第1話
「騎士科なのになんで座学があるんだよ」
文句を垂れるジェームズの頭を、丸めた教科書でポンと叩く。
「馬鹿は騎士になれないってことよ。ほら答案用紙見せて? 教えてあげるから」
ジェームズはまだブツブツと言っているが、私は無視して教科書を開く。
「算術は苦手だ」
「数字に弱くて領地経営出来るの? またお父様に嫌味を言われるわよ」
ジェームズは粘り勝ちで騎士科への入学を果たした。
父からは領地経営の勉強も疎かにしてはならないとの御達しが出ているし、試験で学年上位十番以内と約束させられたくせに、入学して初めての試験では、真ん中ら辺という中途半端な位置に鎮座していた。
……とにかく一番苦手な算術は追試験だ。これでダメだったら父に何を言われるか分かったもんじゃない。
「お前は食卓にいないだろ。嫌味言われてるってなんで知ってるんだよ」
「ご丁寧にジェーンが教えてくれるのよ」
私の言葉にジェームズは渋い顔をした。
私とジェーンの間に深い溝があることをジェームズは理解している。だからと言って二人の仲をとりもとうなんてことはしないが、ジェームズにとってジェーンが可愛い双子の妹であることに変わりはない。
こうして良く私とジェーンの間で板挟みになっているジェームズを可哀想だと私は思っていた。
「ごめん、ジェームズを困らせたいわけじゃない」
私は教科書を捲りながら謝った。
「いいよ。ジェーンがお前にわざわざ絡みに行ってることは知ってるし、それでお前が嫌な思いをしていることも分かってるから」
ジェームズはそう言うと私の頭を優しく撫でる。
「私の方がお姉さんなんだけど」
「分かってるって、お姉様」
ギロリとジェームズを睨むと、彼はニカッと笑った。
「相変わらず仲の良いことで」
いつの間にか私達の席の隣に立っていた人物に声をかけられる。
「アダム、貴方は追試はないの?」
私はその人物を見上げて尋ねた。
「ギリギリ回避ってところだな」
アダム·レイバン。レイバン侯爵の次男だ。体が大きく騎士になる為に生まれたような男。
「俺だって算術がなければアダムより成績はいいんだ!」
確かに順位で見るとアダムは下から数えた方が早い。ジェームズは暗記は得意だが、算術だけが壊滅的に苦手なようだ。
「まぁ、せいぜいお勉強頑張れよジェームズ。アンジェリカに面倒かけるんじゃないぞ? じゃ、俺は先に鍛錬に行ってるから」
そう言ってポンとアダムが私の肩に手を置く。
「触るなよ」
ジェームズの不機嫌そうな言葉にアダムは苦笑いだ。
「お~怖っ! 相変わらずのシスコンっぷりだな」
そう誂うように言ったアダムをギロリとジェームズが睨んだ。
「ジェームズ、ほらさっさと勉強始めるわよ。アダム、後で私も行くわ」
私がそう言うとアダムは「じゃあ」と軽く手を上げて去っていった。
「また鍛錬に行くのか?」
間違えた問題をもう一度解きながらジェームズがポツリと漏らす。
「うん。だって授業ではまだ剣に触らせてもらえないでしょう? 鍛錬場なら模造剣を振らせてもらえるし」
騎士科に入学して三ヶ月。今はまだ体力作りの段階だが、アダムのような人間には既にそれは必要なさそうだ。
彼のように自主練として放課後鍛錬場へ行く者も多い。
「ならば俺も行く」
「何言ってるの! 今日は家庭教師が来る日でしょう? またお父様に怒られるわよ」
「……あんまり遅くなるなよ」
ならばさっさと問題を解け……そう言いたくなるのを私はグッと我慢した。
めでたく(?)学園入学までに婚約者が出来なかった私は、渋い顔の父を尻目に期待に胸を膨らませてこの騎士科へ入学した。
そして粘り勝ちのジェームズも父とリンダを説得して騎士科へ入学。
ちなみにジェーンは順当に淑女科へと入学を果たした。
「そう言えば……デビュタント、もうすぐだな」
「そうね。でも私は行かないわ」
私の答えにジェームズはカッ!と顔を上げた。
「どうして?」
「どうしても! ほら、早く問題解いてよ! っていうか、ここ計算間違えてる」
