第2話
「王族の僕との恋愛ごっこは楽しかったかい? よく考えてごらんよ。しがない伯爵家のご令嬢なんて、僕が愛すると思う? 何のメリットもないのに? だけど……君の唇は悪くなかった。ごちそうさま」
「そ……そんな……」
お茶の毒はフェイクだった。だけど……あのフォカッチャが原因だとバレたら、何人が処刑されるのだろう。
料理人に毒味役……いや……もしかして彼らの中にも裏切り者が?
「な……なんで、こん、なこと……」
涙で声が掠れているのか、口の中が切れて痛むからなのか……上手く喋れない。
「ん? 君、もう少し賢いと思ってたけど……案外馬鹿なのかな? もちろん僕が王太子になる為に決まってるじゃないか」
ここで初めてアッシャー様の声に不機嫌さが滲んだ。
「頭だって兄上に劣っているつもりはないし、あんな気難しい兄上より、僕の方が周りの貴族受けもいい。長男だからって王太子に選ばれるなんて、おかしいじゃないか。不平等だよ」
「そん、なこと…で── 」
──ガシャン!
「グッ……ッ!」
急に首元を掴まれた。鉄格子から腕を突っ込んだアッシャー様の手に力がこもり、私
の首を締め付ける。
「何が『そんなこと』なの? この国の未来に関わることだ。これ以上に大切なことがあるのかい?……君の命なんかより、ずっとずっと重要だと思わない?」
アッシャー様の押さえた声に怒りが滲む。息が苦しい。
確かにアッシャー様は人当たりが良く、人気が高い。それに引き換えゼイン殿下は口数も少なく、気難しい。
しかし……私はこの半年、ゼイン様に仕えて気付いたことがある。彼は他人に厳しい分、自分にも厳しい。確かに無口で何を考えているのか分からない時もあるが、こんな私にも丁寧に接してくれる。
あの冷たい目に睨まれると怖くもあるが、怒られたことは一度もなかった。
「な……んで、今、その、はな、しを?」
黒幕が自分だと私に告白して私が喋ったらどうするのだろう。
すると、私の首を締め付けていたアッシャー様の手が乱暴に離された。
「ゴホッ……!ゴボ、ゴホッ」
やっと息が出来る。私は自分の喉元を庇うように手のひらをあてた。
「君……今の自分の状況分かってる? たとえ君が今僕から聞いたことを口にしても誰も信じないよ。周りに僕は兄上に憧れているって思われてるからね。それに……あのパンが原因だってバレたら、何人処刑されるかな?君の命はその数人分より重いの?」
人の命の重さは同じ……じゃない。目の前の男と私の命には天と地程の重みの差があるのだから。
「ハァッ、ハァッ」
少しずつ息が整ってきたが、私は今この場に相応しい言葉が見つからず、黙るしかなかった。
アッシャー様はパンパンと手を払った。まるで汚いものでも触っだ後のように。彼は立ち上がったのだろう。また頭上より声がした。
「君に選ばせてあげるよ。明日も今日と同じ……いや、それ以上の拷問を受けて壮絶な痛みの中死んでいくか、今、毒を飲んで自らの命を絶つか。どうする?」
今日の拷問を思い出し私の身体はガタガタと震え始めた。死んだほうがましだと思えたあの時間。
「早く決めてくれる? ここは臭くてかなわない」
冷たく言い放たれたその言葉に、私は手探りで鉄格子の間から手を伸ばした。
「のみ……ます」
「いい子だ。これは君の部屋にあった茶葉を入れた水だ。直接茶葉を入れただけだが、死ぬには十分だよ」
用意周到だと私は少し笑った。
皆、まだ私が毒を隠し持っていたと思うだろう。殿下の暗殺が成功、失敗どちらに転んだとしても私が殿下に毒を盛ったと思われるように計画されていたのか。
いつから? きっと私が殿下付きになると決まってから……いや、もしかしたら、それすら仕組まれていたのかもしれない。
── 王宮仕えなんて、ならなければ良かった。いや、父に認められたいなど、そんな期待を抱かなければ良かった。
私の手にグラスが握らされた。
「さぁ、どうぞ」
アッシャー様は優しく言った。ただ、私の喉を潤すための水を差し入れしてくれているような錯覚さえ覚える。いつもの優しいアッシャー様。
王宮仕えの慣れない暮らしの中での、彼はオアシスだった。── 今思えばそれも全て仕組まれていたことだ。
私は慎重に鉄格子の中に、伸ばした腕を戻す。微かに開いた瞼から、アッシャー様の磨かれた靴が目に入る。
この地下牢に似つかわしくない程美しく、私はつい渇いた笑いを漏らした。
「笑ってるの? ずいぶんと余裕があるね。もう全てを諦めちゃったからかな」
アッシャー様もクスリと笑った。
私は震える手でグラスを口元へと運ぶ。両手でしっかりと握っていないと、震えてグラスを取り落としそうだ。
これを飲めば全てが終わる。
── 私の十九年の人生は一体なんだったのだろう。
誰にも愛されず、誰にも認められず。利用されるだけされて、ゴミのように捨てられた。
私がこうして罪を被れば、実家はどうなるのだろうか。取り潰しは免れない。
あぁ、だから私が選ばれたのか。伯爵家という肩書はあるが、猫の額程の領地で細々と暮らしている我がフロスト家など、取り潰しになったところで、この国に何の影響もない。
私は短い自分の人生を思う。
もし生まれ変わったら……次はあの家族とは無関係でありたい。そして……この目の前の男とは二度と関わり合いたくない、と。
……もういいや。
どんなに求めても愛してくれない父親と、とにかく私に冷たくあたる継母。私のものを何でも欲しがり与えられることが当たり前だと思っている腹違いの妹に、頭が空っぽなその双子の腹違いの弟。
あの人達がどうなろうと、もう知ったこっちゃない。
この毒を飲めば、お母様の元へと行ける。それは案外幸せなことだと私は思った。
辛い人生はここで終わり。他人のような家族と、偽りだらけの初恋── さようなら。
できれば……もう少し長生きしたかった。
私は一気にグラスを呷る。喉をザラザラとした茶葉が通った途端に食道の全てが焼けるように熱くなった。手に持っていたグラスの落ちて割れる音が聞こえた気がした。
……苦しい……。
薄れゆく意識の中、遠ざかる足音が聴こえる。その足音は一度も立ち止まることはなく、いつの間にか聴こえなくなった。




