第2話
「も、申し訳ありません」
とにかく私も頭を下げる。……やってしまった。私はこの失言で自分がどうこうなることよりも、アダムを巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
スッ── と殿下が動く、建物の影から一歩踏み出したゼイン殿下の表情が明らかになった。
── 口角が少し上がっている。
あれは……嬉しいと思っている時の顔。え? 何で? 怒ってないの?
「謝るな。別に怒っていない」
「あ、ありがとうございます。でも別に嫌いというわけでは──」
言い訳がましいと思った私は、そこで言葉を切って再度頭を下げた。
「いえ、私の気持ちがどう……ということは関係ありません。失礼な発言をいたしました。申し訳ありませんでした」
「……頭をあげろ。気にしていない」
私と殿下のやり取りを固唾を飲んで見守っていたアダムが、やっと息をホッと吐いた。
そして思い切ったように口を開く。
「きょ、今日は鍛錬場へいらっしゃっていたんですね」
そう尋ねたアダムは緊張からなのか、それとも……恋心なのかは分からないが頬を赤らめていた。
ゼイン殿下はゆっくりと頷くと、答える。
「あぁ。今日は思い切り体を動かしたくな」
「な、なるほど! アハ、アハハ」
アダムは緊張の限界を超えたのか、突然笑い始めた。
その姿に殿下は「フッ」と鼻で笑う。これは苦笑いってことかしら?
「面白い奴だ。じゃあ……お前たちも頑張れよ」
殿下はそう言うと私達にクルリと背を向けた。そして二、三歩歩くと急に振り返る。
私の手に持つ剣に視線を走らせると一言。
「ちゃんと自分に合う物を選べるようになったじゃないか。どれほど上達したか楽しみにしている」
そう言い残すとまた私達に背を向ける。そしてそのまま鍛錬場へと戻って行った。
『自分に合う物を選べるようになったじゃないか』
もしかして殿下……あの時に出会ったことを覚えているの? もうあれから四年も経つというのに。……っていうか、よく私って気づいたわね。
私は驚きと困惑で何も言えず無言で殿下を見送った。
「お、おい! 殿下が来てるってことは……って、なんて固まってるんだ?」
肩に手を置かれ、私はふと我に返る。アダムを見上げると、彼は怪訝そうな顔をしていた。
「い、いや……殿下と話すなんて、そうそうない機会だから、緊張しちゃって」
ゼイン殿下に近づくと、どうしても一度目のあの場面を思い出し心がギュッとなってしまう。私は何とも言えないその気持ちを誤魔化すようにエヘヘと笑った。
「分かる! 緊張しちゃうよなぁ」
アダムの言っている意味とは少し違うようだが、誤魔化すことが出来て何よりだ。
「さ! そろそろ練習に戻ろう」
私は全てを振り切るように明るく、アダムの背を押した。
「だな! 殿下に認められるようにアピールしなきゃ! せっかくの機会だし!」
アダムは腕をブンブンと回しながら気合い十分だ。
「せっかくの機会って?」
「殿下が学園の鍛錬場に来る時は鍛錬以外に、自分の側に置く者を選別してるって専らの噂だ」
アダムは大きな背を少し曲げて私の耳元で囁いた。
「そうなの?」
「あぁ、でもこれはあんまり公言しないほうがいい。── ここに居るのは皆ライバルだからな。出し抜くためには秘密にしておけよ?」
噂程度だとしても既に皆、知ってることなんじゃあ……なんてことを思ったりするが、私は「わかった」とだけ返事をした。
周りを見渡すと、チラチラと殿下を意識しながら鍛錬している生徒が多いことに気づく。……皆を出し抜くのは難しそうだ。
それに……私には近衛になるつもりも、殿下の側に仕えるつもりもない。
つまりはアダムのライバルは既に一人減っているということだ。
(あ……また? いや、私の見間違いかもしれないし……)
最近、頭の痛い悩みが勃発している。
「おい。今日は鍛錬に行くのか?」
(あぁ……やはり本人……)
廊下の先に彼の姿が見えた時、もしや……とは思った。私の見間違いであればどんなに良かったか。
「いえ、今日の放課後は屋敷に早く戻らねばならず、残念ですが」
「……そうか」
私はその人物の前を頭を低くして自分のつま先を眺めたまま、そそくさと通り過ぎようとする── が。
ガシッ!
急に腕を掴まれた。
「ヒッ!」
「先日注意したところは直したか?」
私はそこでようやく頭を上げ、その人物の顔を見た。
「ゼイン殿下に言われた通り、剣の握り方を変えました。お陰で受けが楽に素早く出来るようになったと思います。ご助言ありがとうございました」
私の答えに殿下は表情は変わらないが、それでもそれに満足したように頷いた。
「そうか。それは良かった」
そこで殿下の手が私をパッと離した。私は慌てて殿下から少し距離を取る。
「それでは失礼いたします」
私はまた頭を下げ、そのまま殿下の前から去る。
廊下を早足で歩きながら、心の中で盛大なため息をついた。
鍛錬場でゼイン殿下と出会ったあの日から、何故かこうして時折殿下に絡まれるようになった。
「アンジェリカ、顔色が悪いな」
騎士科と普通科が使うことのできるテラスで昼食のサンドイッチを摘みながら、ジェームズが私の顔を覗き込んだ。
「え? あぁ……ちょっと疲れただけ」
私は誤魔化すように慌てて笑顔を作る。しかしジェームズは不機嫌そうに眉をひそめると、私の両頬をムニュっと摘んだ。
「ひょっと! にゃにしゅるのよ」
「無理矢理笑うな。何があった?」
私が軽く睨むとジェームズは私の頬から手を離した。
「はぁ……。何だか最近、良くゼイン殿下に話しかけられるのよ」
「アダムもそんなこと言ってたな。ゼイン殿下も最近は良く鍛錬場に現れるとか」
ジェームズは試験の結果の不甲斐なさに父から家庭教師の時間を増やされており、学園の鍛錬場に顔を出すことは稀だ。
毎回私に『遅くなるなよ』と釘を差し学園を後にする背中は少し寂しそうだ。彼も剣を扱いたいだろうに……。
「うん。アダムはアピールチャンスだと喜んでいるけど……別に私は近衛騎士になりたいわけじゃないし」
そして心の中でこう付け加える。
『王族に関わるなんて真っ平御免だし』と。
「まぁな。それは俺も同じだけど。それで周りがやっかんでるのか」
周りにはよくゼイン殿下に絡まれている私を見て、目をかけられていると勘違いする者も現れてきた。正直、やりづらい。
私とジェームズは近衛騎士を目指していない。
私は王都から離れることを希望しているし、ジェームズは領主として領地を治めなければならない。私達二人にはゼイン殿下に目をかけられるメリットはあまりないのだが……。
「的確なアドバイスをいただけるのは助かっているんだけど、やっぱり緊張しちゃうわよね」
私は吹っ切るように明るく言うと、サンドイッチに齧りつく。
最近の悩みのタネをジェームズに話したことで少しだけ心が軽くなる。人間とは案外単純なものだ。
さっきまで食欲が失せていたが、急にお腹が減ってきた私は続けざまにサンドイッチを頬張った。