ジェームズは「え? どこどこ?」と私の指さす場所を探す。
デビュタント……我が国では十五歳で社交界へとデビューする。デビュタントはその儀式だ。
王宮で王族と共に踊る、貴族のご令嬢の憧れの場所。
しかし── 私には最期を迎えた地獄のような場所でしかない。
近づくなんて真っ平御免だ。
「おい! 今日は王太子殿下が来てる!」
鍛錬場へ着くなりアダムが私を物陰に引っ張って行き、興奮気味にそう喚いた。
「何故、王太子殿下が学園の鍛錬場に?」
『王太子殿下』と聞くだけで胸がざわつくのは一度目の人生の影響が大きい。ほとんどトラウマだ。
ゼイン殿下は全く悪くないのだが、彼が真っ青な顔をして倒れた瞬間は今も頭にこびりついていた。
「何故って……お前知らないの? 殿下は騎士科の三年生だ」
「え? 騎士科? 王族って……確か普通科に入学するものじゃ── 」
歴代の王族はそうだったと記憶している。政をするための勉強は普通科が一般的だ。
「ゼイン殿下は異端だからな」
「異端……って?」
私が首を傾げるとアダムは更に声を小さくしてそれに答える。
「ゼイン殿下は型にはまったことを嫌う。良い例が側近候補たちだ。上級、下級に関わらず自分の側に置く人物を中身で選んでいると聞いたことがある。それに議会にも媚びることなく、既にかなり厳しい意見を発言しているらしい。特に今まで権力を傘にきて私腹を肥やしてきた貴族達には耳が痛い意見をな」
「へぇ~」
知らないふりをしたが、そのことはよく知っていた。
私が侍女として仕えていた時、ゼイン殿下の側近に選ばれていた者は子爵の出だったし、専属の護衛として付いていた騎士は元は平民だったと聞いた事がある。彼は身分で人を判断しない。それは十分に理解していた。
ただ、騎士科の生徒だったことは驚きだ。
一度目の人生、淑女科に入学していた私は普通科や騎士科がある校舎とは別棟であったため、騎士科や普通科とはほとんど接点がなかった。だから知る由もなかったことだ。
「俺の憧れなんだ」
アダムがポッと頬を染める。まるで恋でもしているかのような視線の先にはゼイン殿下の姿があった。
「剣の腕は?」
「そりゃあもう! 今、学園に居る者の中ではトップさ。強くて賢くて……本当に憧れるよ。いつの日か殿下をお守りする立場になりたい。それが俺の夢だ」
キラキラした瞳で殿下を見つめるアダム。本当に恋をしているのでは? そう思ってしまいそうになる。
── まぁ、同性で愛し合う人がいることは知識として知っているし、そこは自由だと私も思うが。
「じゃあアダムは近衛騎士を目指すの?」
「当たり前だ! 騎士科に入学して近衛を目指さない奴なんていないだろ」
……今、貴方の目の前に居ますよ。
「そっか。まぁ、頑張って」
私は一度目の人生の記憶を手繰り寄せてみる。アダム·レイバン……安心して、貴方はちゃんと近衛騎士になれるわ。そう心の中で呟いた。
「『頑張って』ってアンジェリカは? 近衛目指してないの?」
「ええ、全く。出来ればどこかのご令嬢の護衛として雇われたいと思ってるの。一番の望みは辺境伯だけど……あそこはご子息しか居ないし……」
辺境の地なら王都からも遠い。アッシャー殿下に関わることもなく、私も安心して暮らせそうだ。
「確かに最近、ご令嬢の中には『側に居る護衛も女性じゃなきゃ嫌!』っていう奴らが増えてると聞くが……本気か? それより近衛になって王妃や王太子妃に付いた方が── 」
「王族の護衛なんて真っ平御免よ」
アダムの言葉を遮るようにそう言い切ってしまったのは、根深いトラウマの成せる技だ。
そう、絶対そうに違いない。じゃなきゃ不用意な発言をこんな場所でするほど馬鹿じゃない──はず だった。
「ほう……お前は王族が嫌いか」
「ヒェッ! で、殿下!」
アダムはそう口にすると、慌てて頭を下げた。
私はその行動にゆっくりと後ろを振り返る。
そこには建物の影で表情を窺うことは出来ないが、腕を組んで壁にもたれるゼイン殿下の姿があった。




