第1話
「私じゃありません! 私はただ── !」
「うるさい! お前があのお茶を淹れたことはこの目で見て分かっているんだ!」
殿下付きの護衛に私は後ろ手に手をねじり上げられ、床に組み伏せられている。
腕の痛みに顔が歪む。私はそれでも必死に顔を上げた。
周りは慌ただしく、対応に追われている。
殿下は真っ青な顔で倒れており、ぐったりとしている様子だが、数人の護衛により、寝室へと運ばれて行った。その後ろを侍医が追う。
「お茶はいつもの殿下専用のものです! 銀のスプーンも使いましたし、毒など──」
私の言葉を掻き消すように声が響いた。
「ありました! その女の部屋に、これが!」
私は額を床に擦り付けられながらも、部屋へと飛び込んで来た人物の手に握られた小瓶を横目で見つめる。あんな物──私は知らない。
「直ぐに確認しろ!」
「はい!」
その小瓶に入っていた茶色の茶葉は直ぐに煮出された。
私はその間も床へと組み伏せられたまま。ねじり上げられた腕はもう、痺れて感覚がない。冷たい床に跪いた膝も、押さえつけられた額も既に何も感じなくなっていた。
「毒です! 間違いありません!」
横目で私はその様子を必死に確認した。銀のスプーンは見事に変色している。
「違う! そんなもの私は知らない!」
そう叫ぶ私は護衛から思い切り頭を踏みつけられた。
「あっ── !」
「お前! 誰の差し金だ! 誰の命令で殿下の命を狙った!」
「知りません! 私じゃない!」
だって本当に何も知らないのだ。答えられることなど何もない。
「連れて行け。急いで口を割らせるんだ」
その言葉に私は震え上がる。── 拷問される!
「止めて! 本当に何も知らないんです!」
「さっさと連れて行け!」
両脇を抱えられた私は必死で抵抗したが、その甲斐もなく引きづられながら、その部屋を出た。
泣いても叫んでも誰も私の言葉に耳を傾けてくれない。助けは来ない。
──アッシャー殿下も。
──どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私が王宮侍女として働き始めたのは、約一年前だ。あの日は珍しく父の機嫌が良かった。
『おめでとう。私も鼻が高いよ。きっとお前にもこれで、良い縁談が来るだろう』
父に生まれて初めて褒められた。
私はただ褒められたくて、認められたくて王宮で働く侍女を目指した。
婚約を解消された傷物に残された道はこれしかないと、何度も言われ。
『どうしてお姉様が合格して、私が不合格なのよ! 狡いわ!』
腹違いの妹は癇癪を起こした。
私が試験を受けるからと妬んで、何の準備もしなかった彼女が合格するほど、王宮で働くことは甘くない。
『試験官の見る目がなかっただけよ。それに貴女は王宮侍女になどならなくても、たくさん素晴らしい縁談が来ていますよ。安心しなさいな、私に似てこんなに可愛らしいのだから』
『そうだぞ、ジェーン。アンジェリカはお前に色々と劣っている。王宮侍女になって箔でもつけなきゃ、嫁ぎ先に困ることになるんだから』
継母と腹違いの弟はそう言って妹を慰めていた。
別に私は良い嫁ぎ先を探して王宮侍女を目指したわけじゃない。
ただ……認めてほしかった。家族として。ただ、それだけだったのだ。
「王太子殿下の……専属ですか?」
働いて半年が過ぎた頃、侍女長から言われた言葉に私は絶句した。
王宮侍女の中でも、王族の専属になれるのは選ばれし者、狭き門だ。優秀な侍女だけがその地位に就ける。
まだ入って半年の私が? 俄には信じられなかった。
「ええ。貴女の働きは私の目から見てもとても誠実で、安心出来ます。── 貴女も知っているかと思いますが、ゼイン殿下は大変気難しい方です。くれぐれも粗相のないように」
あぁ……そういえば。王太子殿下であるゼイン様は気難しく、厳しいお方だと聞いている。何人もの侍女が今までクビになっている事も。
大抜擢だが、プレッシャーも半端ない。だけど私の胸は殿下付きになればまた父に褒められるかもしれないという期待でいっぱいになった。
「あ、ありがとうございます。力の限り務めさせていただきます」
私は侍女長に頭を下げた。あの時は……こんな日が来るなど思ってもみなかった。
── ポチョン。
どこかで水が滴り落ちる音がする。すぐそばで、ネズミが駆け回るカサカサとした音も。
私は冷え切った石の床に、腰を下ろしていた。少しだけ顔を上げると、鉄格子の窓越しに、月明かりがうっすらと見える。
……目が腫れ上がりほとんど見えていないが、青白い光を瞼に感じた。
痛みが全身を覆っている。何度殴られただろう。何度ムチを打たれただろう。背中は焼けるように熱い。
──カツン、カツン、カツン
固い石畳に響く靴音。誰かが来たのだと理解はするが、私はもう動く事も出来ない。また、拷問を受けるのだろうか。そう思うと恐怖で震えた。
このまま……いつか死ぬのだろう。拷問をされたところで、私は何も知らないのに、何を答えろと言うのか。
「ずいぶんと酷い目にあったね」
── この声は……!
