスに袖を通した。
私は自分の肩に流れるシルバーブロンドに視線を落とす。こればかりはどうしょうもない。ジェーンは私のこのシルバーブロンドを羨ましがり、何度か髪を切られた。彼女が無造作に切るものだから、後々整えるのが大変だったことを思い出す。
「── ねぇ、切ってくれる?」
私は髪を梳かしているマチルダに鏡越しに声をかけた。
「はい?」
「私の髪を切って欲しいの。……そうね肩よりうんと短く」
「な、何を仰っているのです! 貴族女性の髪は命。それを切るなどっ! それにこれは奥様譲りの── 」
マチルダの言うことは最もだ。だけど、私はもうジェーンやジェームズに対抗して生きるつもりはない。父の愛情が欲しくて足掻くなんてこともしない。
関わらない、それが一番。とにかくこの家を出ることが出来るまで……あと八年。私は父に期待せず、継母と双子には極力関わらず……そして絶対に王宮には近寄らないと決めた。
それが私が長生き出来る術だと信じて。