「ア、アッシャー様……!」
この柔らかく甘い声。間違いない、アッシャー殿下だ。愛しい人の声を聞き違えるわけがない。
「あ~あ。綺麗な顔が台無しだ」
アッシャー様は少し笑いながらそう言った。
「た、助けてください! 私は何もしていません!」
アッシャー様の軽い口調が気になったが、私は動けない身体を這いずるようにして、鉄格子に近づいた。
アッシャー様の声が頭上から聴こえる。彼はこの地下牢の前に立っているようだ。
「確かに君は何にもしていないよ。ちなみに兄上は間一髪助かっちゃった。まだ意識は戻らないけどね……残念」
「……え? ざ、んねん?」
何故か声が震える。
「そうだよ? 折角チャンスだったのになぁ……。やっとカシューナッツの抽出油を手に入れたっていうのに。君は案外上手くやってくれたけど……残念だったね。君の死は全くの無駄死になるってことだ」
アッシャー様の言葉の意味が分からず、私は唇を震わせた。
「ど、どういう……」
「そうだなぁ。君にはせっかくだから死ぬ前に教えておいてあげよう。兄上はピーナッツにアレルギーがある。少しでも口にすると呼吸困難に陥るほど重篤だ。だけどね、ピーナッツは残念ながら、香ばしい匂いが欠点でね。何に混ぜても兄上は気づいちゃう。周りもね」
「な、何を……」
アッシャー様がまるで今日の天気を話すような口調で話すものだから、私は困惑してしまった。
「僕はどうすれば兄上を殺せるのかずっと考えていた。実はピーナッツとカシューナッツのアレルギー成分が似通っていると分かったのはつい最近なんだ。カシューナッツはピーナッツ程匂いがない上にオイルにすれば、色んなものにつかえる」
「も……もしや、あのパン……」
仕事でお忙しいゼイン殿下の為に、朝食代わりのフォカッチャを持って行った。……まさか、アレ?
お茶ではなくて……あれが原因?
「さすがだ。君は意外と賢いからね、計画がバレたらどうしようかとハラハラしていたが……恋をすると周りが見えなくなるのは、真面目な女の子でも一緒だってことだね」
そう言われて私の唇はますます震えた。
「わ、私に近づいたのは……」
「そう。新人の君が兄上の専属になって……今しかないと思ったんだ。君はちょっと堅物だったから、落とすのに少し時間がかかっちゃった」
……アッシャー様の言葉が頭の中でこだまする。
「私の気持ちま、で……利用したん、ですね」
頬が温かい。ほとんど見えない私の目から涙が溢れているのだろう。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。
優しい人だと思っていた。私を好きだと……そんな言葉を信じてしまった。
昨晩……急に私の部屋へとアッシャー様が訪れたのは、あの小瓶を隠すためだったのだと、今さら気づく。
心を許してしまった……部屋にまで入れてしまった……。馬鹿だった。
褒められて、愛を囁かれて……のぼせ上がってしまったのだ。




